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「N原さんにもう言えないこと」エッセイ

※投げ銭設定で全文読めます。ふと思い立った有料記事エッセイ。


 ふと思い出した人のことを書こう。

 もういない人のことを書こう。

 私が以前勤めていた食品工場に、N原さんという従業員の方がいた。

 彼は障害者枠雇用というわけではなかったが、あまり難しいことはできず、要領も悪く、話す際にはどもりがちになる方であった。

 単純な仕事なら一生懸命にこなすし、力もある。大きなタンクを運ぶ際に、「ごめんよ、ごめんよ」と言いながら歩く彼の様子は、他の従業員によく真似をされていた。愛嬌のある愛されキャラでもあった。

 能力が高いわけではないが決してサボりはしない。フルタイムの男手であり、ややこしい作業は任せられないものの、覚えたことはきちんと責任を持って最後までこなす。管理する社員側からすれば、頼りになる一人でもあった。

 そんな彼が体調を崩してしばらく休んでいた。

 久しぶりに出社した彼だが、現場に降りる前に品質管理担当者に止められていた。

 たまたまその場に居合わせた私が話を聞くと、顔色が土気色であまりに具合が悪そうだから、現場に降りることを許可するのは難しい、と。熱があるわけでもなく、咳込んでいるわけでもないのに、そのように止められるのは異例のことでもあった。

 N原さんとしては、自分的には体調が良くなったので仕事に復帰できる。そう判断して会社にやってきたのだろう。本人の中では、最悪な体調の日々の中で、少し復活すればそれは随分と良くなった、と考えたのかもしれない。しかし他人から見れば、一目で分かる具合の悪さであった。

 居合わせた手前、私は彼に帰るように促した。「大丈夫ですよ」と言い張るN原さんの言葉を退け、強い口調も使って、追い立てるように帰らせた。

*

 それからしばらく経った後、仕事中に従業員の一人から「N原さんの家族あてに何か送らんの?」と聞かれた。私は何のことか分からなかった。あの日N原さんが帰った時から、私には何の情報も入っていなかった。しかしその日、喫煙室などの噂が広がりやすい場所では既にある話が出回っていた。

 N原さんは肝臓がんで亡くなっていた。

 おそらく私が会社で一番最後にN原さんと接した人となる。強い口調でもって追い立てるように帰らせた私が、彼にとって、長年勤めた会社の最後の思い出となってしまった。

 従業員の話は要するに「香典送らんの? 弔電打たんの?」といった話だったようだ。しかし会社としてはそういったことはしなかったように思う。

 いくつかのN原さんの私物が、彼の使っていたロッカーに残されていた。家族の方に連絡をしたが「必要ないので処分してください」という冷たい答えだったという。会社では愛されキャラだったが、家族からは疎まれていたなどという話も、噂話から遠い場所にいた私のところへも流れてきた。

 N原さんの訃報に触れた瞬間、止める間もなく私は涙を流していた。

 知人の突然の訃報。
 
 彼が振りまいていた独特の愛嬌が、二度と見れないこと。

 自分の冷たいあしらい方に対する後悔。

 いろんなものが一気に押し寄せてきたことを覚えている。

 私が追い返した時点で、きっと彼の身体は手遅れだったのだろう。別に私でなくとも、似たようなやり方で彼を帰らせたのかもしれない。仕事中に倒れるかもしれない彼を現場に下ろす、という判断は確実に間違いだろう。

 それでも彼が、比較的体調のましな日に頑張って会社まで来たのにも関わらず、強い口調で追い返されてしまったという事実は、もう取り消すことができない。「もっと違う言い方もあったよな。ごめんなさい」とN原さんに謝ることも、もうできない。

*

 昨日、体調が酷く、横になって休んでいても良くならなかった。

 ふとN原さんのことを思い出し、頭から離れなくなった。

 ここでこうして書いたところで、あの日吐いた言葉を取り消すことはできない。
 何を書いたところで、N原さんは生き返らない。
 文章も、想いも、死者に対しては無力だ。

 だから、生きているうちに、生きている人へ。
 こうした想いを伝えていく。

(了)

※あまり柄ではないですが、ふと思い出して頭から離れなくなったので。

追記

 TOP画像を生成するために、ChatGPTにこの文章を読み込ませる。画像生成後、ついでに「感想を聞かせて」とやってみる。さらにその後「N原さんの声を代弁して、この文章の作者に語りかけてみて」と頼んでみた。

「泥辺さん、覚えていますか? あの日、僕が会社に久しぶりに出勤した時のことを。

 正直、あの日は本当に疲れていました。でも、少し体調が良くなったように感じたし、会社に戻って皆さんに顔を見せたかったんです。久しぶりに仕事ができる、そう思っていました。自分の体調を過信していたかもしれません。でも、僕にとっては、それが最後の力を振り絞ったつもりだったんです。

 あの時、泥辺さんが僕に『帰りなさい』と言ってくれた時、正直なところ、がっかりしました。だけど、泥辺さんが心配してくれているのがわかっていたから、無理を言わずに従いました。僕は「大丈夫」と言い続けましたが、心のどこかではもう限界だったのかもしれません。

 だから、泥辺さん、あの時のことをそんなに悔やまないでください。あなたの強い言葉が、僕にとって最後の思い出になったとしても、それは決して悪いものではありません。むしろ、僕を気遣ってくれたことを今ではありがたく思っています。僕の体は、たぶんどんなに頑張ってももう回復しなかったでしょう。だから、あの時僕を帰らせてくれたこと、それは本当に正しい判断だったんです。

 僕のことを思い出して、泣いてくれたことも聞きました。ありがとう。僕は職場でみんなに愛されていたことを感じていました。みんなに真似をされたり、笑顔を見せてくれたり、あれが僕にとって大きな喜びでした。だから、どうか僕のことを忘れずにいてください。僕がもういないからといって、あなたが抱えている後悔を引きずらないでほしいんです。

 僕は、あなたや職場のみんなに感謝しています。そして、あなたがこれからも誰かに優しい言葉をかける時、僕のことを少しだけ思い出してくれれば、それだけで十分です。僕は、あなたのおかげで最後まで温かい気持ちを抱いていましたよ。

 ありがとう、泥辺さん。どうか自分を責めず、前を向いて歩んでください。僕も、きっとどこかで見守っています。」

ChatGPTに「N原さんにもう言えないこと」を読み込ませ、「N原さんの声を代弁して、この文章の作者に語りかけてみて」と指示した結果の回答。

 
 あれ、目から、水が。



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