#7『責任と自由/権利と義務』一方のみを得ることはできず、バランスする。義務を果たさない権利はあり得ないし、責任のない自由もあり得ない。全ては比重が一緒の関係。(貧困幼少期からNPO代表理事までを振り返る)
ささいなきっかけを通じて今の私に変化させて頂いたと思っています。
noteで今に至るまでの振り返りにnote100日チャレンジをしています♪
今日は母子生活支援施設いう環境からの旅立ちについて
地獄への片道切符
夏のある日、喫茶店に誘い出され、狭い40cmの正方形のテーブルに対に向かい合う席に座ると同時に、母が意気揚々に茶色の封筒からA4の紙を拡げて言いました。
『引っ越すよ!やっと、公営住宅の抽選にあたってん!これ部屋の間取りやけどな、ここに冷蔵庫おくやろ?ここに食器棚おこうおともうんや。あんたどう思う?』
いきなりのテンションの高さに、ついていけなかったものの母が楽しそうに話すので押されながら首を縦に振り耳を傾けました。
その時私の頭の中では
(住宅の抽選にあたるとは何なのか?)
(部屋の間取りと言われるものは四角の集まりで、何を指しているのか?)
漢字はまだ習っていないのもあり、わかりませんでした。
公営住宅とは、公共団体が協力して建設した低額家賃で住める住宅のことです。こちらは空き室があればいつでも入居が可能な一般住宅と異なり、空き物件を一定期間の募集期間に応募をし、当選することを通じて入居できます。
90年代はまだまだ母子家庭が入れる住宅は多くありませんでした。
(審査で落ちてしまうのです・・・・)
当選する前に何度も落ちた結果、やっと当選したとのことでした。
この引越しは私の人生において、強烈な体験への招待状でした。
ヤクザが隣人であることは私達は知らないのですが、それは次回に・・・
母はなぜ、去る事を選んだのか?!
母子家庭支援施設は18歳までの子供を養育していれば、実質住み続けることができます。しかし入居してすぐに先生は母にこういいました。
「ここに長居したらあきません。出来るだけ早く出ていくんですよ」
入居すぐに” なんと厳しい ”と面食らったそうです。
但し、その何年後に気づいたそうです。
出て行けという厳しさは優しさ
優しくその場を取り繕って居させることはできるけど、
甘えた環境に居れば、どんどん「自身で生きる力」が弱っていくからです。
甘えることが悪いのではなく、甘えることで立ち上がれなくなる場合や、
甘えることが目的になってしまこともある事を見てきたからです。
母は仕事を辞めず働いていた関係で、常にもっと働きたい!と思っていたものの門限がある時間制限の暮らしでは正社員になれず、パートは時間給。
=時間を稼がないと、お金にならなかったからです。
権利には義務/自由には責任の表裏一体
施設にはルールが沢山有り、働く事の足かせになっていたそうです。
早く出て行くためには、稼がないといけない。門限を少し遅くしてくれませんかと打診したこともあったそうですが、
『ここでの暮らすなら守らなければいけないルールです。
あなただけを特別待遇をすることはできません』
権利を行使するには、ルールを守る義務がある。自分が自由に働くためには、この暮らしを捨てる必要がある。義務を放棄した上で、権利を主張することはできないという現実です。
ーー喫茶店でーーー
「なんで出ていくの?」
『先生がな、早く出て行かなあきませんよっていわはるし、お母さんも仕事したいと思っているからやで。』
「先生、出て行かなあかんっていわはるん?
でも、みんないてはるよ?長く住んでいる人もいてはるやん?なんでなん?
今もお仕事しているのに、もっとお仕事しなあかんの?」
(家がお金持ちじゃないことはわかっていましたが、それなりに働いているわけで、なぜさらに働かないといけないのかはわかっていませんでした)
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(参考)1989年の最低賃金は、東京で525円。
(参考)1989年頃の女性の大学進学率は10%
1990年頃は、男女雇用機会均等法が施行されていましたが、
女性の社会進出は少なく、会社も結婚したら寿退社(女性社員が結婚を理由に退職すること)でした。進学率も調べてみると10%程です。
自分の足で歩む人生を、生きるのか、捨てるのか
自分の足で立ち続ける人生の大切さを猛烈に感じています。
自分の足で歩むとは、自分で選択肢を選べる(増やせる)生き方です。
NPO法人のミッションとして経済的弱者を減らすことを通じて、国益に寄与する事を掲げています。経済的弱者が人生をやり直す場づくりを作っていますが、ここは長期に甘える場所としては考えていません。
自分で歩む人生を選んでもらえるように取組みを考えています。
自分で生きていく力は、一度見につければどんな人生でも生きていけます。
選択肢を増やすとは、何か?
「権利を得るため」の「義務を負えるか」どうかだと考えます。
塞翁が馬
私は約10年ヤクザの隣で暮らすことになりますが、この最悪の体験が、
結果として自身を大きく育ててくれたことを感じます。
noteのタイトルにしているレジリエンス力を得られるきっかけになったと思っています。
七転び八起き、転んでもタダで起きないは私を作っている生き方です。
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ささいなことで人生は変わると信じています。
それは、人生の大きな決断の手前にあるキッカケになるのではないかと。節目を思い出すと決断の前には、ささいなキッカケがあったからです。見て下さったあなたの何かのキッカケになればと思って綴っています。
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