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数々の不思議な体験を伝えようと思ったのには理由があります✨


きょうはクリスマスイブですね。
おてやわらかに、という感じのホワイトクリスマスになりそうです🎄🎁✨

私の不思議な体験は幼い頃からの出来事で、大人になってからも忘れた頃に更新されるので、尽きることがありません。


普通にはあり得ないことですが

……この普通とは何でしょう?

権威を持った誰かが、この果てしない宇宙のなかの、ほんの少しの決まりごとのように見える何かを発見して認めたこと、でしょうか…

科学が万能だなんて、科学者はおもっていないから飽くなき追求に人生をかけているのだと思います。

そして知れば知るほど
ここまでおいで~と
微笑みながら軽やかに逃げていく

まだまだ尻尾の先さえも捕まえられない…
かと思えばすぐ身近に知らない力?法則が存在する

私の世界に対するイメージはそんな感じです。


明らかに「普通とはちがう現象」
その体験を話そうと決心したのには
理由があります。

ずっと前は信じてもらえないという諦めがありました。

それと、生産性や物質だけが資本主義のなかで最も価値あるものかのように、経済成長の時代には、
物、物、物
もっともっともっと

まるで物質中毒のなかで、みんなが踊っていたかのような世界のなかで
重力に逆らう現象や
見えるはずのないものや
受け取った小さなメッセージなど

そんなものは何の価値もないと一蹴りされて終わるのだと感じていましたし

何より私自身も、そんな嵐のような流れのなかで、まるで仕事中毒かのごとく過ごす毎日を生きていました。


婦人服を取り扱う家業を継ぎ、売り上げをキープしなきゃというプレッシャーとスタッフさんたちへの責任と
いつの間にか増えていった沢山のペットたちのお世話という毎日。
それでも仕事が好きという事が私にとって唯一の救いだったのですが

突然、母の体調が悪くなり
そこから母の介護や通院、入院
父のお世話までが仕事に加わった数年間は、私の気力体力を遥かに超えていました。

だけど、やらないと前には進まない日々。

私は私を顧みることをやめて毎日やらなくてはいけないことをやり続け
とうとう母が逝ってしまったあと、
半分もぬけの殻のような心になった私がいて…

身体だけでも少しは楽になったはずなのに、私の身体には訳のわからない異変が起きて大学病院で検査をすることになりました。


その時の症状は
身体の関節という関節は全て痛くて
頭痛、時には吐き気、味覚異常
それでも仕事での代わりはいなかったので、疲れた顔をしてるくらいで
誰もが特に気付かなかったと思います。私のなかでは、やっとの思いで生活していた、そんな毎日でした。

大学病院での検査は血液検査や
口のなかの細胞をとり、生検と言われるものをやった結果、
浸潤が見られると言うことで
膠原病予備軍と診断されました。
予備軍と言っても、生検で浸潤が認められれば、血液検査より確かなのだともお聞きしました。

膠原病(シェーグレン症候群)聞いたことはありましたが、どんな病気なのかよく知らないので色々と調べて見ましたが、それは、とても希望の持てる病ではありませんでした。

すぐに死ぬ事がなくても
父もいて、仕事もあり、数匹のペットのお世話もあります。
少しづつ悪くなったとしても困ります。

それなのに、最悪ひどくなったらステロイド、それ意外に何の治療も治るという薬もないのです。

だから難病というのだともわかりました。

この世には原因がわからず、薬や治療法もない病気が世界中に溢れているのだと、自分がそうなった時、はじめて気づいたものです。

そう言えば、ずいぶん昔にお客様で膠原病だと話されていた方が二人いらした事を思い出しました。

一人はご来店されることもなくなり
もう一人はやがて寝たきりになり亡くなったと聞いていたことを思い出しました。

膠原病にもたくさんの種類があるようですが、どれにしても気楽でいられるものではありません。

大学病院の私の担当の先生は
私と同じ年らしく
気さくな、とても優しい先生でした。

明るい先生が時々疲れたように暗い表情になられるのは、
待合室にいる数人の女性たちの様子を見たら。。先生の気持ちがわかるようでした。

この病気の発生は、40代くらいの女性が最も多いらしく、私はそれほど早い方ではなくて、数人のOLさんらしき女性たちは、みんなまだまだ娘さんらしさを残したようなきれいな人達なのに、みんなが同じように下を向いて
座っている姿は、そこだけすっぽりと暗い闇で包まれたかのように見えました。


帰宅して一人の時間になったとき、
私は何故か妙に冷静になって考えました。
(治療がないって困ったな…
だったら、自分で治すしかない)

医学知識なんて当然ない私が、自分で治すしかない、と確信めいて感じたのも変ですが本気でそう思いました。

というか、原因は自分しかわからない、そう思ったのがより近い感覚だったと思います。


長い間、あまりにも自分の身体を酷使し、ストレスも無視してきたのです。
それは充分に思い当たります。
仕方ないとはいえ、緊張の連続で、やらねば!という見えない鉄の鎧のようなもので私は私を縛ってきたのです。

なので、治るにはそれを解いていくしかない!と確信していました。

誰に習ったわけでもないのに、
不思議と細胞レベルから身体をリラックスしてほぐしていくのは、呼吸しかない、とわかりました。

人は呼吸で生きています。
身体の隅々、頭の隅々、感覚、血管や神経の隅々、これらは呼吸と意識で緩められるような、そんな気がしたのです。

瞑想のようなポーズをとり、
軽く目を閉じ、頭のてっぺんから呼吸とともに意識をやりました。
あ、ここに力が入ってる、気がつくとその力を抜いてみる、そうするとまた反対側の違うところに力が入ってると気がつくのです。

力を出来るだけぬいて、何もかも忘れて、脱力だけに徹しました。

一人の時間が出来た時、毎日毎日そんな事を続けていました。

そうすると、不思議なことに少しづつ頭痛や身体中の痛みが弱くなっていったのです。

時々味覚異常も出ていましたから
何でもは食べれなくて
なぜか口にできるものは、
玄米の炊いたものをわずかと
お味噌汁と、少しの香のもの(お漬け物)これだけでした。

これしか食べれないし、今はこれで良いのだと何故か思っていました。

そして、これは余談ですが少しでも痛みを取るものを真剣に探していて
ネットの検索もしました。

今でも取り扱ってる商材のひとつに
薬石の抽出液をいれたクリームというのが見つかって、
私の仕事は婦人服をメインに、小物、雑貨というものですから、少し異業種になるのですが、単にお客として使用するつもりで連絡したつもりが、九州エリアを担当の営業のかたは、わざわざお店まで来てくださって、詳しい説明をしてくださったのです。

日本人には珍しいほど抜けるような肌の白いきれいな女性で、何より真面目な感じの方でした。

呼吸法を続けながら、接客が途切れた時間は、このクリームを痛い首筋から肩まで、さらには肘や手首までへと、すり込むというのも毎日続けました。


そうしていると、少しづつではありますが、痛みが半減していき、
通院先の大学病院の先生からは
最近はあまり痛くもなく、それほどきつくもないのですよと伝えたときに、「美和子さんの言葉に救われます」と言われたのが未だに忘れられません。

単純な私は、治療法が見つからない病気の担当医師なんてとても気の毒!
すごく良い先生だから私は絶体に良くなってみせよう!と本気で思ったのです。

ある時先生に
「先生、世界中の症例で
この病気で完治した例はありますか?」とたずねると

まっすぐ前をみてらした先生は少しだけ視線を落とし、少しの間沈黙したあと

「あります」と言ってくださったのです。

私自身は勝手に調べたなかには治らないような事しか目にしてなかったので

先生の思いやりに満ちた言葉は
私には最高のエールに聞こえました。

その時
よし!その言葉にのった!と決心した私がいたのです。
時として言葉は見えないお守りになります✨


ここからが、不思議な体験が活かされた大切なことに繋がるのですが

子供の時、家にあったかたい金属のスプーンを、次々と曲げてしまい母からお家で使うものがなくなるから、みわちゃん、そろそろスプーンはやめようね、と言われた事があるのです。


あれはインチキとか色んな情報がありますが、インチキでやってる人は別として、あの現象は本当にあるのです。
力などではありません。

金属が人の意思でぐにゃぐにゃになります。

それを子供の時に感覚としてわかってしまった体験から(その後色んな刷り込みや理由がありやめてしまい出来なくなりましたが)

この世の絶体というのがあてにならないという感覚がどこかに生まれてしまってるのです。

もちろん、何か不調があれば病院へ行きます。
それは治療していただけるからです。

でも、難病として治療方がない、ひどくなったらステロイド、そうなるまで
身体じゅうの痛みや味覚異常は何もかわりません。

だとしたら、これは自分でどうにかするしかない、どうにかできる!と思えたのは
【子供の時に自分がそう思ったら
そうなったこと】の体験があったからです。

私が伝えたいのは、万が一誰かが絶望の淵にたたされた時、
何か方法はあるということを思い出してほしいと言うことです。

これは、すぐに忘れてしまいそうになる私自身にもくりかえし思い出させています。

それが必ず呼吸法ではないかもしれません。

80%ほども良くなってしまった私は東京の自己啓発のようなセミナーに生まれてはじめて参加しました。

福岡県から一人でよく行ったなぁと思いますが
このセミナーは、ある人との出会いのために行ったとしか考えられません。

80%治ったということは、たまにくる弱くなった痛みや
味覚異常に対する恐怖が20%ほどは残っていたのです。

あとは考え方、気の持ち方が大切だと感じて参加したセミナーだったのですが、ほとんどの人が多額のお金を掴むこと、このために集まっていたのだと感じました。

それはそれで大事な事だとは思いますが…

そのセミナーの中で、ある日、ひょんな事から偶然にある人がヒーラーだとわかり、その人の友人を介して紹介してもらい、繋がりました。

ヒーリングというのは、何となくそんなものもあるらしい、くらいの知識でした。

今ではヒーリングという言葉はよく耳にするようになった反面、民間療法の
危険性も有名人の死により、危険視されるようにもなりました。
色んな人と様々なケースがあり
慎重な判断は重要だと思います。

その時の私は、ピンとくるものがあり
急いで会わないといけない!
そう感じて、遠隔ヒーリングというものを受けることになり

結果は.…

時間は3ヶ月ほどかかりましたが
あれから6年以上たち一度も症状は出ていません。

私の状態を視て地元の個人病院の先生は、最初からちがってたのじゃないかな?のような事まで言われました。

そのくらい症状が消えてしまったのです。

ヒーリングをうけて、治ったと信じて治ったんじゃない?と言われるとしたら、

それでも余計良かった!とも言えます。
薬による副作用もなく
投薬したり切ったりしないと治療ではないとしたら、それは本末転倒になります。
治ることが一番大切な事なのですから。

もちろん医学で治るものはちゃんと通院して治すのが良いと思います。
世界中の方々が治すための研究をしてくださってるのですから。


それに人は寿命というのがあるのも本当だと思いますし、寿命がきたら何をどうしても、身体は違うものへ変化、移行しようとする気がします。

でも、そうではないとき、
病だけではなく、全てにおいて
手立てがない、と感じてしまった時

この世界には見えない力が隠れていることを思い出して欲しいのです。

そして、それが特別な人だけのものではなくて、本気で必要なときは誰にでも現れるのだと思うのです。

本気で必要というより

まるっきりそう思う
これが大人になってからはなかなか難しい事ではありますが

本当にそれがカギだと思います。

なので、今の科学では説明出来ない体験の数々を私は伝えようと思っています。

それは呆れるほど、色んな事が起き続けました。
まるで昔読んだ星新一の本の世界のようです。


そんなわけで、次回は意識で家電が動いてしまった体験を伝えます。


今夜はクリスマスイブ
山下達郎さんの歌が聴こえます💚
そして、これからワインでも頂こうと思います。

あたたかくして良い夜をお過ごし下さい。

きょうも読んで下さってありがとうございます✨✨(^.^)(-.-)(__)

















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