スキが見せてくれる道に沿って進むと次の場所が見えてくる。 その場所から次の場所へ、また次のスキを見つけながら進んでいく。 そんなふうにジャーニーが展開するのはいいとして… それを重ねていくと、スキなものばかりに囲まれて生きることにもなりかねない。 それって大丈夫なんだろうか…? この連載の2で、赤ちゃんが最初に感じるスキは安心感を与えてくれるものなんじゃないだろうか、という推論をお伝えした。 出発点にまず「安全」「安心」があって、赤ちゃん(というか私たち)は、安心
「スキ」を見つけていく旅の最終目的地とは? 「スキ」をひとつ見つけるたびに、新しい風景が目の前に広がる。 その風景の中を進んでいくと、別な「スキ」が見つかる時もあるし、 「スキじゃない」ものが見つかることもあると思う。 (あえて「キライ」と呼ばずに「スキじゃないもの」と呼ぼう) 大切なことは、「スキじゃないもの」にフォーカスしない、 ということのような気がする。 フォーカスするのは飽くまで「スキ」。 そうやって見つけた「スキ」の数々を辿っていくと、 今度は風景の中に道が
私たちは生まれた時に「スキ」を見つける旅に出た。 そう言葉にしたら、谷川俊太郎さんの有名な詩、 「さようなら」の一節を憶い出した。 一番「スキ」を見つけたら、それを大切にして生きる。 つまり、私たちはそれを見つけるために生きる。 現代詩の巨星が綴ったこのルミナスライン(輝きを放つ一節)は、 そんなふうに人生を捉え直すことを促してくれる。 人生のことを英語で"Journey(旅)"と表現することがある。 生きていることは、それすなわち「旅」だという考え方だ。 「旅」という意
赤ちゃんの頃の私たちは、 どこまでも広がっていく感覚の中で、 その広がりを確かめるようにして、 今ここにいる「自分」を確認していっているのかもしれない。 そんなふうに想像すると、不思議な気持ちになる。 その営みはまるで「どこまでが自分なんだろう」という、 無垢で純粋な模索のように思えるからだ。 まるでこころのヨチヨチ歩き、のような。 まだ自己認識というものが育まれていないというか、 自己認識という「名詞化」ができていない存在としての赤ちゃん。 その思考を大人は脳科学的なデ
どこまでも広がるような感覚。 つまりは、無限の広がり。 この言葉を聞いたのは2015年。 アメリカに住む、悟ったインド聖者の口からだった。 「『悟り』とは何ですか?」という私からの質問にその聖者は、 "The sense of infinite EXPANSION"(無限に広がる感覚)と答えてくれたのだ。 とっても大げさに聞こえてしまうと思うのだが、それを聞いた時、 私の胸の奥にとてつもなく広い宇宙が展開したみたいに感じた。 「あ、還ってきた」となぜかそう思った。 今でも
赤ちゃんだった自分の最初のスキは、 頼れる誰かへの信頼感から来るもの? という推論を前回お伝えした。 当たり前のことなんだけどこの世界には、 まず「自分」がいる。 もしくは「自分だと思っている主体」みたいなものが在る。 その主体を通して世界全体を眺めてる。 眺めて、働きかけて、その働きかけへの反応を、体験する。 大人になって振り返ろうとすると、 そういう行為を通して小さい頃の私たちは、 「自分と自分以外を認識している」と考えたりする。 自他の区別がそこで生じているのは確か
人生最初のスキって何だったろう。 おそらくスキになった瞬間は憶えていなくても、 大抵の人は親がその最初のスキの相手だったんじゃないだろうか。 親でなければ、幼い自分を包み込んでくれていた誰か。 あるいは優しい眼差しを注ぎ続けてくれていた誰か。 自分を守ってくれてる誰か。 自分を安心させてくれてる誰か。 この新たで不安な環境から、馴染み深い安らぎの眠りへと、 自分をいざなってくれる誰か。 そんなふうにして最初のスキが生まれるような気がする。 生まれ落ちてきた、たったひとりであ
「『スキ』を英語で言うと?」と問われたら、 誰もが"Like"と答えると思う。 「スキ」のひとつの形は確実に"Like"。 英語ではこのLikeからもう少し先へ進むとLoveになる。 しかし日本語ではそのLoveも「スキ」と表現できる。 スキ、って実はすごく広い。 例えばSNS上でLikeは「イイね」と訳されて定着している。 つまり、「イイね」はスキ。 「愛してる」もスキ。 「いい作品だよね」もスキ。 「すごいヤツだよな」もスキ。 「カワイイ」もスキ。「おしゃれすぎる」も
「個」として生まれてくるから、自分が大事になる。 その「個」がもしも、「全」の一部だったと仮定したら… 今までとは違う「個」としての自分が見えてくるかもしれない。 そうすると、自分以外も大事に思えるかもしれない。 そうなると、大事じゃない誰かも、スキだと感じるかもしれない。 みんながいろんな誰かをスキだと感じたら、 恥ずかしがらずにスキだと言えるようになるかもしれない。 恥ずかしがらずにスキだと言えたら、 この世界、もっといいかもしれない。 続きは次回