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児相に行けと言われ続けた発達障害児が医者になって障がい者就労支援のために大借金背負ってドライフルーツを売ってみた①

まず、なんで医者の私がドライフルーツなんて売ってんだって話ですよね。

どこから話しましょうか。

いまから約20年ほどの前の話です。

私は医師となり、精神科の専門医として、とある病院に勤務していました。
私が医師となるまでの話はまた後日。。。

精神科の外来診療をしていたある日、80歳代のおばあちゃんが精神疾患を患っている50歳くらいの息子さんを患者として連れて受診して来られました。労をねぎらう私に、そのおばあちゃんは穏やかに笑ってこう言ったのです。

「私はこの子を看取ってからでないと、死ねんのです。」

こんなことを願わないといけない社会ってなんなんだろう。

我が子より安心して先に死ねない社会って。

自分は精神科医として何をしてきたんだろう。

自分に、何かできないんだろうか。

またある時、20代で統合失調症を発症した女の子が「こんな病気になったら働くことも結婚することもできない」と悲観しているのに出会いました。

「そんなことないよ、きっと仕事も結婚も…」と慰めたけれど、その女の子はこう言いました。

「じゃあ、どこにそんな人いるの、こんな病気になっても仕事もして結婚もしている人がいるっていうなら、連れてきて」

私はその場では返事はできませんでした。そういう例がないか調べてみたけれど、見つかりませんでした。
当時、障がい者が通う、福祉作業所は、安い相場の「バザー」で素朴なクッキーや手芸品を安い値段で売り、働いていても、食べてはいけないような低い賃金しかもらえていないのが現実だったのです。

その子の宿題に答えられないまま、その子はこの世を去ってしまいました。

もし、障がいのある人でも、働いた分だけお給料がちゃんともらえるような場、色んな人がそれぞれに活躍できる場があれば、障がい者本人も、その親も、未来に絶望しなくても良くなるんじゃないのだろうか。

そして、私が見たい、見せたいと願ったのは『障がい者も健常者もごちゃまぜで働く世界』です。

そう思ったらじっとしていられないのが性分の私は気づいたら、東京で開かれる、起業家経営塾の申し込みをしていました。

まだ、子供も小さくて、週末ごとに東京に行くなんてとても無理をしないといけないのに。

しかも普通、医師なら福祉の勉強をして福祉作業所を作ればいいのに、私はまず金儲けの方法を勉強しようと思い立ったのです。

うう、もう眠たい。
今朝も5時から往診していたので、今日はもう寝ます。。

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。

続きはまた明日。


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