私の学び直しなどない
お題の学び直しですが、私の学び直しはありません。何故なら、学ぶ価値のあるものは一生かけて学んでいくもので、スポットでしか役に立たないものはその場限りの学びで良いので、わざわざ学び直す価値がないからです。
学びとは生涯続くものである
では一生かけて学んでいくものとは何なのかというと、大きく括れば人生論です。
人生如何に生きるべきか、という事をテーマに人間を学び、社会を学んでいる最中で、学び直しなんてないんですね。今も学んでいるのですから。
人間を学ぶとはどういうことか
では人間を学ぶと言うことはどういう事かといえば、大きく括ると精神と身体を学ぶ事であり、人間はどのようにして生きているのかを学ぶ事でもあります。
社会を学ぶとはどういう事か
次に社会を学ぶという事ですが、人間が生きているのは社会の中で生きているのですから、社会とはどういうものか知る必要があります。
簡単に言えば社会はどうなっているのかという事ですが、もう少し具体的に言えば、国家論から政治、経済、その他諸々身の回りの事について学ぶ事ですね。
もう少し言えば、社会も自然から発展したものなので、自然についても知る必要が有ります。
そこまで広げると、学問上の世界観についても触れないといけないので、当然に唯物論を前提とした自然、社会、とくれば人間ではなく、精神を学ぶと言わなければなりません。
人間も自然の一部であり、人間を人間たらしめているのは精神なのですから。
何のために学ぶのか
ではなんのために人間や社会を学ぶのか言うと、自分の生きたいように生きるためです。
人生如何に生きるべきかを学ぶために、人間論を学び、社会とはどうなっているのかを学んでいるのです。
敵を知り己を知ればという諺の通り、社会を知り、人間を知れば一度しかない人生を思い通りに生きる事ができるという事で、学びを続けているのです。
例えば詐欺でも何でも良いです。誰かに騙されて不利益を被らないためだったり、取り返しのつかない失敗を避けるためだったり、可能ならば社会的に価値のあるもものを人類に提供するためだったりします。
学びは無限、人生は有限
一言で言えば学びとは人生のためなのですが、人生は有限なので、学ぶ価値の無いものを学ぶ時間などありません。
なので何かを始める時は学ぶ価値があるかどうかをよく考えます。
しかし、人生に無駄なことなど無いと言う格言の通り、一見無価値に思えるものでも何かの役にたつ事もあるのもまた人生。
そもそも社会も人間も、全て一つから発展して今に至っているのですから、
そういう意味では何を学んでも価値の無いものなどは無いとも言えます。
大事なのは、何を優先して学ぶのかという事なのかもしれません。
私は人生論を優先的に学ぶ事にしました。おかげで40代を迎えようとしている今も大きな失敗や後悔していることもなく、前を向いて心身ともに健康に生きています。
学び直しなどない
結論としては、学び直しというのは、学んでいない人間がする事なのかもしれません。
学び続けている人に学び直しなど無いのですから。学ぶ価値のある事を見つける事が人生において最も大事な事なのかもしれません。
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