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教育活動において「遊び」がめちゃくちゃ重要ですよって話

社会性のは全て「草野球」で学べる

放課後、空き地にみんな集まってきました。
「磯野、野球しようぜ」ぐらいの軽いノリで集まったメンバーは、10人。
公式ルールでの野球をするには人数が足りません。

年上もいれば、年下の子もいます。
よく見たら、名前がわからない子もいます。

バットとボールはあります。
でもグローブが足りません。
あ、ボールはテニスボールでした。

ベース?そんなものはありません。
フリスビーと、そのへんで拾ったビニール袋を並べています。
風で飛ばないよう、文鎮がわりに石を置きました。

野球を習っている子は、たぶんいると思います。
いないかもしれません。

そして、大人はいません。

全ては、今日集まった10人で決めるのです。


こんにちは。元小学校教諭のドラ(@dora_webchange)です。
ピーター・グレイ・著「遊びが学びに欠かせないわけ」という本がとってもおもしろかったので、前半で内容を少し紹介し、後半では元小学校教員として個人の考えを書いてみたいと思います。

上記のような遊びの場面が、実は子どもの社会性を伸ばすには最適なのだと筆者は言います。

子どもたちは「自分で自分を教育することができる」のであり、その手段とはつまり、「遊び」なのだというのです。

本文から引用すると、上記のような草野球からは5つの教訓が得られるそうです。

1. 試合を続けたければ、全員を満足させ続けなければならない
2. ルールは修正可能で、プレーヤーたちによって作られる
3. 対立は、話し合い、交渉、妥協で解決する
4. 自分のチームと相手のチームに、違いは一切ない
5. よいプレーをして楽しむ方が、勝つことよりもはるかに重要

この遊びには「やめる自由」があります。
なので、試合を続けるには、参加しているみんなを満足させ続ける必要があります。

2年生のケンタさんがバッターのときは、下投げで緩い球を投げた方がいいでしょう。
逆に、6年生のアオイさんのときは、全力で投げないと失礼です。

野球を習っている(らしい)タクマさんは打つのが上手なので、メンバーの合意の上、利き腕じゃない方でかまえることにするかもしれません。

空き地の向こうに川があるときは、それ以上飛ばないように気を付けようという合意をすることもあります。(飛ばしすぎたらアウトとするなど)

ベースが足りなかったら、三角ベースでやることもあるし、バットがなかったら、キックベースにするかもしれません。

自分のチームと相手チームは流動的であり、ランダム、または合理的に決定します。ピアノを習っているリオさんが途中で帰ったら、メンバーをシャッフルすることもあり得ます。


子どもたちだけで自由に遊ぶ場面から、彼らが学ぶことはとても多いと感じます。

場に応じた振舞いができずにトラブルになることもあるかもしれませんが、失敗を繰り返す中で気付きを得るのでしょう。

きっと、大人が説明するよりもよっぽど腹落ちするのではないかなと。


狩猟民族の子どもはめっちゃ遊ぶらしい

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さて、話は変わりますが、
本書によると、狩猟民族の暮らしを調べた数多くの研究によって、狩猟民族の子どもは一日中遊んで暮らすことが明らかになっているそうです。

大人たちは、決して世話を怠っているわけではありません。
子どもたちが「自分で自分を教育する機能をもっている」ことを知っているのです。

子どもたちは、信頼にあふれた寛大な大人たちのもと、最大限に自由に遊ぶのだそうです。

遊ぶことで多くを学んだ狩猟民族の子どもたちは、人間関係を形成する力や並外れた自制心をもっていることも、研究で明らかになっています。


遊びのエビデンス

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「遊び心が人間の能力を向上させること」は、多くの研究で示唆されてきました。

ビリヤード初心者の、ショットの成功率を調べた研究があります。
ただ遊んでいるときは、評価されているときに比べて、ショット成功率が10%高くなることが明らかになっています。

子どもや大人に絵を描かせる実験があります。
ただ楽しんで絵を描いたグループと、「素敵な絵が描けたら賞がもらえる」と言われたグループとに分けて、描かれた絵の創造性を評価しました。
結果、介入した後者のグループでは、前者に比べて明らかに創造性が低下したということがわかりました。

また、子どもに論理的課題を出題する実験では、遊び心を付与した場合に、子どもたちの問題解決能力が飛躍的に向上するという結果も得られました。

本書には、他にも数多くの遊びのエビデンスを示す実験が掲載されています。逆に、「強制」には人間の能力を下げるはたらきがあることも伺えます。

遊び行動は、生物の中でも哺乳類に多くみられる傾向があるそうです。これは、哺乳類の生活様式は魚類などと比べて複雑で、生きるために身に着けるべきスキルの数が多いことと関連があるとみられています。

筆者いわく、遊びは「自然選択が作り出したライフスキルを身に着けるための自発的な練習の仕組み」なのだそうです。なんか納得できます。


遊びの時間の減少

一方で、現代の子どもたちはどの程度遊んでいるのでしょうか。

本書によると、子どもたちの遊ぶ時間は近年めちゃめちゃ減っているそうです。ざっくりですみません(笑)

かわりに、学校の授業時間、学校外での習い事の時間、これらが急激に増えているんだそうです。ここはデータがなくても体感でわかりますね。


遊びを中心とした自由な学校

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サドベリーバレースクールの紹介HPより https://tokyosudbury.com/sudbury-valley-school/

そもそも、学校は宗教や国家の思惑の上に始まったのだそうです。
かつて、人を都合よく従わせるための訓練として義務教育は存在していました。そうした特性は、今の学校生活にも残っています。

好奇心と遊び心を学校で引き出すことが難しいのは、それらが「自由」を必要とするからなんだそうです。

本書では、遊びを中心とした、極限まで自由な学校について紹介しています。

参考HP
東京サドベリースクールについて

サドベリーバレースクールについて

学校の敷地内で限られたルールだけ守れば基本何をしていてもいい、というスタンスです。前述の「子どもたちは自分で自分を教育する機能をもっている」という考え方にもとづいています。

困りごとがあったときは、校内のミーティングで解決策を話し合います。結果として、無法地帯にはならないし、卒業生も有名大学などに進学し、成果を残しているんだそうです。


今の小学校について思うこと

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小学校教諭として5年間勤務した経験から、今の小学校について思うこと2つを書いてみます。


①まず、授業が多すぎると思います。

学ぶべき内容が多すぎて、子どもたちもしんどそうです。集中力を失った状態で午後の授業を受けた経験、誰にでもあるんじゃないかなと思います。

授業のコマ数が多すぎて、1時間当たりの学習効率が下がっていると感じるのです。

いっそ午前中だけで授業が終わるようにして、給食食べて帰る形にしても、学力そんなに変わらないんじゃない?って思うこともあります。

サドベリー式は極端すぎる気もしますが、本書の教えにもとづくのならば、午後は自由遊びの時間にしても意義があると感じます。


②また、「強制」からの脱却が必要だと思います。

一部ですが、「姿勢よく、みんなが先生の指示に従って『いい子』にしている状態」を「いいクラス」と呼ぶ文化があります。

本書にもとづいて考えると、このような「強制」は子どもたちが自分自身を教育する機能を失わせます。

体育の授業を例に考えてみます。

ドッジボールの授業では、ルールやチームは先生が決めます。トラブルが起きたら先生が仲裁し、ルールやチームに不満が出たら、先生が代替案を考えたり、がまんさせたりします。

実は、先生がこの授業を通じて育成する能力には「思考力・判断力・表現力」が含まれているのですが、「強制」によってこれらの力を子どもたちから引き出すことが難しくなっているようです。

上記「草野球」ではどうでしょうか。ルールやチームを自分たちで決めて、トラブルも、メンバーからの不満も、自分たちで解決します。ここでは、「思考力・判断力・表現力」が発揮されています。

先生たちが一生懸命準備した授業ではできないことが、むしろ子どもたちに任せることでできてしまうことがあるのかもしれません。

とはいえ、今の小学校で上記2つをやり抜くには仕組みから変える必要があるので、なかなか難しいです。現実的なところでいくと、以下の2つかなと思います。


①「遊び」を軸に活動を設計すること

子どもたちは遊んでいるつもりだけど、実は遊びの中で力がつくという状態をいかに作り出すかです。これは、ユニバーサルデザインの体育の考え方とかなり近いです。

例えば、

・2人組でパスゲームをする際、ただ投げるのではなく、制限時間を設けて何回続くか挑戦させる(キャッチから投げ動作をスムーズにさせたい)
・ただ手押し車をさせるのではなく、出会った人とジャンケンをして、3回勝ったらアガリにする(腕支持感覚を鍛えたい)
・サッカーのドリブルをただ行うのではなく、笛がなったら足の裏や内側などでボールをピタッととめる(ボールコントロールの感覚を養う)

などです。

ちょっとした遊び要素を加えることでゲーム化できるので、学習効率アップが見込まれます。

②子どもに任せてみること

大枠のルールだけ決めてあげて、後は子どもたちに任せてみる。これによって自由を確保し、子どもたちの思考力を引き出すことが重要と考えます。

「なんでもかんでも先生が決める」を繰り返していると、子どもたちは自分では決める自由がないことを学習し、考えることをやめます。

安易に介入せず、子どもたち同士でどのように考え、解決しようとするかを見届けることも必要なのだと思います。

こういう形の実践でいうと、西川純先生の『学び合い』だったり、高橋尚幸先生の流動型『学び合い』などが有名です。

先生が教えると時間は短く済みます。子どもたちに任せると時間がかかります。それでも、任せることに教育的価値はあると、本書(ピーター・グレイ・著「遊びが学びに欠かせないわけ」)は教えてくれました。

これからも、「遊び」の重要性を念頭に置いて、教育活動に取り組んでいきたいと思います。


最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
本書、大変おすすめです。ぜひお手に取ってみてはいかがでしょうか。

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