バトル・ロワイヤル

 男がいた。

 男は、孤独だった。男の仕事は、中学校の教師だった。しかし男が生きた時代、教師が無条件に教師というだけで尊敬を得られる時代は既に終わっていた。彼が勤務する学校の生徒たちは特に大人に対して従順でない少年たちであり、一人の女子を除いて彼を公然と馬鹿にした。彼らに授業をボイコットされたり、不登校の男子生徒にナイフで刺されたりした。職場だけでなく、家庭でも彼は孤独だった。彼の娘は、「息が臭いから近寄らないでよ」と彼に言い、彼のことを「おじさん」と他人であるかのように呼んだ。

 ある時、彼は疲れ果て、学校を辞めた。しかし二年後、彼は再び、かつて勤務した学校の生徒たちを相手に特別な授業を担当することを、国から命じられた。といっても、担当するのは三年B組だけであり、授業の期間も三日間に過ぎない。三年B組には、かつて彼を刺した不登校の男子生徒や、彼に唯一敬意を払ってくれた女子生徒も所属していた。

 バトルロワイヤル。それがその授業の科目名だった。

 授業内容は「たった一人になるまで、生徒同士で殺しあうこと」それだけだった。

 そんな授業が行われるほどに、男が生きた時代、その国は壊れていた。

 新世紀の初め、その国は壊れた。失業率は過去最高を記録し、不登校児童の数は80万人を超えていた。権威を失墜した大人たちは子どもたちを恐れ、「新世紀教育改革法」通称、バトルロワイヤル法を制定した。年に一度、全国の中学校の内一つのクラスだけを「厳正な抽選で」選び出し、無人島で三日間の殺し合いをさせるというイベントを実施する法律を制定した。

 生徒たちは、一度眠らされ、決して自力では外せない首輪を装着させられる。その首輪には小型爆弾が取り付けられている。軍によって無人島に拉致された生徒たちは武器と三日間生活できるだけの食料を配られ、殺し合いを命じられる。もし三日後に一人以上が生き残っていれば、彼らの首輪全てが爆発することになっている。彼らに「死か、殺すか」の選択肢しか与えないために。

 そんなイベントの対象として、彼が勤務していた中学校の三年B組が選ばれた。しかしそのクラスの担任教師が実施に反対したため、彼が代わりに授業を担当するように要請されたのだ。担任教師は処刑された。

 かつて彼を馬鹿にしてきた子どもたちに復讐をする機会を、彼は得た。

 しかし、そのクラスには、彼が唯一憎むことが出来なかった女子生徒がいた。

 男は、彼女に恋をしていた、のだと思う。

 男は、彼女を、死なせたくなかった。

 しかし、教師である彼と言えども、バトルロワイヤルの進行に介入し、彼女に勝たせるような権限はなかった。もし違法にそれを行い、発覚すれば、彼が処刑されるのはもちろん、不正なやり方で勝利した彼女も命を奪われるのは火を見るよりも明らかだった。

 男は、葛藤した。

 葛藤すればするほどに、彼女がバトルロワイヤルの勝利者となることを待望する気持ちは強まっていった。その想いを、彼は密かに表現するべく、絵筆を手に取った。

 他の生徒たちが皆殺し合いに敗れ、死体となった島で、一人生き残って微笑む彼女の姿を、彼は描き始めたのだ。

 絵にして、キャンバスの中に封じ込めてしまえば、自分のこの欲望も絵に封じ込められて、この苦悩から解放されるのではないかというかすかな期待もあった。実際はむしろ形にすることで、余計その願いは募ったが。

 日に日にバトルロワイヤルの実施日が近づいてくる中で、彼には一つの光明が見えた。

 バトルロワイヤルの規定として、生徒同士の殺し合いをきちんと促進させるために、過去のバトルロワイヤルの優勝者を「転校生」として参加させることが、管理者側には許されていた。

 転校生の上限は二名であり、うち一人は「文部科学省BR法推進委員会」の判断で選定済であった。桐山という、殺し合いを愛する少年だった。もう一人の選定の権限が、男に付与されていた。

 男は、過去の優勝者たちの中から、川田という少年を選んだ。三年前の「バトルロワイヤル」優勝者であった。

 男が川田を「転校生」として選んだ理由、それは川田が善人であるからだった。

 川田ならば、彼女を、中川という名のその少女を、助けてくれるかもしれない。祈るような気持で、彼は川田を転校生として、バトルロワイヤルに参加させた。

 運命の三日間が、始まった。生徒たちは、殺し合いを始めた。

 桐山は期待通りの働きをしてくれた。生徒たちを次々と殺してくれた。

 川田も期待通りの働きをしてくれた。中川と、それから彼女と仲が良い七原という少年に手を貸してくれた。彼ら三人は常に行動を共にした。

 男は無人島の一角に設置された軍の拠点である廃校で、生徒たちが数を減らしていく報告を聞き続けた。中には殺し合いへの参加を拒否して自殺を選択する生徒もいた。戦いを辞めるように皆を説得しようとしたが、桐山に殺された生徒もいた。

 コメディーのような悲劇も起きた。島からの脱出を夢見て、灯台に籠城した7人の女子生徒たちが、ささいな誤解から殺しあったのだ。

 生徒たちの首輪には盗聴器がつけられていたから、男は生徒たちのそんな様子を、知ることが出来た。

 段々と、男はむなしさを感じ始めた。

 自分は何をやっているのだろう。

 この国の大人たちは何をやっているんだろう。

 子どもたちに舐められるのが嫌だというのなら、子どもたちに尊敬されるような立派な大人になればよいだけではないか。そういう努力をしようともせずに、こうやって子どもたちに殺し合いをさせることに、一体なんの意味があるというのだろうか。

 そう思いながら、男は内心自嘲した。自分に何が言える。自分だって、娘からの尊敬を得る努力なんてしてこなかったじゃないか。

 男は、この世界に生きることが、嫌になってしまった。

 既に男は、これ以上生きることに、何の意義も、見出していなかった。かつて男を刺した男子生徒は、バトルロワイヤルの序盤にとっくに脱落して世を去っていた。復讐の相手さえ、もう男にはいなくなっていたのだ。

 この授業が終わったら、死のう。男はそう、決意した。

 死ぬ前に、彼は中川の顔をもう一度、見ておきたかった。

 彼は、拠点にしている廃校から、外に出た。雨が降っていたから、手には傘を持って。

 雨の降る森の中で、中川が、光という少女に追い詰められている光景に、遭遇した。二人とも、傘も持たずに、雨に打たれていた。

 彼の姿を見ると、光は逃げ出していった。

「よう」

 彼は、中川に挨拶をした。

「元気そうだな。七原と一緒にいるのか?」

 中川は無言だった。

「風邪ひくなよ」

 中川に、傘を渡して、彼は帰っていった。

 自分が死ぬときは、彼女に殺されたい。

 そう、心に決めて。

 その願いは、残念ながら、叶わなかった。

 今回のバトルロワイヤルは、結局失敗に終わった。川田と、七原と、中川の三人は、首輪の解除方法を知り、三人で一緒に生き残った。

 軍が撤退した後の、男一人だけが残った廃校に三人はやってきた。

 男は、中川に対して言った。

「俺さあ、無理心中したいんだよ。お前とさ」

 そういって、彼は銃を彼女に向けた。七原が、彼に向けて銃を発砲した。彼は倒れた。

「いてえな。この野郎」

 そういって彼は銃の引き金を引いた。それは本当は水鉄砲だったから、出てきたのは水だけだった。七原は発砲を止めた。

 男は立ち上がって、ソファに座った。体中に弾丸を受けて、もうすぐ死ぬことが自分でもわかっていた。彼の携帯が鳴った。彼を「おじさん」と呼ぶ娘からの電話だった。彼は電話に出た。

「もう俺、家には帰らないわ」

 開口一番、彼はそういった。無責任だと、娘は抗議した。

「馬鹿野郎。人を嫌いになる時はな、相応の覚悟をしろってことだからな」

 彼は電話を切って、目を閉じた。

 そして二度と、目を開けることはなかった。

 こうして、男の孤独な生涯は、愛した女を守ろうとした男の手で、幕を閉じた。

 後にはただ、彼が描いた、少年少女たちの死体で埋まった島に、一人の少女だけが微笑みながら立つ絵だけが、残された。

 

 

 

 

 

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