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膝下あたりの波と海。

 倒れたビールの缶と、空いたウイスキーの瓶を見ている私は、ベットにどこまでもどこまでも沈んでいく。今は何もかもどうでもよくて、世界がこのまま終われば僕はどんなに幸せなんだろうと切に願っていた。それでも明日と現実は我が物顔に振る舞い、働いて真人間になりなさいという世間と、頭に纏わり付く鈍痛に耐えなければならなかった。

 周りの人間のテンションにどうにもついて行けなかった私は会社員という状況になんとかしがみつきながら生き、気づけば「お荷物」だの「厄介者」だの、そんなレッテルを貼られたが、それでも私はやめる事なく居続けた。それは意地とかプライドとか反骨精神とかそういうものじゃない。「頑張れない。」だけだった。向上のための頑張りもないし、新しい新天地に歩を進める為の頑張りも持ち合わせてはいない。私は、現状維持で精一杯でそれ以上のものは求めることができない。どうにもならないこの状況の私は酒で紛らわせる。ウイスキーが舌を満たし、胃に染み渡る。やがて脳を華やかにしてくれる。それを飲んでいる時だけが、最上級の幸せだった。

 しかし、酒は現実から逃げることが出来ず、必ず明日はやってきた。ずっとしがみついていても、酒の力じゃ逃げたいという欲を紛らわすことが出来ないと脳は理解していた。私はある時、無職になった。自分の意志で飛び出した時は、開放感が私の中を高揚させていた。でも、片隅では私の大事なものが終わったような気がした。

 その日から、私は毎日酒で満たされていた。1日たりとも欠かさず。自由だ!と、高らかに声を上げ、その日々を謳歌している。と頭を騙していた。でも、訪れる日々が怖くて怖くて仕方なく、私の中を酒で満たすようにしていた。私の中にある「どうにかしよう。」と足掻こうとする自分を押し殺すために毎日、酒で満たす。外へ出向き、飯と酒を楽しめる場所はあらかた行っていた。家に帰れば、またビンを空け、日に日にベットに沈んで行った。

 やがて「どうにもならないんだ。」と常に私が私に語りかけていた。すかさずに酒以外にも文学や映画、ギャンブルに嗜み始め、自分の中で「もしかしたら。」という、甘くて矛盾した希望を胸に足掻いていた。私の中で「どうにもならない。」が強く撃ちつけて、脳を凄まじいスピードで侵食する。胃の中にある物が、大量の酒でエンジンがかかり、フルスロットルで口から撒き散らされたって、全身に「どうにもならない。」が残り続ける。

 やっぱり、私はどうにもならなくて、頑張れない。部屋は空いた缶とビンだらけで自動販売機の横のような部屋になっていた。お隣はペットボトルなのかなとふざけてみる。せめてゴミ箱には居たくないと思っても、外を歩けばなんだか「その部屋にいるのがふさわしいんだぞ。」と言われてる気がして、誰もいないような道や河川敷ばかり好むようになっていた。そこで酒を呑むと、冷静な自分が冴えだす。だから泥酔するまで呑み続ける。じゃなきゃ自分自身の冷静さに殺されてしまうような気がした。

 やがて、また逃げるようにどこか知らない海に来ていた。どこまでも続く広い青は、私の中で「来る所まで来た。」と思わせた。どうにも頑張れないだけで、私はここまで来てしまったのかと。酒を飲んだって目の前の海は、そこに変わらず波打っていて、裸足に海水が優しく撫でた。

 そのまま膝下まで歩く。でも、それ以上はいけなかった。振り向くと、どうにもならない現実があって、前しか見られなかった。私は海の膝下あたりで足止め。私の来る所は膝下あたりのちっぽけな所だったが、納得していた。ガラスを前に憧れているだけで進めないもどかしさ。どこまでもどこまでも続いているのに私はここまでしかいけない。私の中は、ああ、どうにもならないんだな。と、波に沈んだ足に呟き続けていた。

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