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ハロー、束の間フリーダム

約半年ぶりに、束の間のフリーダムを手に入れました。

妻と娘が義父母と共に、ニ泊三日の旅行に行っているのです。

とは言っても、実際には仕事があるので、自由に使える時間は限られているわけですが、それでも約半年ぶりに手にしたフリーダム、これを大いに楽しまなくては男がすたるというものです。

たいがいの男子がそうであるように、私もやはり、束の間のフリーダムを目の前にすると、いろんな欲望がムクムクと起き上がってきます。

そのうちの一つが、好きなものを好きなだけむさぼりたいという欲望です。

人間の三大欲求の一つでもある食欲が、人目というおりから解放されると、それは時に、暴力的なまでに強大化し、とどまることを知らない欲望と化してしまうことがあるのです。


フリーダム一日目、私は朝からこの欲望をどのように満たそうかと考えていました。

夜の街に繰り出して派手に満たすのか、はたまた家でしっぽり満たすのか。

私が選んだのは後者でした。

まだ一日目ということもあり、今日は手始めに、家でじっくり楽しもうではないかという結論に至ったのです。

私は終業するなり、足早に家に向かいました。

リュックサックの両脇にあるサイドポケットには、ハイボール用の炭酸水が一本ずつ差し込まれ、手には缶ビールが握られています。

玄関の扉を開けると家の中はとても暗く、ひんやりとした冷たい空気が流れていました。
試しに「ただいま」と声に出して言ってみたのですが、やはり「おかえり」の声はありません。

そこにあるのは静寂に木霊こだまする私の靴音と、これから巻き起こるであろうフリーダムな予感に、鼻の穴を膨らませる私の荒い息遣いだけでした。

リビングに足を一歩踏み入れると、私はさっそくビールが飲みたくなってきました。
しかしここはグッと我慢。
ビールの旨味を増幅させるためにも、先にシャワーを浴びて身を清めることにしました。

いつもよりも熱めのシャワーで一日の疲れを洗い流した私は、タオルで体を拭いて浴室を後にしました。そして家に誰もいないことをいいことに、そのまま全裸でキッチンへと直行します。

私は冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、すぐさまフタをプシュっと開けて、腰に手を当てゴクゴクとそれを喉の奥に流し込んでいきました。

「くうぅぅ、フリーダム」

人間に備わっている野生的な本能が満たされるのと同時に、男って本当に馬鹿な生き物なんだなと自覚した瞬間です。

開放的な気分もそこそこに、私は風邪をひかないようにパジャマを着てから、ドライヤーで髪の毛を乾かしました。

そして、腰痛予防のために腰回りのストレッチをしてから再びキッチンへ舞い戻ると、私は一瞬の迷いもなく、冷凍庫の扉に手をかけました。

そう、私は知っていたのです。

この扉の向こう側に、今宵、私の欲望を満たしてくれるであろう、夜のオカズが眠っていることを。

それはいかにも高級そうな、黒いパッケージに包まれていました。そしてそこには、太くて硬い、剛毛な筆で描かれたと思われる金色の筆文字で、
"浜松餃子"と記されていました。

その金色の四文字は、まるで漆黒の闇にきらめく星の如く輝きを放ち、去年お歳暮に親戚からいただいたものとは思えないほどに、私の欲望を逆撫でしてきます。

私はさっそく封を開けると、大きさも個数も確認せずに、ありったけの餃子を焼き始めました。

まずはフライパンを熱して油を垂らし、餃子をきれいに並べていきます。
そこに水を入れたらすぐに蓋をして、強火にして一気に蒸し焼きに。
水分が飛んだら蓋を外し、ごま油を垂らして表面に焼き色をつけたら完成です。

焼き上がった餃子をお皿に盛り付けると、そこには高尾山たかおさんほどの、小高い餃子の山が出来上がりました。

私は豆皿にお酢をたっぷり入れて、醤油とラー油をちょろっと垂らし、濃い目のハイボールと共にテーブルへと移動します。

換気扇の回転音が部屋の静寂を際立たせる中、今私は己の欲望と向き合い、そして、その欲望を満たしてくれるであろう餃子の山と向き合っているのです。

幸福を呼ぶというフクロウが描かれた箸を握りしめ、私はゆっくりと餃子を口に運びました。

………。

サクッ、パリッ、ジュワー。

我ながら絶妙な焼き加減です。

色よく焼かれた皮は香ばしく、野菜たっぷりの餡はふっくらしとしつつもジューシーで、噛み締めるたびにその旨味をブシュブシュと噴射させてきます。

「うまいっ」

言うまでもなくハイボールとの相性も抜群です。

私は理不尽に略奪された自分の領土を取り返すかの如く、夢中で餃子を食べ続けました。

そして半分程食べ進めた頃、私は自分でも知らなかった己の欲深さに、思わず息をのんだのです。

それは何故か。

私は今、目の前にある山ほどの餃子を食べながらも、頭の中では、明日の夜は何をむさぼろうかと、すでに次の獲物の品定めを始めていたからでした。

今この瞬間まで、夢中になって餃子を貪っていたと言うのに、男心とはなんと移ろいやすいものでしょうか。

昔の人はその男心を秋の空に例えました。
そしてある著名人は、それを文化という言葉で表現しました。

ならば私はこう表現しようと思うのです。

「束の間フリーダム」と。

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