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古事記と映画【DESTINY 鎌倉ものがたり】

私は、何か作業をするときに映画や録画したものを流したままにすることがあります

学生の頃には、録画したF1のレースが多かったですし、それ以後は、【仁義なき戦い】という映画が多いです。

もう何度も観た映画なので、映画に集中することなく作業を進めることができるので、ついつい流しっぱなしにしてます。

何故か、そのほうが集中できるんです、不思議ですよね~(笑

最近も【DESTINY 鎌倉ものがたり】を流しながら作業していました。

何となく顔をあげるとある場面で目が止まり、

「えっ?!
 これは…」

と思う場面がでてきました。

その場面は、

主人公の一色正和(堺雅人)は、不慮の事故で黄泉の国に旅立った嫁の一色亜紀子(高畑充希)を、元の世界へ連れ戻しに黄泉の国へ向かいます。

家政婦のキン(中村玉緒)に、黄泉の国に行ったらこの住所を訪ねるようにと言われていたので、その住所を訪ねました。

出てきたのは亡くなった母(鶴田真由)。

その後ろから出てきたのが…
甲滝五四朗(三浦友和)と正和が思っていた父、一色宏太郎でした。

父も正和と同じく亡くなった母を連れ戻しに黄泉の国に来たものの、帰る術がわからず黄泉の国に居着いくしかなかったという話しなのです。

でもこの類いの話しをどこかで聞いたことがあると記憶をさぐると…。

あった、ありました!

なんと!

古事記のイザナギ、イザナミの話しではありませんか!

話しの流れは違いますが、なくなったイザナミを連れ帰ろうとイザナギは黄泉の国に行きました。

が、

黄泉の国の食べ物を食べてしまったイザナミは醜い姿になっていたので、黄泉の国から逃げ帰ったとい話しです。

DESTINY 鎌倉ものがたり】では、黄泉の国の住人になっても醜い姿ではなかったですが、でも、イザナミの姿が醜くなったからと逃げ帰るイザナギはいかがなものとと思いました。

話しを戻しますが、

亡くなった母と連れ戻しに来た父は、黄泉の国から帰ることは出来ませんでした。

しかし、正和と亜紀子はもとの世界に帰ることができたのです。

それは、貧乏神が一色家に取り憑いたときに、亜紀子は貧乏神だからと邪険な扱いをせず、貧乏神も神だと敬ったからでした。
(正和もなんやかんやと言いながら、せっかくだからと朝ごはんを一緒に食べてましたが)

そのおかげで、神の助けがあり元の世界へ戻れたのです。

貧乏神が取り憑くには、取り憑く理由があります。
(この理由は、また別の機会で)

なのに貧乏神だからと邪険に扱うのは、本当はおかしなことなのです。

神を神として敬うのは、当たり前を当たり前とすることなのです。

感情的に好き嫌いで物事を扱うのではなく、起こった現実を受け入れるのが当たり前なのです。

貧乏神とのやりとりを見てると、一色正和、亜紀子夫妻は、例え貧乏神が取り憑いたとしても、その出来事を受け入れているのがわかります。

本人たちの顕在意識で理解してるかはわかりませんが、そこに神への信仰があるのだと思います。

神への信仰があるからこそ、そこに真実の愛が芽生えるのです。

そう考えると、姿形で判断したイザナギはイケてないですね。

そこに真実の愛がないことがわります。

日本を生み出した神さまが、実はイケてない神さまとは…。

何か非常にまずい気がしますね。

でもよく考えてみると、神さまに真実の愛がないと考えるのは、ちょっと無理があるように思います。

となると、古事記日本書紀は何かを隠しているのかもしれません。

このあたりの小難しい話しは、その類いの話しが好きな人に任せて、我々は、真実の愛に目覚める探究をさらに深めていき、さらなる世界平和へ貢献していくのがひとつの役割だと思っています。

夫婦が真実の愛で結ばれ、さらに愛を育むからこそ子どもを含めた家族が幸せになり、そんな家族が増えるからこそ社会が幸せになる。

そして幸せな世界が広がる。

これが幸せの方程式だと私は思っています。

だからまず自分を幸せにするのです。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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