そこは、砂漠だった。 空は、黒く厚い雲で覆いつくされている。 地上は、激しい風だけが囂々と吹き荒れる、果てもなく広がる砂原だ。 命の影が全くない景色に、雲を突き抜けてそびえたつ、たった一つの塔。 それが、少年がずっと見続ける、夢だった。 じりじりじりじり。 じりじりじりじり。 やかましくなる目覚まし時計のアラームを、真城和也(ましろかずや)は布団から出した手で止めた。 眼を開き、ベッドの上で体を起こす。窓にかかるカーテンの透き間から差し込む陽
「納得できません! 勝者が敗軍の将に母親を差し出すなど、これまでの歴史で一度も聞いたことがありません! どうか、お考え直し下さい殿下!」 蜂須賀正勝の激しい言葉が、室内を満たした。 秀吉は、うんざりした顔で、声の主を見て、ついで、他の家臣たちを見渡した。皆、黙って、主君である秀吉と、古参の家臣である正勝を、不安そうな目で見つめていた。普段の会議においては常に巧みに弁舌を振るう石田三成でさえ、沈黙を守っていた。 秀吉は、ため息をついた。やれやれ、みんなそんなに正勝が
その部屋の中では、咳の音だけが、聞こえていた。 部屋の中央に置かれたベッドの上に横たわる、一人の老人が断続的に繰り返す咳の音だけが、室内に聞こえていた。 豪華なベッドだった。 今のこの国で、このような豪華なベッドに眠ることが出来るのは、おそらく今そこに横たわる老人一人だけであろう。 ベッドに横たわる老いた男は、醜かった。 どんな人間であっても、一目見た次の瞬間には思わず目をそらしたくなるような醜さによって、その男の外見はできていた。 今まさに、病によ
https://youtu.be/fltC0rdtCQ8 「911後」の「対テロ戦争の時代」を邦画SFという枠で描いた映画。 それが、鑑賞した僕の脳裏に、真っ先に浮かんだ言葉だった。 正直僕は、鑑賞を始める前までは、この映画に対してほぼ期待を抱いていなかった。以前見た前作「バトルロワイヤル」が、僕にとっては退屈こそしないものの期待したほどの映画だとは感じられなかったからである。僕はこれまで、「バトルロワイヤル」という作品のタイトルを、「伝説」として知っていた。例えば
男がいた。 男は、孤独だった。男の仕事は、中学校の教師だった。しかし男が生きた時代、教師が無条件に教師というだけで尊敬を得られる時代は既に終わっていた。彼が勤務する学校の生徒たちは特に大人に対して従順でない少年たちであり、一人の女子を除いて彼を公然と馬鹿にした。彼らに授業をボイコットされたり、不登校の男子生徒にナイフで刺されたりした。職場だけでなく、家庭でも彼は孤独だった。彼の娘は、「息が臭いから近寄らないでよ」と彼に言い、彼のことを「おじさん」と他人であるかのように呼
女がいた。 女は美しく、知性があった。彼女が少女だった時代、彼女の生まれた中国は、海を挟んだ隣国、大日本帝国という国家から、侵略を受けていた。イギリス人の父親と中国人の母親との間に生まれた彼女は、若い男たちが皆日本軍と戦うために出征していった村を出た。そして19世紀にイギリスによって中国から奪われた街、香港の大学に進学した。いずれイギリスにいる父親が迎えに来る日を待つために。 香港の大学で、女は若き演出家の男と出会った。彼は愛国者でありながら、家族の反対のせいで、軍
私は子どものころ、福島正実の「JJJ」という小説のことが、好きだった。 この小説のことを知っている人は、今、きっと、あまりいないと思う。そもそも若い世代は福島正実という名前さえ知っている人が何人いるか、はなはだ心もとない。とはいえ、SF小説が好きで、日本におけるSF小説というジャンルの需要と定着の歴史に興味がある人ならば、確実に名前を聞いたことがあるはずだ。ただそういう人であっても知識としてあるのは「編集者・翻訳者」としての福島正実であって、「小説家・福島正実」として認
1 はじめて、エッセイを書く。 エッセイのテーマは、タイトルに全て表現されている。 そう、私は私が書いた作品が大嫌いなのだ。 「水に食ワレル」も。 「女不良教師と童貞少年」も。 「人類をほろぼす党 政見放送」も。 「想像力抑制法」も。 「僕の彼女は殺人鬼」も。 みんなみんな、大嫌いなんだ。 何故大嫌いなのか? つまらないからだ。 ページを開いても、たった一行も、たった一文字も、読み進めることが出来ないくらいに、興味を持つことができない
僕たち東城大学文芸部は、言ってみれば、オタクの集まりである。純文学に分類される話を書く人もいるものの、大多数は、世間において価値が一段低く見積もられているジャンル=ライトノベルに分類される小説を書いていた。 その中でも、昨今の流行は異世界転生だ。今回の飲み会は部誌の品評会の打ち上げだったのだが、そこで対象とされた最新号でも大半の部員が異世界に転生して、活躍して、美少女にもてて・・・・・・といった類の話を書いていた。 僕は、「それにしても、最近のライトノベルでの異世界転生
放課後、僕は、世界愛理さんに告白した。 「好きです。付き合ってください」 二人きりの教室で、僕はそういったのだ。 高校の卒業式の前日だった。 僕にとって、彼女は初恋の人だった。 高校の入学式で、初めて出会った時から、僕は彼女に憧れていた。 奇跡といっていいことに、高校生活の三年間の間、僕と彼女は、ずっと同じクラスだった。 だけど、情けないことに、僕は、彼女に好きだという気持ちを、その日まで、伝えることが出来なかった。 三年間、毎日目にしていたし、言葉を交わすこ
「僕の夢は、タイムマシンを作ることです」 小学校の卒業文集に、私はそう書いた。 幼少期の頃、私と仲の良かった友達に、Sという子がいた。私は頻繁に、彼の家に遊びに行った。彼の家には沢山の本があった。大半は分厚くて漢字だらけの、小学校低学年には読めないものだったが、中には当時の私たちでも読める漫画本もあった。 私たちが特に大好きでよく読んだ漫画は、未来からやってきた青いネコ型ロボットが出てくる漫画だった。その漫画の魅力は、主人公の少年に泣きつかれたロボットが不思議なポ
「お帰りにゃさいませ! ご主人様!」 玄関の戸を開けたら、お辞儀をしているメイドに、出迎えられた。 金髪だった。 美少女だった。 まあ、どうでもいいことだ。 自宅に見知らぬ人間がいたときに実行すべき行動は、たった一つしかない。 「もしもし、警察で」 「にゃー―――!!」 すごい勢いで、メイドは僕の持つスマホをひったくった。 「なんで110番にゃんかするのですか、ご主人様!」 「不審者が家にいたから」 「私、不審者扱いにゃんですか!?」 「え
水に体が食らいつくされる。 水は俺の体を食べたがっている。 水は生きている。生きているんだ。 誰もそれを知らない、俺以外の誰も。 もしかしたら、俺以外にも誰か、気づいたやつがいるのかもしれないが、俺はそいつの名前を知らないんだ。 俺の知る限り、水が生きているということに、水が俺たち人間の肉体を、肉を食らう獣のように食べたがっていることに気付いているのは世界で唯一人俺だけだ。 俺以外誰も、俺以外の人間は誰も、理解してくれないんだ、俺の訴えを。 ほら今だって、ベッ
僕の目の前には、今、二人の男がいた。 一人の男の肌は、歌舞伎役者の化粧のように、真っ白だった。腰巻以外肉体を露出させていて、背中には小さな鳩のような羽が生えていた。顔は、鼻が高く、目がぱっちりしていて、整っていた。 もう一人の男の肌は、泥を塗りたくったように、黒く染まっていた。もう一人と同じように腰巻以外裸で、背中に小さな羽があるの同じだが、鳩ではなく、蝙蝠の羽だった。しかし頭部は、もう一人とは全く違っていた。頭頂からは、赤く濡れた十センチの角が生えている。耳は鋭く
まず、私の名前を名乗るのが、礼儀だとわかってはいる。 しかし、私には名前がない。 君たち人類と異なり、私には、名前を付けてくれる存在がいなかったからだ。 そもそも、名前とは何だろう? ごく簡単に定義するならば、名前とは、集団の中において個体を識別するための単語である。 つまり、名前とは、必ず同類の集団を前提として必要とされる単語なのだ。 仲間がいるから、名前が必要とされる。 しかるに、私に仲間はいない。 この宇宙が誕生して以来、私と同類とみなしうる存在は、刹
九龍令子は、放課後の廊下を、浮かない表情を隠さずに歩いていた。 令子は、この美川(みかわ)男子高等学校に勤務する女性教師である。担当教科は現代国語。 今、彼女の手には一枚の紙が握られている。 絶対に紛失してはいけないという強い決意の下、両手で握られながら、しかし決して外からは見られないよう隠されたその紙の内側には、彼女へ向けられたある文面が書かれていた。 「先生へ。今日の放課後、屋上に来てください。大事なお話があります。牧野(まきの)より」 令子は、階段の前に立ち、