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「天職」だと思った小学校教員が、民間企業に「転職」した話

「おれにとっては先生が天職だと思う」

先生であることは私の誇りで、自分の性格とも合っていました。

「仕事中、こんなに笑える職業はないよ」
「こんなに熱くなれる仕事ってなかなかないよ」
「大変だけど、やりがいがすごいんだよ」

友達にはいつもそうやって、自慢げに仕事の話をしていました。


そんな私は、2022年の3月で先生を辞めます。


「先生」という仕事を心から楽しんでいた私に、いったい何があったのか。

私自身、知り合いで教員から転職した方が一人もいなくて、暗中模索でした。教員としてのキャリアを考えるうえで、少しでも読者様のお役に立てるとうれしいです。


※教員からの転職の具体的なノウハウについては、下記のように別記事で書いています。今回は自己紹介になるエピソードが中心です。詳しく知りたい方は別途ご連絡いただければと思います。


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なぜ転職しようと思ったのか

親戚に年下の子が多かった私は、幼いころからその子たちの面倒を見るのが好きでした。一緒に遊んであげて、笑顔になってくれるのが、とてもうれしかったのを覚えています。

中学でも、人の面倒を見るのが好きで、塾の友達に勉強を教えることが楽しみの一つでした。
「わかりやすい!ありがとう!」なんて言われ、得意になっていました。

やがて
・教えるのが好き
・子どもが好き
というシンプルな理由で教育学部に進学し、小学校教員になりました。

小学校教員としての毎日は本当に充実していました。

楽しいこともつらいこともありましたが、日々子どもたちと本気で向き合いました。彼らの成長がみられたときや、保護者の方から感謝されたときは、魂が震えるほどうれしい気持ちでした。

初めて担任した学年を3年間もち、卒業式を迎えたときには、心から
「先生になって本当によかった」
と思いました。

その後も、子どもたちにとってよりよい教育をするために、自ら勉強しました。勉強したことを生かして日々の業務にあたり、子どもたちが成長することが何よりの喜びでした。

私にとって小学校教員という仕事は、まさに「天職」でした。


教員としてのキャリア、5年目を迎えた春のことです。
中学時代の恩師が指導者として、たまたま勤務校にやってきました。
NARUTOのカカシ先生のような、かっこいい先生です。

久々の再会を喜び合い、後日食事の約束をしました。
そこで聞いた話が、私の決断に大きな影響を与えることとなりました。

教員としてのキャリアに悩んでいた私は、その先生が務める「指導主事(教員の指導者)」という仕事が楽しいのか、率直に聞いてみました。

彼は「全然楽しくないよ。現場が一番だね。」

と言いました。

「子どもが好きで先生になったのに、指導主事の仕事は教育長から振られる雑務をこなすことが中心。早朝に出勤し、深夜まで残業。家族と過ごせる時間もない。指導主事である間に管理職試験を受けさせられ、現場に戻ったら教頭。担任をもつことはもうない。教育委員会には来ない方がいいよ。」


恩師の話を聞いてから、
「教員として出世する以外の道でも、教育という営みをよりよくしていける道があるのではないか」と考えるようになりました。

そんな考えを巡らせながら毎日働いているうちに、少しずつ「転職」という選択肢を考え始めたのです。


「指導主事や管理職になって、学校教育をよりよくしていく」という選択を否定するつもりはありません。

私はただ、民間企業の立場から「教育」がどのようなものに見えるのか知りたい。そんな思いで、教員を続けながら転職活動を始めたのです。
この時点で、教員を辞める決意をしたわけではありませんでした。


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転職活動で見えた世界

まず、どんな企業を受けるか悩みました。

始めはWeb系のIT企業で、エンジニアになることを考えました。リモートワークができること、今後も食っていけるITスキルを伸ばせることが魅力的でした。

しかし、「教えることが好き」「教育をよりよくしたい」という気持ちと向き合い、最終的には「教育事業」を行う企業にしぼって、選考を受けることにしました。


転職活動を始めてすぐに、教員からの転職が厳しい道であることを思い知りました。

まず、書類選考すら通らないことがほとんどでした。

公務員かつ専門職である教員にとっては、何もしなくても子どもが来るのが当たり前です。

民間企業からは「ビジネススキルが身についていない」とみなされることが多かったのです。(実際その通りだと思います)
自分が企業を選べる立場にないことを痛感しました。


やっとの思いで書類選考を通過し、面接に進んでも、厳しい現実と向き合うことになります。

それは、多くの場合、年収が下がるということです。

専門職である教員の年収は、同年代の平均より高いことが多いのです。

「大切なのは業務内容で、年収は二の次だ」と考えていた私。現年収よりも100万円近く下がる、という条件を提示されました。そのときは正直「さすがに厳しい」という気持ちから、戸惑いが隠せませんでした。


転職時期も選ぶことができません。

教員の仕事は、年度ごとに区切りがついていきます。よって「4月入社」という条件をのんでくれる企業にしか、入社することができないのです。これも地味にネックとなります。

転職時期の3か月前から選考を受けるのが主な流れですが、なるべく早く転職先を決めてしまいたかった私は、10月に選考を受けました。そして「入社は来年の4月からしかできません」という無茶を言っていました。


その他、考えうる様々な行動をとり、就職活動に奔走しました。
このとき私が具体的にとった行動については、また後日まとめて書きたいと思います。


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最終面接

選考を受ける中で、多くの「教育をよりよくするために本気の企業」に出会いました。

そのなかでも、ある企業にとても惹かれました。
理念に共感し、担当者の方の人柄も素敵で「ここで働きたい」と思うようになりました。

書類選考と、3度の面接を通過し、最終面接に臨みました。

代表の方に対して、ありったけの思いを語りつくしました。


結果は「不採用」

現場の担当者の方からは高い評価を得ていたし、正直受かったと思っていました。

連絡を受けたとき「なんで!?」という気持ちで頭がいっぱいになり、仕事も就職活動も、手につかなくなってしまいました。

その後、エージェントさんからいただいたフィードバックには、こう書かれていました。

「教員を辞めて民間にうつる上で、覚悟が足りないと感じたため」

頭をフライパンでなぐられたような感覚でした。

自分では覚悟を決めていたつもりだったのですが、「民間にちょっと興味があります」程度の人間に見えていたのだとすると、覚悟が足りなかったのだと思います。

それから、自分軸をもう一度問い直し、学校でもできること、民間でしかできないことをじっくり考えました。

結果、教員を辞めて民間で勝負するという気持ちは確かなものになり、その後の面接では、自分の思いを本気で語れるようになったと思います。


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4月から勤める会社について

結局、20社以上に書類を出したり、面談をしたりして、2社から内定をいただきました。

最終的に私がたどり着いたのは、IT・メディア系、コンサルのような業態の会社でした。

携わる事業は幅広いのですが、中には教育事業も含まれています。その分野では私のやりたかった「教育をよりよくすること」に取り組めるので、わくわくしています。

当然、自分が新しい環境でうまくいくかどうかなんて、わかりません。むしろここからが勝負です。教員を辞めて、民間から教育をよりよくしようと思った人間が、今後どうなるか。

「そういう人もいるのね」みたいな感じで、眺めていただけたらと思います。


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自分信じぬくこと

小学校で見た子どもたちは、生き生きとしています。

自分を信じ、様々なことにチャレンジする姿から、私自身が何度も勇気をもらいました。

しかし、学校生活のなかで少しずつ自信を失い、いつしか自分の限界を自分で決めてしまう子がいます。

自分の限界を決めた瞬間に、成長は止まると考えます。

結局、自分ならできると信じぬけるからこそ、アクションを起こせるし、アクションを起こしたからこそ、成果が得られるのだと思います。

そんな子どもたちに「自分を信じぬくこと」の大切さを語り続けられるような人間でありたい、そのためにまずは自分で自分を信じぬく。そういう生き方をしていきたいです。

私の好きな漫画「NARUTO」に出てくる熱血教師のガイ先生が、教え子のロック・リーに語った言葉を置いておきます。

「自分を信じない奴になんかに、努力する価値は無い」

教育を通じて、一人でも多くの人が自分の可能性を信じ、生き生きと輝く社会をつくっていきたいです。



最後になりますが、

5年間の教員人生および、転職活動では、本当に多くの方々に支えられて歩んでこられました。

ご指導くださった職場の先輩方

私の決断を快く受け入れてくださった管理職の先生方

いつも話を聞いてくれた友人たち

そばで支え、応援してくれた家族

向き合ってくれた子どもたち

温かく接してくださった保護者の方々

皆様方にいつか恩返しできるよう、さらに成長してまいります。


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。



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