株式会社Doorkel Founder/CEO 鈴木陽平
きっかけがあればテスト5点の私でも海外留学の夢を叶えられた。ITの力で「人生のきっかけ」を創るDoorkel
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きっかけがあればテスト5点の私でも海外留学の夢を叶えられた。ITの力で「人生のきっかけ」を創るDoorkel

株式会社Doorkel Founder/CEO 鈴木陽平

こんにちは。教育✖️グローバル✖️テクノロジーの領域でサービスを開発する株式会社Doorkel(ドアケル)の代表、鈴木陽平です。

2017年8月の創業以来、銀行口座の残金が一時は100万円を切る(!)などたくさんのピンチがありましたが、今では一緒に会社を成長させてくれるメンバーは業務委託やアルバイトを含め25名に。3期目となる今期には売上の基盤となるサービスもでき、Googleとも提携を結びました!

Doorkelが行う3つの事業の共通項は、若者に「きっかけ」を提供すること。

1) ユーザーは世界186ヶ国5万人!世界の学生&教育機関をつなげるSchooLynk
2) 200校以上で導入!日本の教育機関と高校生をつなげるSchooLynk Contact
3) グローバル人材に働く機会を!インターン生と企業をつなげるEarlybird 

「きっかけ」の提供にこだわる背景には、私自身の原体験があります。

岐阜県の田舎町で育った私は、幼いながらに地元という小さな世界で生きることを窮屈に感じていました。とはいえ、県外でも挑戦していけるような優秀な子どもだったかというと、そういうわけでもありません。いつもテストでは5点ばかり。できそこないの小学生だったのです。

悶々としていた私の人生を変えたのが、人生に訪れたきっかけでした。いくつかの転機に恵まれたことで、最終的には日本を飛び出し、中3以降の教育を海外で受ける人生を歩むことになったのです。

このnoteでは、Doorkelという会社を創業することになった私の原体験について綴ります。いち教育系スタートアップのエピソードゼロとして読んでいただけたらうれしいです!

1. テストはいつも5点だった私が、海外進学を目指すことになったわけ

※物語のスタートは、私が小学1年生だった1997年です。なつかしき平成感をおたのしみください!

岐阜の田舎で育ちました。放課後の遊び場は、家の前に広がる大きな山。母親が山に向かって「ようへいー!ごはんだよぉー!!!」と夕飯の時間を知らせるまでザリガニをとったり、秘密基地をつくって遊んでいました。

学校では全然勉強をしていませんでした。テストの時間はもっぱら天井の穴を数えて過ごしていましたね。これ、わかる方いますよね?笑

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↑イメージ写真:ずっと見ていると動物や人の顔が見えたりするw

そんなんだから、テストはいつもゼロ点。見かねた先生が、「名前を書けたからおまけだよ」と5点をくれていました。ランドセルの底には、くしゃくしゃに丸めた5点のテストがぎっしり。溜まると定期的に山に捨てていました←

そんな私が子どもごころに違和感を感じていたのは、まわりには地元で進学・就職している大人しかいなかったこと。地元以外で生きる選択肢が見えず、モヤモヤしていたのです。

今なら、地元で生きるという選択も、地元を離れて生きる選択と同じように尊いとわかります。でも、子どもだった私には県外の世界を知る術がなく。外界を知らないからこそ、自分がものすごく小さな箱に閉じ込められているような気がして、もどかしかったのです。


小3のとき、ギャンブル好きの父親が「本場のカジノがしたい!」と言い出し、ラスベガスへ行くことになりました。

生まれて初めての海外旅行。ホテルをぶらぶらしていると、ビリヤードをしているアメリカ人のお兄さんたちが声をかけてくれたんです。

👨‍🦰👨‍🦱 Hi, XXXXXXXX
↑英語わからず...。おそらく「一緒に遊ぼうよ、ぼうや」的なサムシング。

言われるがまま、人生初のビリヤードデビュー。イケイケなお兄さんたちの輪に入り、ボールを打ちました。

👨‍🦰:もっと右を狙ってごらん👉
👨‍🦱 :いいね〜上手👍
👨‍🦰:今のショット最高!ハイタッチ🙌

言葉はよくわからないものの、お兄さんたちとコミュニケーションのキャッチボールができたことが嬉しくて。「なんだこれ、すごい楽しい...!!!世界すげぇ!!!この人たちと、いつかもっとちゃんとしゃべりたい。」
興奮冷めやらぬまま、帰国したのです。

けれども、地元に変えるとまた小さな世界。その窮屈さと、1度抱いた海外への憧れが合わさり、海外に出たいと思う気持ちがふくらんでいきました。


中1になったとき、「留学をしたい」と両親に伝えました。

🤷‍♂🤷‍♀️は...???海外???

これが最初の反応でした。私はあんまり勉強をしない子どもだったし、まわりに留学している人の事例もなかったので、いきなり留学って何事?と思ったのでしょう。

どうしても海外に行きたいのだと主張しましたが、父親が一蹴。
「お金がかかるからだめだ」

悔しさで胸がいっぱいになりました。

でも、次の瞬間。楽天家の私は思い直したのです。

「じゃあ、お金があれば行けるんだ! お金を集めよう!」


2. 留学資金を集めるため、奔走。インターネットの奇跡により、見ず知らずのお医者さんから支援を受けることに

まず、インターネットで奨学金や留学ローンの検索をしました。電話線につないで、♪ピーヒョロロとやる、ダイアルアップ接続の時代です。

しかしながら、今から15年前となる当時、中学生の私費留学をサポートする団体は存在しませんでした。奨学金やローンがないのであれば...💡お金持ちの人に頼もう!!!💡

Yahooメールのアカウントをつくって、全国のお医者さんや弁護士さんにメールを送りまくりました。

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↑当時のメール再現。引くほど薄っぺらい内容ですね。。。

しかし! インターネットの力をみくびってはいけません。

メールを出し続けて半年後、東京でお医者さんをしながら、留学する若者を支援しているという方を見つけたのです。

すぐに電話をかけ、どうしても留学に行きたい!! とほとばしる想いを伝えました。

お医者さん👩‍⚕️「おもしろい方ですね。1度、東京でお会いしましょう」

胸を弾ませてむかった東京。お会いしたお医者さんに、とくかくやる気があります! と熱弁しました。それは戦略的もロジカルさもまったくない、未成年の主張。手元の通知表にはアヒル(2)ばかりが踊っていたけど、私には絶対に海外で成功するのだ! という、根拠のない自信があったのです。

先生はそんな私の熱意をかってくださいました。

👩‍⚕️ わかりました。応援しましょう。

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そして

なんと

数百万の留学資金を援助してくださることになったです!!!!!!!!! 

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YEEEEEESSSSSS!!!!!

14歳の少年がネットで見つけた見ず知らずのお医者さんに直談判し、留学資金の調達に成功したという、ウソみたいな本当のお話です。

夢の海外生活への扉が、静かに開いていきました......!!!

(最終的には両親もサポートしてくれましたが、お医者さんからいただいたお金は大きかったです。感謝しても、しきれません🙇‍♂️🙇‍♂️🙇‍♂️)



3. 外の世界にはたくさんのカベが。でも、カベを越えるきっかけに恵まれた

中3のおわり、オーストラリアの現地校へ編入しました。単身で飛び出した海外。異文化をもつクラスメイト、初めて口にする蛍光色のアイシングがかかったドーナツ、海外ドラマで見るようなホームパーティー。15歳の私の目にはすべてが新鮮でした。

刺激的な毎日を送る一方で、たくさんのカベにもぶちあたります。

みなさんお察しの通り、留学当初の私の英語力はひどいもの。「アップルのスペルって、Apleだっけ?」「ofっていつ使うの?」というレベルでした。まわりの人とうまくコミュニケーションがとれず、友達づくりに苦戦していたのです。

そんなとき、ホストブラザーがカベを越えるきっかけをくれました。

🙍‍♂️「陽平の得意なスポーツをつうじて友達をつくったらいいんじゃない?」

ためしに現地のスポーツコミュニティに入ると、一緒にトレーニングをする中で友達ができはじめました。机にむかってカリカリ勉強するのではなく、体を動かしながら英語を練習して、友達をつくる。私らしく現地生活に溶け込む方法を、ホストブラザーが見出してくれたんですね。おかげで留学生活がぐっと楽しくなりました。

高校では、資金を援助してくれたお医者さんの薦めもあり、国際バカロレア教育が受けられるイギリスの高校に進学。バカロレアは世界の複雑な問題を解決する能力を養う国際的な教育プログラムで、授業は議論形式で進んでいきます。

新たなカベとなったのは、この議論形式の授業スタイル。授業では自分なりの考えをもってディスカッションする力が求められたのですが、正解が存在する日本の教育に慣れていた私は、絶対的正解のない問いを前に固まってしまったんです。

すると、そんな私の様子を見ていた先生が一言。

👨‍🏫「むずかしく考えず、ただ陽平が思ったことを言えばいいんだよ。意見に正しいも正しくないも、存在しないんだ」

「発言するなら、できるだけ正しいことを言わなければならない」という思い込みから開放された瞬間でした。勇気を出し、自分の心に浮かんだことを言ってみました。すると、そこにクラスメイトが新たな意見を重ねていき、議論は生き物のようにカタチを変えて発展していったのです。

正解のない問いに向き合う楽しさを知った私は、積極的に授業へ参加するようになりました。そうして高校をつうじて身につけた思考力や対話力は、その後の進路やキャリアでも大いに役立っています。

高校卒業後は「これからアジアがビジネスを牽引する」と考え、香港大学へ。優秀なアジアの大学生と切磋琢磨した4年を経て、帰国後は外資コンサルへ就職。3年弱、10カ国以上の海外プロジェクトにたずさわったのち起業し、現在に至っています。

今、私が歩いているのは、岐阜の小さな町でモヤモヤしていた小学生の私にはまったく想像もつかなかった未来。

💡ラスベガス旅行
💡お医者さんからの留学資金の援助
💡留学中にホストブラザーや先生がくれた一言...

これらのきっかけがなければ、まったくちがう人生を歩んでいたでしょう。それはそれで、また素敵な人生だったかもしれません。

でも、私はたくさんのきっかけがあったからこそ切り開くことができたこの人生が好きで、心から感謝しています。

そして、自身の原体験をつうじて確信したのは小さくても「きっかけ」があれば、人はあらゆるカベを越え、人生を好転させていけるということ。なんといったって、5点のテストを山に捨てていたできそこないの私でさえ人生を変えることができたのですから。

今度は、自分がきっかけを与える側になりたい。そんな想いで株式会社Doorkelを立ち上げ、きっかけのプラットフォームづくりに取り組んでいます。

4. 生まれた家庭や場所にかかわらず、誰もがきっかけを掴める社会に

Doorkelでは、ITの力であらゆる人生の「カベ」を「ドア」に変えていくことで、誰もがきっかけや機会を掴み、挑戦と成長を繰り返しながら夢を実現できる世界を目指しています。

<Doorkelのミッションとビジョン>

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情報や機会というのは、生まれた場所や育った環境で偏ってしまうことがあるんです。

たとえば岐阜に生まれた私は、山で創意工夫して遊び、想像力やサバイバル能力を身につけたりする機会は日常的にあったものの、海外進学という選択肢が身近に存在しないまま育ちました。

一方、東京に生まれた子は、海外進学の選択肢はより近くにあるものの、塾や習い事で忙しい日々を生きています。ザリガニ釣りや秘密基地づくりに熱中する経験をしないまま、大人になるかもしれません。

どっちがよい・悪いというわけではなく、偏りのないフラットな状態で選ぶことができれば、人々の可能性はもっと広がっていくと思うのです。

「Aという選択肢しか知らないから、Aを選ぶ」ではなく、
ABCDEF...と、さまざまな選択肢に触れた上で、Aを選ぶ。
そして、Aの道に行くために必要な情報やきっかけに、だれもがアクセスできる。

Doorkelが目指しているのは、そんなふうに未来をシームレスに考えられる世界。そのために冒頭でご紹介した「若者にきっかけを提供するサービス」を展開しています。

5. 最後に〜メンバー積極採用中!〜

ここまでnoteをお読みいただき、ありがとうございました。最後になりますが、Doorkelでは一緒に働く仲間を募集しています。

もし、私たちが信じる「きっかけは人生を変える」に共感くださり、教育✖️グローバル✖️テクノロジーの領域でスピード感もってチャレンジしたいという方がいましたら、ぜひご連絡ください! お待ちしています。

<求人の詳細はこちら>

<代表、鈴木陽平が語るDoorkel>


参考リンク
■Doorkel、これまでの歩み

■私、鈴木陽平の人生のライフストーリー。2019年2月、人生経験のシェアリングサービスを展開するanother life.さんで取材いただきました!


#挑戦している君へ #熟成下書き #スタートアップ #留学 #海外進学


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Doorkel(ドアケル)のFounder/CEO。「ITの力であらゆる人生のカベをドアに変える」を掲げ、教育DX事業してます。オクスフォードの高校(国際バカロレア)→香港大学→ローランドベルガー→Doorkel【https://www.doorkel.com/】。サウナーです!