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スキになる 3

赤ちゃんだった自分の最初のスキは、
頼れる誰かへの信頼感から来るもの?
という推論を前回お伝えした。

当たり前のことなんだけどこの世界には、
まず「自分」がいる。
もしくは「自分だと思っている主体」みたいなものが在る。
その主体を通して世界全体を眺めてる。
眺めて、働きかけて、その働きかけへの反応を、体験する。

大人になって振り返ろうとすると、
そういう行為を通して小さい頃の私たちは、
「自分と自分以外を認識している」と考えたりする。
自他の区別がそこで生じているのは確かだと思う。
ただ、生まれ落ちてきて間もない頃の「私」って、
果たしてそんなにはっきりとコギト*的なのかなあ、とも思ったりする。

むしろ何かどこまでも広大に広がるような、
そんな感覚の中にいるんじゃないかな、という気がするのだ。
そう考えるには理由がある。

続きは次回

*コギト:自己意識。「考える/意識する」という意味のラテン語より。

若い頃に希死念慮で苦しんでいた私は自殺未遂とうつを繰り返してきました。でも人生は苦しむためにあるのではない、という当たり前のことを心底感じられるようになった今、自分にできることをしたい。あなたのサポートがそれを後押ししてくれます。一緒にこの世界を輝かせていきませんか?