自分の正義を"絶対"にしない。私は卑怯で弱くて、自己中だ。
テレビ、新聞、SNS…各メディアで同じような報道・議論がなされている。
ニュースのトレンドはコロコロ変わり、そのたび私たちは群れとなって正義をかざす
風見鶏みたいだ。
差別と区別
NYの帰国子女の友達に、
差別主義って、区別した時点で始まっているというようなことを言われた
私はyellow あなたはblack あの子はwhite
私はfemale あなたはmale あの子はtransgender
そう認識するだけで、人類を分別しただけで、
差別は始まると。
だから差別はなくならない、と。
ー引き金を引くまで、分からないけど、私もあなたもあの子も、ずっと差別の中で生きている。でも、人が死ぬまでほったらかし。
ある授業の中では教授が、区別する正当な理由や正義がない場合には、差別になると言っていた。
ー正当とか正義って誰が決めるの?
私たちは誰に怒りを向ければいいんだろう?
黒人を、虐げる白人なのか?(黒人、白人という表現は大嫌いだけどあえて端的に表現するために使います)
ーたしかにあの警官は不当な暴力を振るったけれども、白人全員がそういう考えを持っているのか?
ー怒りを向けることが解決策ではない。分かっているけど、終わらせるために我慢する役は、誰が担うの?死を背負って、自分の心を殺しながら、笑って生きるのは?
必要なときだけ正義を振るう、私はずるい
『差別はいけないことだ』『いじめダメ!』
みんなが知ってるよ。
それが正しいと。自分が正しさを実践していると。
その正しさを疑うことをせずに、ただ、ぼんやりと正義の綱につながって、必要な時だけそちらを向くんだ。
ずるい。私はずるい。
ひとが殺された時だけ、その痛みに寄り添って、正義を叫ぶ。
『差別はいけないことだ!』
とても惨めなことだけれど、やはり、街を歩いていると「あ、黒人だ」というfirst impression を持ってしまう。
そこに悪いとか良いとかそういうことはない、何故なら『差別はいけない』ことだから。意識上は、そう。
その気持ち悪さに気づくまで、私は正しく、優しい自分に陶酔したまんまである。
【気付かない、または、見て見ぬふりをする】
【疑わない、ひとつの正しさを決めつける】
つまりはこういう状態。1番人間として脅威的な状態だ。
私は押し付けられた"正義"というパッケージで、誰にも責められない、安全圏にいようという魂胆を持っている。
私たちは同じAを持っているつもりでも、微妙に形が違ったり、中身はRだったりする。
でもね、気づかないんです。私たちは自分の眼、自分の感覚、自分の脳しか持ち得ないから。
どんな学者でも、いろいろな角度から物事を検討しても、所詮、私たちが見ているものは、私たちの網膜に反射した、虚像です。
正解のない社会で生きる
どんな最もらしいことも
あなたが感じる事実、正義でしかなく
それは一人一人違います
あなたが見ている世界は
社会やあなたのフィルターに濾過されたもので
あなたに便利な形に加工されています
自分が普通だ、と思って生きることは楽チンですが……
(言ってしまえばわたしのこの主張だって私にとっての正しさでしかありません)
私は、この世に普遍的な真実、事実、正しさはないと思っています。
強い人間や、強い集団がある程度まともな形を形成していますが、でもそれも特定の集団から見た事象であって、彼らにとって便利な真実です。
差別に関わる人は、
・差別されるひと
・差別するひと
だけではない。
・差別されるのを見ているひと
・差別に気付かずにいるひと
・差別を救おうとするひとetc
まあ、分かる話ですよね。そうですよね。
あー、私も当事者なんだ。
だから
『差別はだめなんだ』
どうか、どうか、それだけで終わりにしないでほしい。
自分の正しさから、一旦離れてください
殺された、差別された、黒人はかわいそう
それだけで終わりにしないでください。
今度は「白人は、黒人を差別する悪人」主義が始まるのでしょうか
世間、一般、普通…個が固まれば、それから除かれた人に対するまた新たな差別が起こります
正しさや、常識に、怯えてください
自分は間違っているのかもしれない、という意識を手放さずにいてください
自分を疑うことは、とても体力がいることです。
時に自分を信じられなくなり、社会を信じられなくなり、孤独です。
終わりのない問いの中、正解が見つからないと分かっていて、葛藤を繰り返すことはとても面倒で、重苦しい。
けれども、気付かずにいることの方がよっぽど怖いと私は思います。
美味しくご飯を食べている時、ゆっくりお風呂に使っている時、友達と居酒屋でくだらない話をするとき
私たちは遠くの誰かに矢を放っているかもしれない
私自身、何度も軽率な言動や判断をし、人を傷つけたこと、後悔したことがあります。でもきっと気付かないうちにもっと多くの殺人をしている。
正しさを振りかざしている気になって、多くの死を黙認している。もしかしたら、この文章を書いている今、まさにその最中なのかもしれない
私は、無意識に社会の流れに加担してしまいます。でもそんな、弱い自分から目を逸らさないようにしなきゃ。
私の目は、物事を一点からしか見られないし
私の脳はすぐに間違える、そしてすぐに忘れる
だからこそ、自分に刃を向けて、自分の価値観に問いかけて
一度自分の正しさを殺して、ほかの場所、角度、感覚を探しに行きたい。
ひとつの真実や正義はありません。極端なことを言えば、差別がよくない!ことだって、間違いなのかもしれない(あくまで可能性の話ですが)。
だから、無数にある正しさのなかで、あれは?これは?と検討しなくてはならないのです。
間違えることばかりです。でも、知ろうとしなくては。
忘れてはいけない。私は正しくないことを。
当事者でもない、ただの若造がこんな偉そうなこと言ってごめんなさい。 ただ、自分の気持ちをぶちまける場所として、今の自分を切り取る場所として、noteに投稿させていただきました。配慮したつもりではありますが、もし不快な思いをされた方がいましたら謝罪させていただきます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?