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令和ちゃん

にせんにじゅういちねんいちがつみっか。

今日は、令和が始まってから613日目。



僕は

休館している美術館の駐車場に車を停めて、
缶コーヒーを飲みながら
車内で暖をとっている。


「令和のトピックス」を思いだそうとしている。

僕の脳内メモリにある情報は、
「暑すぎる夏と短すぎる秋」
「皇位継承の日の虹」
「台風19号と八ッ場ダムの初陣」
「コロナウィルス大流行とソーシャルディスタンス」くらい。

最近では
「宇宙探査機はやぶさの地球帰還」
「鬼滅の刃の快進撃」。



令和が始まった日は、



平成元年生まれの自分にとって
丁度30代の始まりのタイミングでもあった。

「令和は自分の意思決定の元、自由に生きる時代」
にしたい。と、思った。期待に胸を膨らませて。

自分が生まれた「平成」は、
たったの30年で終わってしまった。
だから、平成元年生まれとしては
令和はまだまだ自由に遊びたい30歳時代の入る
時間の箱として、自分のモノの気分でいるのだった。


「、、、今日で613日目か。」


令和になって、世界がバタバタと、
歪みながら変貌してゆくのを

僕は令和ちゃん3歳とともに
親しみの無い田舎の片隅で眺めている。




東京では無い。ここは。

コロナ前から人けの少ない田舎だ。
僕は休館中の美術館の駐車場の車内だ。



ミルクと砂糖入り缶コーヒーが

やけに美味しく感じる。

目の前の森を一人きりで眺めて
東京には無い贅沢を感じた。


「別に・・・」

令和が始まってから今日で613日目だなんて
今日初めて知った事だし
本当にそうなのかどうか、自分で数えた訳でもない。
なんとなくネット検索して、それらしい情報をそのまま信じただけ。

自分が今どこら辺に位置するのかを
何かを基準にして測ってみたかった。

年号や、年齢や、地図を座標にして。



目を閉じて、想像の中で
その座標を変えてみる。

空想は、コストのかからないVR空間のようなものだ。
居る年代も場所も、自分の年齢も、
全て変えて、その立場からの景色を見られるし
話したい人と話せて、好きな事をして過ごせる。

僕は正直、令和になってから
世界を気に入り始めていると自覚した。
悲しみに溢れた令和。しかし、新しい何かが
始まる気がする令和。
平成の閉塞感より、令和の危機感の方が
マシな気がした。



令和は危機感に溢れ、
その危機感は想像力を燃やす薪になる。

想像して、行動する。
または、行動した理由を想像で埋める。
そのうちに
想像の中で旅を始めるし
想像の中で恋を始める。
想像の中で違う人生を生き始め、
新しい歴史を刻む。

僕は暇さえあれば目を閉じて、

想像の足跡を辿る作業が、好きになってきた。


今日は、なんとなく「令和になってから今日で何日目なんだろう?」と、想像した。
それを現実で調べてみて、
その期間で起きたトピックスを並べて、
時間の質量を測ってみようとした。

想像する生活。
想像するしかない生活。

令和という、真っ白な年代を描く想像作業は
とても楽しい。

「今日は、令和613日目。」


令和は、僕が育てるのだ。

ひっそりと、令和の時間を数えながら
そう思った。

2021年1月3日 ppp























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