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耳鳴り潰し54

 自分や家族の体調不良日記ではなく、近所の公園に遊びに行った記録の日々に戻りたいなと思う今日この頃、しかしそれはそれでタイトルの「耳鳴り潰し」とは違ってくるのかもしれない。

 土曜参観に備えて休むことにした金曜日の話。子どもたちと一緒に小児科へ向かう。途中信号待ちの最中に、「よろしければサッカークラブのお話など」とスポーツマンタイプの男性に話しかけられる。具合の悪い子どもを後ろに乗せて、平日の午前中に小児科へ向かう親に向けて話しかけるタイミングではないですよ、と丁寧に断りたいが、すごく不機嫌な表情で首を振るに留まる。こういう小さなエピソードを膨らませて面白おかしく書けるようになれば、面白子育てパパさんエッセイストになれるのかもしれない。

 追加の薬をもらった帰り道、新しく出来た大型スーパーに寄る。前回私一人で訪れた混雑時、後ろからおばあさんにガツガツカートをぶつけられた話を息子が思い出して、おばあさんの姿を探し始める。毎回毎回ぶつけられるわけではない。

 品揃えはイオン、値段は業務スーパー(開店間もない現在はさらに下回る値段)、といったところ。ピザ目的で来たもののアイスなども買う。伝説のアイス「ハーゲンダッツ」もだいぶ安くはなっていたものの、気付かなかった振りをする。

 ピザを乗せての帰り道、別のスーパーの前を通る。そこで働いている、娘の同級生のママさんが外の片付けをしていたのが見えた。今後そちらのスーパーの売上は厳しくなっていくのだろう。私たちが罪悪感を感じる必要はないのだが、こうして書かずにはおれない。

 一軒でほぼ買い揃えられるので、あちこち寄る必要がなくなる分、私にとってはありがたい。

 昼食後私と息子は昼寝をしたが、娘は頑なに昼寝を嫌がる。理由を聞くと、「三年生の時に具合が悪い時に昼寝をしていたら、吐き気がした。洗面所に行こうとしたが間に合わすにその場で吐いてしまい、そのことがトラウマになっている」とのことだった。

 夕方頑張って寝ようとしたようだが、本当に吐いてしまった。洗面所には間に合った。

 娘の特性の一つなのかもしれないが、「過去にあった嫌なこと」の記憶は拭うことが難しいようだ。

 平山瑞穂「シュガーな俺」読了。糖尿病患者のことをよく知れる良書なり。


 今週のシロクマ文芸部のお題「雨を聴く」。真っ先に思い浮かんだのは稲垣潤一「バチェラー・ガール」

 この曲を題材にして、義父の三回忌のことを書いた文章がある(現在凍結中)。稲垣潤一=西村賢太=東京、というイメージの繋がりがあった。

 私小説作家・西村賢太が稲垣潤一を好きだったことを思い出す。ライブに招待され、ステージ終了後、本人のドラムセットに座らせてもらうなどご満悦な様子が「芝公園六角堂跡」で書かれている。その後、敬愛する藤澤清造の没した地を通ったことに気付き、自分は何に浮かれてうぬぼれているのだ、という話である。
 やがて薄れて忘れられていく人々の記憶をこうして書き留めていく。どこかの時代の一部を切り取っていく。西村賢太が十五歳の自分や三十六歳の自分や二十七歳の自分を書き続けていたように、私も今の家族とのことだけではなく、日雇い時代やら学生時代やらを書いてみようかと思い始めた。

 我が家に帰って落ち着いて菓子など食べている頃、ココが巨大な屁をかました。妻と私は同時に気付く。
「どうして今日みんなの前ではおならこかなかったの?!」
 私たちをココは不思議そうに眺めている。「ねぇね、おならでっかい!」と健三郎は叫んでいる。壊れたピアノはもう鳴っていない。

泥辺五郎「音楽小説集」内「バチェラー・ガール」より

 なんだかんだ土曜参観を終えた今日。

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