児相に行けと言われ続けた発達障害児が医者になって障がい者就労支援のために大借金背負ってドライフルーツを売ってみた⑥ ~学童期中編
小学校中学年になると私の興味は学校の中では止まらず、大自然の神秘、生命の不思議へと誘われます。
気になったら、気になった時に、自分で体験、探求しないと気が済まない。もちろん、小学校の教室でおとなしく座って授業など聞けるはずもありません。
この頃、同級生と遊ぶ時不思議な現象が起きるようになります。
放課後にみんなが遊んでいるところに寄せてもらおうとすると、必ずそれまでの遊びをやめて「ポコペン」という遊びが始まるのです。
「ポコペン」というのは、鬼の背中をつついてポコペンの歌をうたった後に隠れんぼする「缶蹴り」に似た遊びです。
鬼がみんなに背を向けて、みんなで鬼の背中をつつきます。
「ポコペン、ポコペン、だーれが最後に突っついた、ポコペン」と最後に突いた人が誰かを鬼が推測して指名し、当てられた人、または間違えた鬼が、100数えるまでにみんながかくれんぼするというルールで、多分全国的にいろんな呼び名で存在するポピュラーな遊びだと思います。
私が行くとポコペンが始まり、不思議と必ず私が鬼になります。
そして100数えるとみんな上手に隠れるので絶対に見つからないのです。
探しているうちに私はカエルや木の実をとるのに夢中になりみんなと遊んでいるのを忘れてしまいます。
次に気付いた時にはみんなは別の場所で別の遊びをしていました。
そこで声をかけるとまたポコペンが始まる。。。
そうです。みんな私と絡むと色々面倒なことやトラブルになるので上手に私を避ける方法を会得していたのでした。
そんな空気も読めずに、無邪気に「なんだ皆こんな所にいたのかあ」と懲りずにまた寄せてもらおうとする。
みんなからすると、ちょっとしたホラーですなあ。
逃げても逃げても追いかけてくる何かに見えたことでしょう。
そんなこんなで放課後は一人で遊ぶことが多かった私ですが、孤独に震えるでもなく、ど田舎の大自然が私の遊び相手をしてくれていたので伸び伸びと好奇心の赴くまま遊んだのでした。
実家と小学校の周辺は、山、川、田んぼがあり、川魚、オタマジャクシやカエル、蛇、蜘蛛、トンボ、野犬、いろんな味の木の実、草などの私の好奇心を刺激するネタが豊富に溢れていました。
カエルや蛇、イモリなどの爬虫類も大好きで、とにかく沢山、バケツやタッパーに一杯の爬虫類を夢中で集めていました。
アオダイショウが大好きで本気で家で飼おうとして、衣装ケースに入れて生き餌のカエルを捕りに行っている間に母にバレて泣く泣く放してやりました。
マムシを生け捕りにして持って行くと500円札をくれるおばちゃんがいて、何回か捕まえてもらった500円札で同級生に駄菓子を奢っているのが学校にバレてマムシ捕りを禁止されたこともありました。
川魚を何十匹も捕まえては、当時行商に来ていた魚屋さんの真似をして見よう見マネで魚を3枚に下ろしたり、内臓から浮き袋だけ分けて集めて何十個もの浮き袋の触感を楽しんだり、魚をピンク色のペンキを塗って放流したりしていました。
田舎で育った人なら一度はやったことあるありふれた事だと思うのですが、小学生の女の子が毎日おびただしい数の爬虫類や虫や内臓を嬉々として扱っているのが、見かけた人には狂気に見えたのでしょう。
3年生になったある日の放課後、養護の先生に保健室に連れて行かれ、知らない女の人から「これはみんな一人づつやるテストなんだよ。」と何かのテストをやらされました。模様のパターンを選んだり積み木の数を数えたりパズルのようなテストで、最初はめんどくさかったのが、だんだん楽しくなって来て積み木を数える問題をどんどん解いて行くのを見て、その女の人がとても驚いていたのを覚えています。
今考えると、日常の癇癪や授業態度も手がつけられなくなり超問題児となった私を親がなかなか児童相談所に連れて行かないのに痺れを切らした学校が、児童相談所から臨床心理士の先生を派遣してもらって知能検査をしたのだと思います。
結局、そのテストの結果は、その時には何も教えてもらえませんでした。
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