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「パラレル・ユニヴァース(小説執筆社会)」【掌編小説】

発想元↓1:25~

朝早くからノベルワークのビル入口には長蛇の列が出来ている。プリントアウトした小説の束を握り締め、食い詰めた物書きたちが執筆給付金をもらうために並んでいる。顔見知りもいくらかいる。誰もが目の縁が黒く、白髪が多い。足早に歩く勤め人たちが、列から顔を背けている。照りつける陽射しが原稿と頭を焼き払っていく。誰もが残り短い寿命を自ら燃え尽きさせようとしているように、ここに集う。

ノベルワーク二階受付にある青いボタンを押し、表示された「27」という番号の札を受け取る。一旦廊下に出てトイレの隣にあるベンチに座る。事務所内の空気を吸うと、他の物書きの吐いた息を吸い込んで、自分まで悪い書き物に取り憑かれてしまいそうで避けていた。誰かの悪口雑言を書き散らしたりする輩や、他人の作品を剽窃して自分が書いたと言い張る、たちの悪い連中もいる。入ってから出るまで延々と怒鳴り散らしていた老人も見たことがある。

「この小説のどこがあかんのや!」
「お前じゃ話にならん、もっと上のもん呼んでこいや!」
「後悔するぞ、なあ、俺の小説評価せんかったこと後悔するぞ!」
「○○! ○○○! ○○○○!」

文字ではとても書けそうにないことまで彼は怒鳴っていた。私は嫌な思い出を振り切り、自分の原稿を読み直す。半年前に会社勤めを辞めた後、休職期間がこんなに長引くとは思っていなかった。自分には山ほど書きたいことがあり、会社に勤めたままでは書きたいように書けない。辞めてフリーになって、何の束縛もない場所で自分だけにしか書けない小説を書きたい、そう決断して辞めたのだ。やっていける自信もあったのだ。

しかし現実は厳しかった。大きな組織の中で書いていたからこそ、私の文章は何重ものチェックをされて体裁を整えていき、読めるものとなっていたのだ。大勢との共同作業の結果、小説となっていたのだ。長編小説のシリーズものの中心的な書き手として仕事を任されていた。だから思い上がってしまった。共同制作者の一人でしかないのに、ほとんどが自分の手柄だと錯覚してしまった。私の武器はタイピング速度を生かした手数の多さ。誰よりもアイデアを出し、誰よりも早く仕上げていった。リテイクの指示にも落ち込むことなく、新しいアイデアを出しまくった。

一人。
一人で書けることなどたかが知れている。
一人で編集も校正もやっているとすぐに疲れ、限界が来る。
一人で小説を書き始めるべきではなかった。
会社の中の一人としてでしか自分は生きていけなかった。
うるさいほど現実が押し寄せてくる。

私の書く小説は、かつて自分が愛した古き良き名作を、今の時代に合うように薄めて薄めて薄めまくった上にさらに水を足して、何をトチ狂ったか最後に一粒の流行のスパイスを入れて完全に駄目にしてしまった、そんな代物ばかりだった。

会社で時間と周囲の圧力に追われながら、こんなものは自分の本当に書きたいものじゃない、などと叫びながら仕上げていた頃の方が、ずっといいものを書けていた。こみあげてくる吐き気も全て文字列にしてしまえば、魂の叫びと受け取られて好事家には受けるかもしれなかった。しかし吐いても吐いても出てくるのはやはり白湯に食べかすを一欠片放り込んだようなものばかりなのだ。

ノベルワークはそんな連中の吹き溜まりだ。
いつの間にか順番が回ってきていたので、番号札をカウンターの向こうにいる係の人に渡す。今月の執筆活動シートを渡すと「これだけですか?」と顔をしかめられた。私は仕上げた掌編小説のタイトルを十編羅列していた。
「どこかに応募されたものではないんですよね?」念押しで聞いてくる。
「賞などではなく、個人のnoteに投稿しています」
「大きな反応を貰えたものはどれですか?」
「……ありません」
「すいませんよく聞こえませんでした、もう一度お願いします」
「大きな反応もなく、誰かに紹介されることもありませんでした」
執筆活動を続けていなければ給付金は貰えない。賞に応募することや、個人的な発表であれば、継続とある程度の反響が求められる。小さなグループ内での参加賞であれ、ないよりはマシである。
「あなたはコツコツと一人で作品を発表して稼いでいけるだけのファンを獲得していないですよね」
分かってる。
「自己満足な掌編をいくつ書き上げても、実績とは認められません」
分かってる。
「現在はコロナ禍であり、経済的事情もありますから、認可しないということはありませんが、ここに二重線を引いて訂正をお願いします」
彼に言われるがまま、私は自分の書いた掌編小説のタイトルをことごとく消していった。代わりに「コロナ禍の為執筆活動出来ず」と書き加えた。プリントアウトしてきた原稿は「そういうのはもういいです」と差し戻された。

四回目(自主退職のため、給付金は退職後二ヶ月後からの開始)の執筆給付金は一週間以内に振り込まれる。家賃もそれで賄える。そうして生きながらえることが出来る期間も、もう長くはない。その間に、世間に認められる小説を書かなければいけない。私は何をしているのだろう。世間に求められている小説を、世間に求められている文章で、早いペースで発表すればいいだけの話じゃないか。それだけで世界を救うことは出来ないが、自分を救うくらいは出来るかもしれない。少なくともこのまま破滅一直線みたいな書き方をしているより、ずっといいはずだ。それなのに。それなのに。私はぼろぼろに傷ついてなお、帰宅してすぐにまた、誰にも受け入れてもらえそうにない、どこにも届かず、力の入れどころを間違え続けているような小説を書き始めるのだ。次回認定日までに三十編を、と意地になりながら。

「長編に集中して書き上げてみてください。来月は進捗状況の報告だけでも結構ですから」係の男が放ったその言葉は、職業上だけではなく、きっと善意からも出ている。ならば、小説を書かなくても人々は過ごしていける世界で、憑かれたように小説を書き続ける男の話、というファンタジーでも書いてみようか。言葉を覚えてから死ぬまで小説を書き続けなければいけない、この世界に嫌気が指している人に受けるかもしれない。そこでは小説は多数の娯楽の一部、それも滅びる寸前、というような。学校の成績も恋愛も就職も老後の安寧も、全て書き上げてきた小説次第というこんな世界とは正反対の国に住む人の話を。

しかし私は投げ出す。
そんな荒唐無稽な世界についてのメモを、馬鹿馬鹿しいと投げ出してしまう。
また短い話を。好きな音楽を聴きながら書いている。
「パラレル・ユニヴァース」をバックに、また少しだけ、小説の滅びかけた世界に思いを馳せながら。

(了)

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