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児相に行けと言われ続けた発達障害児が医者になって障がい者就労支援のために大借金背負ってドライフルーツを売ってみた⑧ ~中学校編
記事の更新に時間がかかってしまったのは、世を忍ぶ仮の本業が忙しかったのと、小学校高学年以上から高校2年生まで、私の記憶が途切れ途切れで、映像の欠片がふと浮かんでも、時系列もわからず、すっと消えて行ってしまい、何も書けなくなったからです。 特に学校生活での記憶がすっぽりと欠落しているのです。 「他人と馴染めない自分」問題と「酒乱親父とメンヘラ母」問題に加え、二次性徴の出現により体重が増加し自分の容姿に対するコンプレックスも抱えるようになっていたのは何となく覚えています。 そ
児相に行けと言われ続けた発達障害児が医者になって障がい者就労支援のために大借金背負ってドライフルーツを売ってみた⑦ ~学童期後編
父の酒乱は相変わらずで、暴力事件を起こして謹慎処分になったり、外で飲んでは散財し、共働きなのに家計は苦しかったようです。 でも、田舎特有のお節介のおかげで、洋服はおさがりをもらったり、野菜も近所の人がくれたり、ハム工場に勤める近所のおばさんがいつも期限切れのハムや冷凍肉をくれたので、ひもじい思いはせずに済みました。 母が残業で遅くなり夕食の時間が遅くなると、父の機嫌が悪くなり、母が帰って来た時に父が母を詰るのが嫌で、自然と私が夕食を作って父に食べさせるようになりました。
児相に行けと言われ続けた発達障害児が医者になって障がい者就労支援のために大借金背負ってドライフルーツを売ってみた⑥ ~学童期中編
小学校中学年になると私の興味は学校の中では止まらず、大自然の神秘、生命の不思議へと誘われます。 気になったら、気になった時に、自分で体験、探求しないと気が済まない。もちろん、小学校の教室でおとなしく座って授業など聞けるはずもありません。 この頃、同級生と遊ぶ時不思議な現象が起きるようになります。 放課後にみんなが遊んでいるところに寄せてもらおうとすると、必ずそれまでの遊びをやめて「ポコペン」という遊びが始まるのです。 「ポコペン」というのは、鬼の背中をつついてポコペンの
児相に行けと言われ続けた発達障害児が医者になって障がい者就労支援のために大借金背負ってドライフルーツを売ってみた⑤ ~学童期前編
もう少し、祖母の話をさせて下さい。 祖母は九州の田舎の名家の出身で代々教職に就いている家系だったそうで、正看護師になり従軍看護師として大連に渡り、そこで職業軍人だった祖父と結婚しました。母も大連で生まれ、その頃は家に住み込みのお手伝いさんがいるような裕福な暮らしをしていたそうです。そこで終戦を迎え、祖父もシベリアに収容されたまま行方不明で、祖母は母を連れて命辛々帰国したと言っていました。その後、復員して帰国した祖父と山陰の奥地に家族で移住したそうです。母が後に近所に帰国した