叶えたい夢
「僕の夢は、タイムマシンを作ることです」
小学校の卒業文集に、私はそう書いた。
幼少期の頃、私と仲の良かった友達に、Sという子がいた。私は頻繁に、彼の家に遊びに行った。彼の家には沢山の本があった。大半は分厚くて漢字だらけの、小学校低学年には読めないものだったが、中には当時の私たちでも読める漫画本もあった。
私たちが特に大好きでよく読んだ漫画は、未来からやってきた青いネコ型ロボットが出てくる漫画だった。その漫画の魅力は、主人公の少年に泣きつかれたロボットが不思議なポケットから出す、未来の道具の数々だった。しかし、私たちが一番強く惹かれたのは、ポケットではなく少年の机の引き出しに収納されている、タイムマシンだった。
私たちは何度も夢想し、語り合った。タイムマシンに乗り旅をする私たちを。未来都市を歩き、恐竜と追いかけっこをし、戦国の合戦に加わる私たちを!
しかし私たちは、タイムマシンが現代においては空想の産物に過ぎないことも、分かっていた。
だからある日、私は言った。
「S。僕は偉い科学者になって、タイムマシンを作ってみせるよ」
するとSは、目を輝かせて答えた。
「じゃあ出来た時は、俺を一番先に乗せてくれよ? な?」
「うん。約束する」
私は、そう言って頷いた。
その日、本屋へ言った私は、僅かな小遣いを費やして、人生で初めて漫画ではない本を買った。「タイムマシンは可能か」という、わかりやすいが一応は大人向けに書かれたその本を、私は一晩費やして読み終えた。相対性理論。ワームホール。タキオン粒子。タイムパラドックス。そんな、子供には難しい言葉が沢山出てきた。それらの意味を知るために、翌日私はまた書店へと走った。
タイムマシンを作るためには偉い科学者にならなければならない。
偉い科学者になるためには、一流の大学に行かなければならない。
一流の大学に行くためには、勉強をしなければならない。
だから私は、猛勉強した。結果、成績が上がった。それに喜んだ私の両親は、小遣いを増やしてくれた。私はその小遣いを、科学の本の購入に費やした。娯楽には一切使わなかった。
休み時間でも本を読んで勉強し、学校が終われば一目散に帰宅して勉強に取り組む。そんな生活を続ける私に、他の子供たちと遊ぶ時間などあるわけがなかった。中学生になる頃には、私の友人関係はほぼなくなっていた。
ただ一人、Sを除いては。
毎日、学校が終わると私と彼は一緒に歩いて下校した。歩きながら、私たちは会話した。といっても、Sが一方的に私に話しかけるだけだったが、歩行中に本を読むことも出来ないので、どうしても耳に入れ、相槌を打つしかなかったのだ。その頃のSの話題は、大抵は小説か映画についてのものだった。Sは小学六年生のあたりから、ハヤカワ文庫という所から出ているSF小説を、よく読むようになっていた。その感想を、私に話すのだ。
異星人との接触。未来都市を彩る犯罪。ロボットとの闘争。そして、時間旅行。それらが、Sの語る内容だった。私たちが子供の頃に読んだ、あの青いネコ型ロボットの話の延長のようなその話を聞き続けていくうちに、私は心中が白けていくのを感じていた。
(S。お前が夢中になっているのは、作家が紙の上に記した文字の連なりに過ぎない。単なる嘘だ。そんなものを読むことに時間を費やすぐらいなら、一冊でも科学の本を読まないか?)と、思ってしまうからだ。
しかし私は鬱陶しく感じながらも、決してSとの関係を断ち切ろうとはしなかった。
何故か?
唯一の友達である彼と過ごす時間を、私は大切に感じていたからだ。
あの日までは。
「なあ。お前もう少し俺以外の奴とつるんだ方が良いぞ」
その日、Sは私に真剣な表情で言った。
「せめて休み時間くらい、人と話した方が良いぜ」
「・・・余計なお世話だよ」
私は、ムッとして答えた。
「他人と下らないおしゃべりをしてる時間があったら、一秒でも勉強に使わないと・・・。そうでなけりゃ、タイムマシンの発明なんて、永遠に無理だ」
Sは、笑い出した。
「おいおい、冗談きついぜ! タイムマシンなんて出来るわけないだろ? 中学生にもなってそんなこと言うなんて・・・。・・・?」
Sは口を閉じ、私をじっと見つめた。
「おい。どうしたんだよ? そんな怖い顔をして・・・」
私はただ黙って、Sを睨んだ。
そして、言った。
「君はもう、忘れたのか」
「・・・何を?」
Sの顔に浮かぶ、不安の色。
「僕がタイムマシンを作った時、君を一番先に乗せてやるって、約束しただろ」
「いや。・・・あれ、小学校低学年の頃の話だろ? あんなの子供の戯言で、今更・・・」
「そっか」
そう言ったきり、僕は彼に背を向けて歩き始めた。
「おい、待てよ」
Sの呼びかけに、私は答えなかった。それから家に帰るまで、ずっと。次の日から、私は彼がいくら話しかけても、答えなくなった。何日かすると、彼も諦めたのか、私に話しかけなくなった。中学を卒業して別々の進路に進むまで、私とSは一度も会話をしなかった。
私は有名進学校に入学し、この国でトップクラスの大学に入学した。もちろん、専攻は物理学だ。
そこに至るまでとそれから大学を卒業するまでの間に、私は沢山の優秀な人間――教師や、共に学ぶ若者たち――に出会った。しかし、私と同じ志を持つ人間はおらず、私の夢を聞いた時に示す反応は、まるで判を押したように同じだった。最初は、私が冗談を言ったのだと思って苦笑する。しかし私が本気で言っていることを知ると、困惑した表情になり、最終的には、哀れみを含んだ視線を、私に対して浴びせるようになる。私に理解を示してくれる人は、たった一人の女性を除いていなかった。
彼女とは、大学で出会った。
「素敵な夢ね」
それが、彼女が私の夢を知った時に発した第一声だった。
それから彼女は積極的に、私と交流を持とうとしてきた。私も、食事時ぐらいは、彼女に付き合うようになっていった。
彼女は穏やかで明るく、聞き上手の女性だった。私はいつも、彼女に対して研究の話をした。当時の私はタイムマシン発明のためのアプローチを求めて、いろんな本を読んでいた。それ等で知った知識を彼女に対して語ることは、何故だかとても楽しかった。いつの間にか、彼女と一緒にいる時間は、私にとって、安らぎを感じられる時間になっていった。
ある時、彼女は思いつめた表情で私に前に立って、言った。
「あなたが好きです。私の恋人に、なって下さい」
私は、その言葉の意味を理解すると、呆然とした。
「傍にいて、あなたの夢を、支えたいんです」
彼女は、今にも泣きだしそうな表情をしていた。
私の脳内に、彼女との未来がイメージされた。三食を共にする彼女と私。そこで交わされる会話。愛し合う彼女と私。いつか生まれる子供。一家そろっての食事。共に迎える老後・・・。
それはとても輝いている、幸福そうな未来だった。
私の答えは、決まっていた。
「ごめん」
私は、首を横に振った。
「……どうして?」
「僕は、夢を追うだけで精一杯なんだ。君のために割いてあげられる時間は、少ない」
「あなたに求めることなんて、何もありません! 傍にいさせてくれるだけで」
「それじゃ、君は幸せにならない。君の様な人を、そんな目にはあわせられないよ」
そう言い残して、私は彼女の前を去った。
彼女とは、それから今に至るまで、会っていない。
大学、大学院を卒業して、私はある国立の研究所に就職した。この宇宙の秘密を探ろうとしている研究所だった。私はそこで物理学の研究を続けることによって、タイムトラベルを可能とする宇宙の仕組みを探ろうとした。食事と睡眠以外の全ての時間を、私は研究につぎ込んだ。あらゆる分野の本を読んだ。物理、量子力学といった正当な化学はもとより、超能力や中世の魔術といったオカルト分野の本にも、私は手を伸ばした。
何十年も研究を続け、私は白髪の老人となった。
ある日、私は駅で、一人の男とあった。
「・・・じゃないか?」
私と同年代ぐらいのその男は、私の名前を呼んだ後、私の肩を掴んで真正面から顔を見た。
「やっぱり・・・そうだ! ははっ!」
そのなれなれしい態度と見覚えのある顔に、私の記憶がよみがえった。遠い昔、一緒に漫画を読んだ。中学のある日を境に、会わなくなった、目の前にいるこの男は。
「……S?」
「そう、そうだよ! 本当に偶然だなあ。どうだ、俺の家に来ないか?」
「いや、今日は・・・」
今日は、自宅で外国の論文を読みこむ予定だった。が・・・。
「・・・そうだな。良ければ、お邪魔したいね」
既に長い年月は、中学の頃の怒りを、私から取り払っていた。私に残っていたのは、旧友への懐かしさだった。
家に向かう途中、Sは話しかけてきた。彼が今、作家として成功していること。女性と結婚していること。息子と娘、それに三人の孫がいること。現在は、妻と二人で暮らしていること。
家で出迎えてくれたのは、彼の妻だった。
「こいつ、昔の友達なんだよ」
Sは私を、そう紹介した。
「まあまあ。ようこそいらっしゃいました」
彼女は上品なしぐさで頭を下げた。私の脳裏に、学生時代に知っていた、一人の女性の姿が浮かんだ。
夕飯は、Sと彼女が、一緒に作ってくれた。食事の間、Sは私がいかに頭の良い子供であったかを、まるでわがことのように自慢した。
和やかな団らんだった
もし・・・もし、私が彼女と結婚していたら、こんな食事を、毎日していただろうか・・・。
食事の後、私はSに自室に案内された。写真が沢山あった。Sの作品が著名な賞を受賞した時の写真。Sが奥さんと結婚した時の写真。二人に子供が生まれた時の写真。
また、本も多くあった。多くは文字だけの本であったが、本棚の一角に、周りとは異質な漫画本が、あった。
かつて私たちが夢中になって読んだ、青いネコ型ロボットの出てくる漫画だった。
私は何気なく手に取って、ページをめくる。横から、Sも覗いてきた。
「まだ持ってたんだな、この本」
「今の俺があるのは、この本のおかげだからな」
それからちょっと黙ってから、Sは言った。
「俺さ、お前に謝らなきゃいけない」
「・・・」
「中学生の頃さ、タイムマシンを作るって言うお前の夢を、俺、馬鹿にしただろ。・・・ほんとにごめん」
Sは、頭を下げた。
「あのころの俺は、まだ知らなかったんだ。夢を否定されるってことが、どれだけ辛いことかって。あの後の人生で、俺はその辛さを、嫌というほど味わった」
「昔のことだ。もう気にしてないよ。・・・僕の方こそ、ろくに話し合いもせずに君と絶交したりして、悪かった。・・・ずっと、後悔していた」
私は漫画を棚に戻して、思った。
(そうか。お前は夢を叶えたんだな、S。
夢を叶え、温かい家庭も手に入れたSに比べて、私はこの人生で、何を得たのだろうか――・・・・・・)
その日の夜は、眠れなかった。
今、私の前には、一つの機械がある。
その名は、タイムマシン。
私は長年に及ぶ研究の末、遂に、タイムマシンを発明したのだ。
いや。これは失言だった。実際に使用して見るまでは、これが本当にタイムマシンとしての機能を果たすのかどうかは分からない。これから私はこれに乗り込み、人類史上初のタイムトラベルに挑戦する。
それが成功した時、私はようやく、夢を叶えるのだ。
成功したら、世間への発表の前に、まずは約束通り、Sを乗せてやろう。素直に喜んでくれるはずだ。発表した後は・・・。
その後、私はこの機械を使って、どの時代に行くべきだろう?
そうだ。大学生の私に会いに行こう。そして、忠告するのだ。「彼女と付き合え」と。
私が、タイムマシンに乗り込もうとした時。
突然、私の目の前に、私が作り上げたタイムマシンとは別に、しかしそれと酷似した機械が現れた。
「!」
私の脳裏を、瞬時に一つの可能性が駆け巡る。
まさか、これは。
機械の中から、たくましい体の青年が現れた。
彼は私の名前を呼んだ。
「・・・博士でしょうか?」
私が頷くと、彼は破顔した。
「ああ、やった。私は、10年後から来ました。タイムマシンが初めて使用される歴史的な瞬間を、この目で見に来たのです!」
私は、床に座り込んだ。夢想したことはあったが、本当にこんなことがあるなんて。成功だ。私はタイムマシンを発明したのだ。未来が、その結果を証明してくれた。
「ありがとう」
私は座り込んだまま、彼に頭を下げた。
「来てくれて、ありがとう・・・・・・」
彼は懐からペンライトのようなものを取り出し、私の作ったタイムマシンの方に向けて、光を照射した。
タイムマシンは、溶け始めた。
私は驚愕し、叫んだ。
「やめろ! 何をするんだ!」
彼は私の腹に、蹴りを入れた。私は腹を抑えて、床にうずくまってしまった。
ペンライトの光はタイムマシンに照射され続け、遂には完全に溶かしつくしてしまった。
私の夢は、この世界から姿を消した。
「あ・・・ああああああああああ!」
私は泣いた。泣きながら、青年に問うた。
「どうして、どうしてこんなことをするんだ!」
「どうしてかって?」
青年は、私の額にペンライトを向けて、言った。
「お前の発明したタイムマシンを使って、誰も彼もが勝手に過去を変えようとした結果、俺の生きる時代が無茶苦茶になったからだよ! だから俺は決めた。こんなろくでもない機械を作ったやつを殺して、設計図も焼いて、最初に作られたタイムマシンも破壊して、こんなものが最初っからこの世に存在しないようにするってな!」
「そんな・・・・・・」
私の作った機械は、世の中にとって有害だというのか?
では、それを作るためになげうった私の人生とは、何だったのか?
一切の楽しみを捨てて、愛してくれた女性まで拒絶してまで私が求めてきたものとは、一体――?
「待ってくれ! せめて、殺す前に、私にタイムトラベルをさせてくれ! それだけを求めてきたんだ! それだけを叶えさせてくれ! でなければ、私の人生は・・・・・・」
ペンライトから、先ほどと同じ光が照射された。光は私の脳を貫いて、その細胞を溶かしつくした。
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