【文化祭】昨日の屈辱を繰り返さなかった話
こんにちは、ドラドランドです。
昨日あげた記事にて、
トランペット演奏のソロ部分で
音が鳴らないという屈辱を味合わされた、
という日から1夜が明けました。
今朝は比較的涼しい気温で、
緊張の中学校に向かいました。
朝、2回ゆっくり練習して、
できる、という感覚をつかんでから、
いざ本番へ。
ソロがある前の4曲。
昨日はここで全力で吹きすぎて、
ソロはおろか高音すら出ない、
ということがありました。
しかし、今回は、その4曲のうち3曲を
先輩方、そして同級生、さらには後輩といった
僕の部活の部員全員に今回だけは、という思いで、
オク下げで吹かせていただきました。
オク下げ(オクターブ下げ)とは、
高音などが出ない時に、
低音で同じ音(1オクターブ下の音)を吹くことによって、
原曲と同じ音色で吹く、という行為です。
はっきりいってこの行為、
よっぽどのことがない限りはやりません。
なぜなら、曲全体のバランスが崩れてしまうから。
例えば高音パートが5人、低音パートが5人だった時に、
1人がオク下げで吹くと4:6で、
曲のバランスが崩れてしまいます。
実際はもっと人数がいるのですが、
結構大会とかではやらない方がいい行為です。
しかし、これは大会でもなく、
文化祭。
本当に申し訳ないですが、
それくらいソロを成功させるという
気持ちが強かったので、やらせていただきました。
そして問題のソロ曲。
Aメロ(最初のメロディ)が終わり、
続いてソロパート。
※ここから下は思ったこと、感じたことを、
小説気取りで書いてます。
ウザいな、と思ったら飛ばしてください。
ソロ部分の5小節前。
ひな壇からおり、ソロのマイクへ。
突如として数百人の客の目が見える。
なりふり構わずマイクまで行き、高さを調節。
さあ、いよいよソロパート。
走り出しは順調、リズムにも乗れた。
そして問題の後半部分。
後半の最初の高音。
なんとか音を出す。
しかし、あと一歩届かず、
1つ低い音が鳴った。
ここで、あ、終わった、と思っていたら、
多分昨日の繰り返しになったと思う。
その次のちょい高音の音。
ここを合わせれば、なんとかなる、
そう思っていた。
全力で、ただ全力で、
思いっきり息を吹き込み、唇をふるわせた。
鳴った。
正しい音が鳴った。
1音当てただけでこんなにも嬉しいものだろうか。
しかし、喜びに浸っている場合ではない。
すぐに次の音がくる。
こうなったらもうあとは、
どれだけ当たってくれるか。
音が止まることはなかった。
そのあとの高音もまた1音低い音が出たが、
それ以外のところは全て当たった。
息が続いたのだ。
最後の音を伸ばし、
止めて、深々と礼。
心の中は、達成感に満ち溢れていた。
※小説部分終わり
演奏が終わり、ステージの奥へ。
そのあとは高校の演奏を見て、
部室へ帰りました。
どうしてオク下げまでして
スタミナを温存したのか。
なんと今日のお客さんとして、
僕の両親、さらには
僕の小学校の時のクラスメートが来ることがわかっていたからです。
流石に親とクラスメートの前では、
昨日みたいな演奏では見せる顔がなくなる、
そう思い決断しました。
多分今日の演奏は、
僕がブラスバンド部に入部して、1番緊張した、
そして、1番達成感があった演奏でした。
それでは、また次の記事で!