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「大学進学よりも稼ぎたい」地元・栃木を飛び出し、18歳でエンジニアになったSさんの武者修行

18歳で社会に出る決意

「入社したときはまだ18歳ですね」

メガネが似合うSさんは飄々とした表情でこう語る。現在、ドヴァのプラットフォームサービス部門に所属するエンジニアだ。彼は大学に行かず、高校を卒業して7カ月後にドヴァに入社した。

別に勉強が嫌いだったわけではない。むしろ得意なほうだろう。なぜなら、栃木県で有数の進学校に通っていたからだ。同校は現役で国公立大学に合格する生徒も多い名門である。

「僕以外は皆、進学していました。浪人してでも。多分、大学進学率は99%。でも、僕は大学に行く意味を感じなくて」

ほとんどの同級生はまだ大学生生活を送っている。他方、SさんはたくさんのIT機器に囲まれながら、PCモニタに向き合い続ける日々を過ごしている。社会人になって2年半、彼の歩みをたどった。

大学に行く意義があるか考えた

 先にSさんの簡単なプロフィールだけ紹介しておきたい。

サッカー日韓ワールドカップを直前に控えた2002年2月に生まれて、栃木県で育ったSさんは、中学生の頃までは大学に進学する気満々だった。毎日のように受験塾に通い熱心に勉強して、屈指の地元公立校に入学。順風満帆な人生が待っているはずだった。

「高校のノリと中学のノリが全然違って。高校生になったら皆、真面目になっちゃって、あー、ミスったなと。勉強して良い学校に行ったけど、友達と話が合いませんでした」

例えば、アニメの話をしたかったのに、それをできる友人が周囲にいない。逆に友人から出てくるのは勉強の話題ばかり。馴染めなかった。

当時、Sさんはオンラインゲームに熱中していて、そこで親しくなった大学生や社会人に、「大学ってどうなの?」と尋ねてみた。すると、Sさんが欲している知識や技術は得られそうにないことがわかった。具体的には、すぐに仕事に生かせるような、実践的なスキルである。早く働いてお金を稼ぎたいと思っていたSさんは、「大学に行ってまでしたいことはないな」と結論づける。

20年3月に高校を卒業すると、民間企業が運営するプログラミングスクールに通う。通うといっても、ちょうど新型コロナウイルスが世界を襲い始めたばかりの頃だったため、自宅でのリモート授業だった。そこでプログラミングの基礎を学んだり、Webサイト構築をしたりした。

そのスクールは就職斡旋もしていた。言われるがままに数社の面接を受けた中で出会ったのがドヴァだった。

ドヴァへ入社。はじめての社会経験

 オンラインによる面接をパスし、2021年1月に入社。ドヴァとしても、高校卒業して間もない未経験者を採用するのは初めてだったため、異例の対応をとることになった。

「本来であればどこかの部署に入るわけですが、僕は無所属で、何年か勉強した後に本配属されることになりました。ただ最初に言われたのが、仕事をするよりも、まずは会社を楽しんでもらうのが一番ということ。社長も、『新入社員で、仕事で成果をあげよう!とか考えなくていい。まずはこの組織を知り、そして組織を好きになって貰ったら、やがて自分が社会に貢献出来る手段として組織を活用したら良いよ。最初から成果を求めたりしないし、責任を負わせる事も絶対にしないよ』と言ってくれました。それで気持ちが楽になりました」

入社して3カ月間は、毎日プログラミングのトレーニングを積んだ。与えられた課題をこなしながら技術の習得に励んだ。並行して手が空いた時は社内の手伝いをした。例えば、自社開発サービスのRPA「アシロボ®」のシナリオ作りである。

「総務の人たちに困りごとを聞いて、社内業務で自動化できそうなものをアシロボに置き換えるようにしました。まずは自分で自動化のシナリオを作り、それを先輩エンジニアにチェックしてもらい、ブラッシュアップしていきました。シナリオ作成もプログラミングに通ずるところがあるので、勉強になりました」

トライ&エラーの日々

 先輩社員のサポートがあったとはいえ、プログラミングのスキルアップには四苦八苦した。最初は何がわからないのか、それ自体がわからなかったという。「先輩に質問するにしても、ある程度自分で調べてからでなくてはいけません。でも、それすらできませんでした」とSさんは回想する。

とはいえ、少しずつ前進するしかない。壁にぶつかると、どこが理解できないのかを自分なりに整理し、先輩社員に質問を投げる。アドバイスをもらい、一歩先に進んで、また壁にぶつかったら質問する。それを地道に繰り返した。

「まずはどこが問題だと思っているのかを先輩に理解してもらうために、僕はこういうことをして、こういうエラーが起きたという風に手順をまとめました。そのうちにだんだんとエラーのログも読み解けるようになっていきました」

Sさんは相手に質問をする際、肝に銘じていることがある。それは効率的に聞くこと。中学生の頃に身につけた習慣だった。

「中学生のとき、塾の先生に言われたんです。それまでは友達によく『この問題どうやって解くの? ヒントちょうだい』と聞いていたのですが、それを見ていた先生から『せっかく塾に来てるのだから、先生をアテにしてよ。友達があなたに勉強を教えている時って、本当は友達は違う勉強がしたいのに、その時間を使って教えてくれてるんだよ』と。そう言われるまでは、質問することがそんなに重いものとは考えていなくて、単に会話するくらいにとらえていました。でも、見方を変えれば、相手の貴重な時間を奪って、自分のために費やしてもらっているのだと」

こうした考え方がベースにあったため、Sさんはドヴァに入ってから最初はなるべく質問をしないように思っていた。ただ、一人で悶々と2週間も考えて、何もアウトプットが出なくては本末転倒である。質問するべきか、否か。今でもその差配が難しいという。

働いてみて実感する、仕事の基本の大切さ

 エンジニアとしての土台づくりと並行して、社会人としての振る舞いやビジネスマナーも叩き込まれた。中でも日々役に立っているのが、メモの取り方である。

「メモの大切さを、自分ではそこまで感じることはありませんでした。今までもメモは取っていたけど、ざっくりとしたものだったんです。ただ、ある日の研修で習ったプログラミングと同じものをもう一度作ってみてと言われて困りました。つまり、研修と言いながらも、今後仕事で使う内容を勉強しているわけだから、いざその時に円滑に作業が進められるようなメモを本来は取らないといけないのです。そのことを強く学びました」

日報についても細かく指導された。だらだらと冗長的な文章で報告するのではなく、なるべく読む相手に時間を取らせないように、簡潔にまとめて伝える。例えば、結論から書いたり、その理由を箇条書きにしたり。

「こうしたアドバイスは先輩からもらえるし、実際に先輩のメモなどを見て、『ああ、こういう工夫があるんだ』と習得もしました」

コミュニケーションが人間性を育む

 右も左もわからない中で自己研鑽していくのは大変だったが、ありがたく感じたのは、周囲の先輩たちがフレンドリーだったこと。これはSさんにとって驚きだった。

「僕が持っていた社会のイメージは、偉い人は態度が大きくて、喋りかけにくい。でも、そんなことはなく、社長とも話しますし、技術力があって頼りになる人たちが多いです」

ドヴァには誰とでも気軽にコミュニケーションがとれる雰囲気があるという。そして、それは個々の人間性に大きく関わっているとSさんは見ている。

「皆さん、否定からは入りません。例えば、質問した時に『それは絶対にあり得ない』とは言われません。世の中には他人の意見をまず否定する人は多いと思うけど、社員の人たちは一旦受け止めてくれて、もし違う考え方もあれば諭して、一つ一つ噛み砕いて意見してくれます。それによって自分の足りない知識が何か気づくし、理解が進むきっかけにもなります」

温かく見守られながら社会人のルーキーイヤーを過ごしたSさん。2年目になると、いよいよ実践的な業務にも携わるようになる。その中でもSさんにとって忘れられないのが、“社内ファイルサーバ消失事件”のことだった。

(後編に続く)

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