見出し画像

貨幣経済の歴史と江戸時代の経済

先日、地方通貨に触れた。
資産を持っていない若者の救世主になりうるものだと思った。

なので、これから地域通貨について勉強していきたいと思います。
今日は一歩目として、貨幣経済の歴史と通貨発行の基礎を学びたいと思います。

モンゴル帝国に始まる世界史

世界史はモンゴル帝国に始まると言われる。
それは東西世界をつなげたからだ。
西洋史・中国史 バラバラだったものの接着剤になったのである。

それはその帝国の姿を表す。
モンゴル帝国と言えば凄惨な破壊のイメージだ。
それは半分正しく、半分間違っている。

正確には「歯向かうものには厳しく、従うものには寛容」という点だ。

モンゴル帝国は街道を整備し、商人の保護をした。
宗教にも寛容だった。それゆえにモンゴルのイスラム化などが多く発生している。
それにより多くの文化が融合することができた。

資本主義の流れは東⇨西

そしてもう一つ大事なことがある。
それは資本主義をヨーロッパに伝えたのがモンゴル帝国であったということだ。
資本主義はヨーロッパの専売特許のイメージがある。
しかし、実態としては中国発だ。(だが漢民族ではない)

モンゴル帝国の前に「金」が中国北部を支配していた。
中国北部は貨幣経済に必要な銅があまりとれなかった。
(銅銭を用意できない)
それゆえに、手形取引が盛んになり、「信用」という概念を生んだ。

この「信用」という概念は資本主義の基礎である

そしてこの信用や手形取引がモンゴル帝国によって、ヨーロッパに伝わる。さらにモンゴルは世界初の兌換紙幣を作った。
これにより商業がさらに活発となった。(重い金銀を運ばなくてよくなった)

「兌換紙幣(だかんしへいさつ)」は、通常、金本位制度が採用されていた時代に発行された、特定の貴金属(通常は金や銀)と交換可能な紙幣を指します。これらの紙幣は、所持者がいつでもその額面の金や銀と交換できるという兌換性(換金性)を持っていました。

兌換紙幣は、金本位制度の下で発行され、通貨において一定の安定性を確保し、通貨の信頼性を高めるための手段とされました。これにより、通貨の価値が貴金属に基づいていることが保証され、通貨の安定性が維持されることが期待されました。

金本位制度の下での兌換紙幣の例としては、19世紀から20世紀初頭までの各国の通貨が挙げられます。例えば、イギリスのポンド・スターリング、アメリカのドル、フランスのフランなどが、それぞれ金本位制度に基づいた兌換紙幣を発行していました。

ただし、金本位制度は第一次世界大戦後に破綻し、多くの国が金本位を放棄しました。その後、通貨は金や銀との兌換性を失い、現代の通貨制度は主に信用を基盤とするものとなりました。

ChatGPT

日本の貨幣

近代の貨幣史

日本円が使われだしたのは1871年である。
歴史としてもまだ160年ほどである

江戸時代は幕府が発行する小判などのほかに「地域通貨」と呼べる藩札の使用が多かった。
そう、地域通貨の方が歴史が長く、「通貨発行権」を藩主が持っていたわけである。
封建制社会では当たり前だったのかもしれないが、中央集権の今では発言するだけでテロ行為とも言われてしまう内容である。

ただ、ハイエクなどは個人で通貨を発行するべきだとも言っています。

フリードリッヒ・ハイエク(Friedrich Hayek)は、20世紀のオーストリア出身の経済学者で、自由主義や個人主義の思想で知られています。通貨発行に関するハイエクの思想は、彼の古典自由主義の立場に基づいています。以下は、ハイエクの通貨発行に関する主な考えです:

1. **競争的な通貨発行:**
- ハイエクは、通貨発行が競争的な環境で行われるべきだと主張しました。彼は、中央銀行が通貨発行の独占権を持つことは市場の効率を損なう可能性があると考えました。競争的な通貨発行が許容されると、市場メカニズムによって最も信頼性の高い通貨が選ばれ、通貨の価値が維持されると考えました。

2. **自由な通貨の発行者:**
- ハイエクは、合法的な通貨を発行できる主体は中央銀行だけでなく、他の私的機関も含まれるべきだと主張しました。個々の市場参加者や銀行も、独自の通貨を発行できる自由を持つべきだと考えました。

3. **通貨競争の利点:**
- ハイエクによれば、競争的な通貨発行は通貨の価値を安定させ、インフレーションやデフレーションを防ぐ効果があるとされました。市場参加者が異なる通貨を受け入れ、その価値を評価することで、通貨の信頼性が保たれると考えました。

4. **ゴールド標準と通貨の安定性:**
- ハイエクは、ゴールド標準を支持し、通貨を安定させるために金本位制度を採用することの利点を強調しました。ゴールド標準は、通貨の供給が自然な経済プロセスによって制約され、通貨価値が安定するとされました。

ハイエクの通貨に関する思想は、古典自由主義と市場メカニズムへの信頼に基づいており、競争的な要素が市場において通貨の価値を最適化するという立場を取っています。

ChatGPT

現在の日本銀行券は一応「日銀」が通貨を発行している(とする)。
そう、中央銀行だ。
日本における中央銀行はほぼ政府と一体という形になっている。

しかし、アメリカのFRBは民間企業であるということを忘れてはいけない。
なのでトランプ大統領が何度も苦言を呈していたのだ。
(日本と違い、安易に言うことを聞かない)

貨幣改鋳

2024年に日本の紙幣が変わるらしいです。
どういう意図で変わるのでしょうか。
一応、説明としては偽造対策だと言われておりますね。

ちなみに1万円札は1枚19円で作ることができます。
19円で作られたものがその500倍の価値を持っている。
これが何を意味するのか。

個人的には完全流通前にドルショックが来て、大幅なインフレがくる予感しかしませんが。
あとは預金封鎖だ!なんて説もありますがどうなのでしょうか。

江戸時代の貨幣改鋳

江戸時代には貨幣改鋳も何度かありました。

江戸時代の代表的な通宝とその金の含有量の変遷は以下の通りです:

1. **元禄通宝(1695年)**:
- 金含有量: 約 74.26%

2. **寛文通宝(1661年)**:
- 金含有量: 約 57.68%

3. **享保通宝(1716年)**:
- 金含有量: 約 89.62%

4. **寛延通宝(1741年)**:
- 金含有量: 約 82.52%

これらの通宝は金含有量の変動が見られ、時代とともに改鋳や調整が行われました。

ChatGPT

改鋳では金の含有率が変更される。
変更理由としては
①差益
 金貨一枚に使う金の量を100gから50gに変更するだけで差益が稼げる。
②インフレ・デフレ調整
 市中金利を調整するのが中央銀行のお仕事であるが、江戸時代にはそんなものはない。
 なので貨幣不足によるデフレの場合は貨幣改鋳により、世に出る貨幣を増やすことでデフレを抑制していた。

※金融政策(金利のコントロール)は中央銀行の大事なお仕事です。

貨幣改鋳は儲けるためでもあり、経済の潤滑化に必要なものだったのである。

経済を知らなかった3大「改革者」

正徳の治:新井白石 ⇄ 荻原重秀
享保の改革:徳川吉宗 ⇄ 尾張徳川宗春
寛政の改革:松平定信 ⇄ 田沼意次・意知

彼らは確かに有能だろう。
歴史の教科書でも大きく名前が残り、テストにも出る。
彼らが尊ばれたのは「儒教」思想者であり、質素倹約を重んじたからだ。

ちなみに⇄の右側が反対勢力(ライバル)である。
荻原重秀はデフレ脱却のため、元禄に貨幣改鋳を行った。
尾張・徳川宗春は市中にお金を落とし、当時名古屋を日本一の文化街にした。
尾張宗春は死後も墓に金網を被せられ、存在まで否定された。

田沼意次は知っての通り、重商主義・開国政策者だ。
彼の知見はオランダ商館長ティチングが絶賛している。
ライバル松平定信が田沼の功績を潰したことによりペリー来航時の対応が遅れたとまで言われている。

そう。
日本における「改革」とは質素・倹約令であり
今日の常識とされる積極財政は悪とされてきた。

それも儒教思想によるものだ。
「士農工商」は儒教の哲学
(商業は最下位)である。

そして、彼らは貨幣を元の含有量に戻して(増やして)貨幣の流通を減らしたのだ。
その結果、貨幣が足らずにデフレに舞い戻ると。

金融の流れは公式Mv=PTで表される。

M:貨幣量 v:貨幣流通速度
P:物価水準 T:取引量

貨幣改鋳により、Mとvが減った。(貨幣量と流通速度が減った)
その結果、物価と取引量が下がった。(デフレ化

さらに米本位制の社会で、米の生産は時代を経るごとに増えていく。
しかし、さらに作れ作れというのが儒教の考えだ。
(土いじりなど肉体労働が儒教の本質)

それにより、米の価格はさらに低下。(需要一定、供給増)
農民は困ったのだ。
江戸期の明君や改革者と呼ばれている人は儒教思想者で経済を知らない人が多いので注意が必要です。

基本的に重商主義者の次に質素倹約の人が出てくるので覚えやすいですが。

今日の常識で見て、明らかに逆のことをやっているのに改革者として礼賛される歴史の講義は絶対におかしいと思います。

下記、マガジンとしてまとめてます。
のぞいてみてください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?