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「Dosed(緑に覆われた故郷で植物化した旧知の人を見る話)」【掌編小説】

 緑色に覆われた故郷に帰ると、見慣れていたはずの景色全てに纏わり付いている植物群がどれも過剰で、火種でも携えていれば、全て焼き払ってしまいたいほどだった。僕にじゃれついてくる小型のミックス犬を連れて散歩していた老婆が、ベンチの上で植物化して、眠るように陽を浴びていた。引き綱は彼女の足元に置かれたまま金具が錆び始めていて、犬の行方は知れなかった。すぐにでもじゃれついてきそうな錯覚に襲われた。僕がこの街から離れて十年以上経っていた。犬はもう死んでいるかもしれないし、どこか違う所で植物化しているのかもしれなかった。別の犬も。猫や人も。

 僕の故郷を襲った植物禍は、人の細胞膜を破壊しながら浸潤してくる新種の植物の花粉が原因だった。世界で最初に発見され、すぐさま隔離対策が取られ、住人以外は救われた。隔離壁の外ではその後も動物禍、無機物禍、無生物禍、液状禍など、様々な厄災が人類を襲い、どのような対策もその場しのぎのものでしかなく、人類は変化しながら滅亡していった。

 どの厄災も人類の生命エネルギーを狙っていたようで、無気力な人間は何にも襲われず、何にもなれず、滅びゆく文明の中に取り残されていった。大半の無気力者たちは周囲の支えなしには生きていられなかったので、ゆるやかな下り坂を眠りながら転がり落ちるように死んでいった。

 僕は自分のことを無気力だなんて思ってはいなかったけれど、どの厄災も僕には降り掛かってはくれなかった。新しく更新されない全てのコンテンツを前に退屈しながら、自分で小説でも書いてみるか、と思いもしたが、読者はもうどこにもいないのだった。僅かな生き残りを見つけられたとしても、その人はきっと見知らぬ他人の小説を読むような気力の持ち主ではないはずだった。朝目覚めるたびに、冒頭の一文だけを書いては消した。始まらなかった物語は当然終わることもなかった。

 故郷の町を閉じ込めた隔壁は、植物禍のおかげで絡みついたツタを登れば乗り越えられた。家々の窓を突き破って伸びる「ジャックと豆の木」にでも出てきそうな茎の太い植物の根元で、寿命の長いLED電球のランタンが光り続けていた。

 自身を球根のようにして方々に枝や根を伸ばす人もいれば、伸びたそれらに絡みつかれて逃げられなくなり、そのまま枝の一部となっている人もいた。共通しているのはもう人間には戻れないこと、口もきけず意思の疎通も不可能なことだった。植物禍が始まる少し前に町を出ていた僕は、初期発症者のうちに自分の父母の名前を見つけた。その後爆発的に増えた発症者の中には、数少ない僕の知り合いの全ての名前が含まれていた。やがて封鎖された町の情報はそれ以上拾えなくなり、僕の故郷は政府から見捨てられた。故郷から見捨てられたと僕は感じた。ホームシックにかかる前に、故郷は失われた。

 好きな子に振られたからという情けない理由で故郷を離れた僕は、何のあてがあるわけでもなかったので、世界全体が何らかの厄災で覆われていっても、他人事として見ていた。彼女が子持ちの男と結婚すると聞いた瞬間に崩れた足の下の地球は、二度と球体に戻ることはなかった。打ち明けてもいない僕の気持ちも知らずに、彼女は子ども達の世話の勉強を始めていた。一回り年上の男は彼女の行きつけの店に勤めていて、それが美容院だったか本屋だったか忘れてしまった。子ども達は二卵性双生児で男の子と女の子。母親は子ども達が幼い頃に病気で亡くなり、一度再婚した女性は結婚して間もなく、もう一度一人になりたいと出ていったのだという。

 好かれる人は好かれ続ける。嫌われる人は嫌われ続ける。誰にも触れず、誰にも触れられずに来た僕のような者が、人に好意を持ったところで、意思は相手に届かず地面に落ちた。割れたままの地面に吸い込まれて消えた。

 初期発症者である両親の住む実家は、もはや大樹と化していた。樹の表面には無数の人の顔が浮かび上がり、明らかに取り込まれた人の数より多かった。発症者だけでなく、彼らの記憶の中にある全ての顔が浮かび上がっているようだった。根元近くに僕らしき顔があり、そのことが知れた。

「結婚しました」という無邪気な報告の手紙は検閲と徹底的な消毒の後で僕に届いた。ぱっとしない男性と、小学校低学年くらいの可愛らしい子ども達、そして僕が好きになった笑顔の彼女が写っていた。そこに記された住所を訪ねると、僕の実家のような大きな変化はなく、玄関のドアも閉まっていた。小ぶりの戸建て住宅の小さな庭には、僕の背を超える高さになった元・雑草が家の主人面で生えていた。それらをかき分けて、庭に面した窓から家の中を覗くと、一家四人が輪になって子ども部屋らしき一室に座り込んでいた。衣服や毛髪が植物化していなければ、彼らはまだ人間として生きていると勘違いしたかもしれない。

 動かない四人のうち僕に見えたのは子ども達の顔だけだった。僕に背を向けた彼女の表情は窺えなかったが、輪になって肩を組んでいる子ども達の満面の笑みの横で、彼女が沈んでいるはずはなかった。幸せそうだった。彼女らは植物として繋がって生きていて、永遠に近い家族愛を営んでいるように見えた。

 僕が生まれ育った町、彼女が笑いながら過ごした町から、僕は離れた。僕の入り込めない世界で幸福に過ごす植物に囲まれて生きていく自信はなかった。僕は新しい場所で生きる目的を探さなければいけなかった。無気力から抜け出さなければいけなかった。そうすれば、皆と同じような、何かの一員となれるはずだった。何かをしようとした。新しい朝を迎えると、また小説の冒頭を書き出してみた。
 書いた一行を、また消した。

(了)


発想元

Red Hot Chili Peppers - Dosed



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