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「誰の参考にもならない創作論」

 あれこれすることがあるのにそれら全てを後回しにして、全く急ぐ必要のない文章を書きたくなりました。それも取り留めもなく、まとまりもなく、誰の参考にもならないような創作論のようなものを。

 とりあえず書いてしまえ。綺麗にまとめたくなれば後からまとめるだろう。未来の自分よ頑張れ。

 いくつかの基本的なスタンスとして
・比喩を使わない
・行動させる
・自分の物になっていない言葉は使わない

 小説と小説以外の書き方について記そうとも思ったけれど、考えればほとんど区別していません。私の書くもので、小説とそれ以外についての境目は曖昧です。私小説風に書いている最中に幻想が混ざることがあれば、ファンタジー風の世界観で我が子の話が入り込むこともあります。

 いや、ないかもしれない。
 

・比喩を使わない

 たまに使ってはいると思いますが、基本的には使いません。使う際にも、何か非常に分かりにくいことを説明するために、分かりやすくするため、など、どうしてもという時に限ります。別に他人に対して「比喩は使うんじゃない」「比喩が頻出するから読むのをやめよう」とか言いたいわけではありません。
 
 嘘になる気がするのです。
 小説の場合、虚構を書いているわけだけど、それが真実らしくなるように、フィクションでありながら真実が書いてあるんじゃないか、と思ってもらいたい。そこで「〇〇のように」「〇〇みたいに」と書いてしまうと、嘘に嘘を上塗りしている気分になってしまいます。ここに書いてあることは、荒唐無稽でもありえないことでも全て真実なんですよ、としれっと言い切りたくて、その妨げになるかもしれない比喩表現は、なるべく排除したいと考えています。

・行動させる

 私の考える理想の文体は、ヘミングウェイ「われらの時代に」の福武文庫版。宮本陽吉訳なのですが、あいにく本棚の下段に隠れているらしく、その前にある様々な物を押し退ける力が今はないので、具体的にこんな文体だよ、と言うことができません。作者の分身である「ニック・アダムス」が登場する一連のシリーズで、各編の冒頭に血生臭い戦場の出来事が綴られます。簡潔で冷酷で無駄のないその冒頭部分を真似したくて、実際真似していました。

 行動させる、というのは、登場人物に同じ場所に留まらせ、うだうだ考えるだけのことはさせない、ということです。そのつもりですが、違っているかもしれない。実際は同じ場所に留まっている話も多い気がする。つまりは基本原則はあくまで基本でしかないから、あんまり気にしなくてもいいのです。

・自分の物になっていない言葉は使わない

 語彙ってのは増やそうと思えばいくらでも増やせるものですが、増やす必要のあまりないものでもあります。自然と身について自然と書ける範囲、人に伝わる言葉で十分です。逆に言えば、自分にとって自然な言葉であれば、普通の人には聞きなれない専門用語でも、すぐに変換できない漢字が使われていても構わないと思います。
 というか別に何でもいいです。読めればいいです。面白ければ見たことのない単語が出てきても辞書を引くなりするでしょうし。面白くなければどのような語彙で書かれていても読まれないでしょうし。

 ここからさらに取り留めなくなりますので覚悟してください。

・書き写し

 好きな作家の気に入った文章は丸ごと、豆知識的な部分は要約して書き写す、といったことを、私は二十代全般、約十年ほど続けていました。理由の大半は、それらの本が図書館で借りた本だったためです。読書中に付箋を貼った箇所を、期限までに書き写します。タイピング速度は随分と速くなりました。

 この作業が文章力向上に役立ったかは不明です。悪影響もあります。自然と書き写した作者の文体が伝染してしまうのです。古井由吉が憑依した、古井由吉もどきの文章をいくつも書いた覚えがあります。すぐに嫌気が差して削除してしまいました。

 付箋を貼りまくった作家の本は書き写すのが大変なので、古本屋メインで買い集めることにしていました。

 でも他のことに置き換えてみれば、たとえば楽器を練習する人が、誰かの曲をコピーするのは当たり前のことです。スポーツでも何度も何度も反復練習するものですし。

・書く環境

 朝からの公園遊びと、帰ってからのマイクラを終えて、息子がおやつを食べている横でこの文章を書いています。一人の時間ができて集中して書きたい時は、小さめの音量で同じ曲をリピートしながら書くことが多いです。聴きなれた曲であれば、日本語の歌詞でも気になりません。この書き方は昔からやっていましたが、「ある一曲を選んでその曲をテーマにした小説やエッセイを書く」というのを四年以上続けてきましたので、この方法以外には書けないんじゃないか、という気もしています。
 そう言いながら、一家がインフルエンザで倒れた際に、高熱で苦しむ息子の背中を撫でてやりながら、Bluetoothマウスとスマホで掌編小説を書き上げたこともあります。
 脳脊髄液減少症の安静治療で入院していた際は、寝ながらもスマホ・Bluetoothキーボードで書くことができました。
 つまりはどうにでもなります。

・公募

 昔は「文學界新人賞を受賞して即芥川賞受賞して……」なんて夢を描いていたこともありましたが、公募用の長編をと考えだすとつまらないものしか書けなくなり、長編を一度も投稿していません。掌編や詩でそれなりに結果は出したものの、賞や情熱がなくなるとそれっきりでした。
「マイペースで書けること」が自分の中での優先事項らしいです。

・今後の創作活動

 これまでやってこなかったことはこれからもやらないだろう、という気がしています。
 逆にこれまでしてきたことは今後も続けるだろう、という気も。

 これまでしてきたこと。
・掌編の積み重ね
・音楽との関わりについての文章
・子どもたちとのこと
・読む人を選ぶ系の世界観・文体のお話
・読む人を選ばない、開かれた文体、砕けた内容のお話

これまでしてこなかったこと
・長編の完成
・積極的な公募活動
・「小説家になろう」「カクヨム」といった大手投稿サイトへの参加
・積極的な仲間作り

 
 複数構想中のkindle出版は「これまでしてきたこと」の延長に位置します。
 とめどなくとりとめもなくあられもなく恥も外聞もなく、いろんなシリーズを開始してマガジン化していきたくもあります。

 息子がおやつの仕上げにブラックサンダーを要求してきましたのでこのあたりで終わりにします。妻の真似をして「ブラックダサンダーください」と言ってきます。「ダが一個多い」と私が注意すると「ダダッダダンダーください」と丁寧に言い直して煽ってきます。いつものことです。

(了)


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