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耳鳴り潰し123

 UNOってスポーツだったんだ。
 この日、ボール遊びをしなかった。変則だるまさんが転んだと、少しの怪獣人形遊びを除けば、他の遊びはほぼUNOに費やされた。
 
 我が家のローカルルールとして、最初に配る枚数を子どもたちの気分で決める。公式通り七枚の時もあれば、十枚や十五枚の時もある。最近では十五枚設定がお気に入りのようだ。さらにドロー系の重なりは、いくら増えても受け取る枚数の最大は十枚までとしている。極端なペナルティ枚数を受けたプレイヤーの脱落を防ぐためである。さらにゲーム中にいくつもルールが追加されることがある。

 私が最後の一枚を出してあがろうとすると、子どもたちが全力で阻止をする。場札の上を塞ぐ。私の手を掴む。私は諦めて、出せるのになぜか札を引かされる。この戦いで疲れる。さらに、出された場札の上に次の札を重ねていかなければならないのに、子どもたちが自分の手元に札を落としたり、わざわざ歩いて遠くまでいきそこの床に落としたりする。それらを私が拾い上げて正しい位置に置く。それぞれにツッコミながら拾いながらのプレイで、疲れる。

 さらに昨日から流行り始めた「三枚から始まる一人UNO(実況つき)」では、子どもたちのプレイも私自身のプレイも私が実況していかなければならない。一瞬でゲームが終わることもあれば、延々と長引くこともある。時にはルールを無視して出せない札を出そうとする子どもを全力で阻止したりする。また、出せる札を引けたのに「全然来ないなあ」と息子が言ってわざと出さず、壊れたように札を引き続ける、というハプニングも起きた。「カメラ止めて!」と私はカメラマン役の娘に叫んだ。

 くたくたになった私は久しぶりに六時まで眠っていた(通常三時半から五時起き)。

 子どもたちと「銀魂」を観たり、小島信夫「美濃」を読んだりしているうちに、2006年頃に思いを馳せる。銀魂のアニメ開始年であり、小島信夫の亡くなった年でもある。私にとって銀魂アニメは再視聴になり、また「美濃」は初読ではあるものの、晩年の「残光」に繋がっていくような気もする作品でもあるから、再読に似たものがある。そうすると脳が初物に対応しなくていい分、いろいろ考える余裕が生まれ、いくつかの発見をする。その辺りを「恋愛小説集」に書こうと思い立ち「銀魂vs小島信夫」を書き始める。

「積読」みんなのフォトギャラリー用AI生成画像10枚 追加。
 積読の行き着く先について考えてみた。結論としては「紙資源が無尽蔵に産出される惑星を発見しなければいけない」という、宇宙開発のあるべき道筋を見出すことに成功したといえる。
 


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