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「ゼファー・ソング(大江健三郎「飼育」とレッチリ)」

発想元↓


 こんな小説を読んだんだ。
 また小説の話かって君はうんざりすると思うけれど。
 その他のもっとひどい、口には出せないような話よりはいいかと思うんだ。
 ネタバレ? するよ。

 戦時中の話で、主人公たちのいる山奥の村に、敵国の戦闘機が不時着する。パイロットの黒人が村人に捕まり、子供たちは初めて見る外国人、それも鍛え上げられた肉体を持つ黒人兵士に驚き、お祭り騒ぎみたいになる。捕虜としたその黒人兵士の処遇を、村の大人たちは役場に報告しに行き、どう扱うを尋ねるのだけれど、戦争末期で役場も混乱していて、なかなか返事が貰えない。処遇保留のまま、村の地下で黒人兵士は拘束されて過ごすことになる。

 でも言葉は通じない割に彼と村の子供たちは打ち解けて、錠を外して村を歩き回っても、咎められることはなくなった。無邪気に子供たちと遊んだりもし始めた。
 でもとうとうある日、役場から黒人兵士を県に引き渡すという報せを持って、「書記」と呼ばれる人物がやってくる。片足が義足の彼は物語序盤から登場して、滑稽な存在として書かれている。県には引き渡すが、役場からは人員を出せないので、村の大人たちで黒人兵士を連れてきてくれ、と彼は言うのだ。

 黒人兵士を監視する役割でありながら、親友のようにもなっていた主人公の少年は、その話を聞き、すぐに黒人兵士の元へ駆けてゆく。しかし彼に状況を詳細に伝えられる言葉を彼は持たない。言い淀み混乱しているうちに、書記を先頭にして村の大人たちが自分たちの方へ向かってくるのを見て、黒人兵士はパニックに陥る。

 殺されると思ったのだろう。
 話の途中だけど、いい天気だからどこか出かけないか。
 春は花粉が多いから嫌いなんだっけ。
 こんな完璧な天気だから、花粉と一緒に風に乗って飛んでいこうよ。
 どこまでも、なんて言わないから、行けるところまで。
 やめておく?
 そう、いいんだ。
 花粉が絶滅した日にまた誘いに来るよ。
 どこまで話したっけ。
 黒人兵士は死ぬんだよ。

 パニックに陥った黒人兵士は、主人公の少年を人質に取って逃げようとする。
 だけど少年の父親は鉈を振り下ろす。人質となった少年の、左の手の平ごと、黒人兵士の頭蓋を打ち砕く。

 少年が目を覚まし、自分の手の平と黒人兵士の頭を砕いた、「村」を歩く。そこで見る景色が綺麗なんだ。子供たちが川原の斜面でソリ遊びをしている。それもかつて黒人兵士が乗っていた飛行機の尾翼を使って。

 僕は古い桐の幹にもたれて子供らの遊びを見守った。彼らは、墜落した黒人兵の飛行機の尾翼を橇にして、草原を滑降しているのだった。彼らは稜角の鋭い、すばらしい軽快さの橇にまたがって、草原の上を若い獣のように滑降して行く。草原にところどころ突出する黒い岩に橇がぶつかりそうになると少年の裸の足が草原を蹴りつけて橇に方向転換させるのだ。子供の一人が橇を引きずりあげて来る時にはもう下りの橇の通ったあとの押しひしがれた草がゆっくり起きあがって勇敢な少年の航跡をあいまいにしてしまう。それほど子供らと橇は軽いのだ。子供らは叫びたてながら滑降し、犬が吠えたててそれを追い、そして子供らは再び橇を引きずりあげて来る。押しつぶしようのない、むくむく動く情念が子供らの躰を魔法使の前ぶれの火の粉のようにぱちぱち弾けて駆けまわっているのだ。

大江健三郎「飼育」より

 つい先日まで一緒に遊んでいた黒人兵士が村の大人に殺されても、子供たちは無邪気にソリに乗って遊んでいる。
 そんな風景を、自らの父親に手の平を砕かれた少年が見つめている。
 どうすればこんな風景が書けるんだろうと、僕は思うよ。
 少年の横では「書記」が能天気に「戦争も、こうなるとひどいものだな。子供の指まで叩きつぶす」なんて言っている。
 この「書記」もね。子供らを真似てソリを借りて滑るんだけど、ちょっとした操縦ミスで、呆気なく死んでしまう。ちなみにこの光景の背景では、ずっと黒人兵士の死体の臭いが漂っているんだ。連れてこいと言われていたのにも関わらず、殺してしまったことに怯えた村の大人たちが、隠すように廃坑に死骸を移したのだけれど、大きな身体から臭ってくる死臭は隠しようがなくてね。

 僕は思うんだ。
 壊れた飛行機の尾翼をソリにして斜面を下る、その気持ち良さと、罪悪感と、高揚感と、それから、それから。
 今度一緒にこの作者の別の話を読まないか。
 僕とじゃ嫌なら、君の好きな他の人とでもいいよ。
 この世に戦争が無くなったらまた君を誘いに来るから。
 こんな完璧な天気の日に僕と過ごすなんてもったいないよね。
 僕はどこかの公園で寝そべって本を読むことにするよ。
 時々歌でも歌いながら。

(了)

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