![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/85099865/rectangle_large_type_2_e7742f6d125e81b5b6091e778a149790.png?width=1200)
Photo by
ウジェーヌ・ドラクロワ / メトロポリタン美術館
怒りについて、自由研究
どこへいってしまったのでしょうか。
折りたたみ式から折りたたまない式、白黒からカラー、進化したあげく、ガラケーという最終形態にたどり着いたあの通信端末は。
一気にもてはやされ、使い倒され、そうして用済みになっていく。
哀れだと思われるでしょうか。
戦後の経済を支えたのは、たくさんの男たちでした。
家庭から切り離されて働き、お酒とギャンブル、金のかかる遊びしか学ばず、時に怒りにまかせて家族を殴り、何らかの不運によって職を失えば社会からも切り離されて孤独にまみれて死んでいく。
そんな男たちが作ったシステムの中で生まれ、稼いだ金で育てられ、彼らの血をひくのがわたしたちです。
人は、ガラケーみたいに処分されて終わり、というわけではない。
負わされた傷は、負債はどこかへめぐり、誰かがツケを払わねばならない。
わたしたちの中に沈む怒りは、どこからきたのでしょう。
そして、怒りの種をまいたのは、もとをたどれば、はるか昔から続く果てしなく、こんがらがった手に負えないほどのサーガではないか。
とりあえず、わたしの怒りのはけ口は小説。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?