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【心の解凍】インターネットの闇、出会い、少女、教訓【エッセイ】

まいど!曇戸晴維です!

前回前々回と続き、不安障害と闘病生活について書いてきました。
読んでみてください

なに?
めんどくさい?

よかろう!

前々回のあらすじ
・全般性不安障害っていうなんでもかんでも不安になる病気があるよ!
・薬で症状抑えながら成功体験を積むことで不安を治すよ!その間に鬱とか併発するよ!
・独力でなんとかしようとすると晴維みたいになるよ!

前々回のあらすじ

こんな感じだ!!!


前回のあらすじ
・薬めっちゃ効いたけど勝手に断薬して社会復帰したよ!
・自分が倒れたら多方に迷惑がかかるのが怖くて会社を手放す決意をしたよ!
・不安から逃げるように仕事をしながらめっちゃ人と話すようになった!その半数以上はインターネット上でだよ!

前回のあらすじ

こんな感じだ!!!



さて続きだ!

今回は私がインターネットで人と関わり話をしていく中で、気付きを得る話です。
たかがインターネット、されどインターネット
そこは世の中の縮図のようでいて、全く違う世界でした。

あなたも目の前にいる人を大切に。
誰かの糧になれば幸いです。
心の凍てつきが溶けますように。




人、人、人


先に述べたように不安と恐怖に駆られた私追い立てられるように仕事をしました。
その多くは通常業務を含め、引退するため、後輩に会社を譲るためのものです。
通常業務には面談も多く含まれました。
彼らは気さくで、私に親しみをもってくれていて、業務上の面談だというのにプライベートな相談や悩みを打ち明けてくれました
それがとても嬉しかった
彼らは彼らの居場所があり、私の作った場所に安心していてくれたから、そこを起点として他の居場所も居心地の良いものにしようとしてくれている
そんな風に感じ、嬉しかったのです。
だから、私は全般性不安障害の症状に悩まされながらも、彼らの話を聞くことができました
そして同時に彼らは私の悩みも理解してくれました。
私が会社を辞めることを誰もが悲しい顔をしつつも笑顔で見送ってくれました。


インターネット


私はインターネットは道具だと明確に思っています。
それは電話や手紙の延長線で、通信を高速化する情報を扱うツールなのです。
しかし、インターネットにいるのは私と同じ考えの人ばかりではありません
居場所を求めた人たち、居場所を現実から奪われた人たち、現実に居場所を見いだせない人たち、様々な人がいました。
私もその一人だったのでしょう。
会社を辞めようとして、自分の価値がわからなくなってしまう寸前
だから、人と話して自分を再確認しようとしていた。
ともすれば亡者のように、自分の居場所を確保し、管理し、どうしようもなく支配しようとする人たちもいました

私も、もしかしたらそうなっていたのかもしれない、と今思います。



少女


そんな人間の悪も善も跋扈する混沌のインターネットの中、一人の女の子がいました。
彼女は大人たちに翻弄されつつも負けない少女でした。
私が初めて話したときに抱いた彼女への印象は苛烈なものでした。

こんな子どもがいてたまるか

そんな強い感情を抱くほどに彼女は17歳という年齢に負けず、賢く、大人で、勤勉でした。
話していると25歳ほどに勘違いしてしまうほどに達観していました。

周囲の大人たち彼女をまるで一人の女性として扱っていました

自分は起業家だと豪語するおじさんは従順にお茶くみをするOLのように。 大学生は年上の姉のように。
三十路も近い社会人は歳近い同僚のように。
女性陣ですら彼女を同い年の友人かのように扱っていました。

こんな子どもがいてたまるか

私のこの感情はとてつもない怒りの現れであったように思います。
即ち、彼女をここまでさせてしまっているこの世界はなんと恐ろしいのか、彼女が、子どもが子どもをできない世界のなんと寂しいことか。
その恐怖が恐怖を超えて、怒りと悲しみとして現れました。

私の目には、彼女は成長を遂げて大人になったよりも、必要にかられ、自分の居場所を作るためにオトナを演じている
そして誰もそのことに見向きもしなければ、気付きもしない
気付いても無視している

そんな風に感じました。



誰しもが悩んでいる


当然といえば当然なのです。
よくよく考えてみれば、インターネットの出現などまだ歴史が浅いのです。
そしてそこに集まる大人たちは多かれ少なかれ問題を抱えています

それは社会に取り残された問題
同年代が家庭や友人、リアルでの生活を送っている中、インターネットに飛び込むしかなかった人たち。
彼らは彼女と同じく居場所を作るためにインターネットに飛び込んだのです。
もちろんインターネットを上手に便利に使っている人たちも少数ですがいました。
しかし彼らでさえリアルで手一杯

人を見る余力などないのです。
厳しい話のようですが私が感じたのはこのような事でした。


この記事にも書いたように、私は大人と子どもというものにきちんとした定義を持っています
私が出会った17歳の少女。
彼女の周りに私が大人と思える人は多くはいませんでした


そんな彼女が教えてくれたこと



私は躍起になって大人であろうとしました。
不安障害を抱え、病状に苦しみ、会社さえ手放そうとしているおじさんがです。
情けない姿だったと思います。
それでも、私は彼女や彼女のような子たちが子どもでいられないという事実が耐えられませんでした。

彼女は私に多くのことを教えてくれました
彼女を通して、私は教育のなんたるかを改めて考えました
長い時間を彼女と語り明かしました。
幸いにも彼女にとって私はよい大人だったのか、信頼を寄せてくれました

家庭環境、生い立ち、出会った人々、学校、社会、大人と子ども、仕事、生きるとは何か、自分の見つめ方、恋愛、結婚、あらゆる話をしたと思います。
どう思うか、どう考えるか、どうすればよいか

決して多くのことは教えられませんでしたが、彼女は自分の不調と付き合いながら成長していきました

次第に、ひとりふたりと若い子たちが集まってきました
それに釣られたのか大人たちも集まってきました

女子高生の恋愛相談にのり、中学生の勉強を見て、大学生と夢を語る。
子育て中の夫婦に支援政策を教え、社会人に仕事の仕方をアドバイスし、トラウマを抱える人の話を聞く。

私はそんな生活に明け暮れました
彼女は、そんな私を見てか、次第にそうするようになっていました

それは今まで探していた答えを見つけ出すために傷付きながら山道を進むかのような険しい道を情熱だけでなりふり構わず進むような姿に見えました。

ひとつひとつ、噛み合わなくなった歯車を合わせ直すような途方もない道のり
どれだけ経験と知識を蓄えても最後の歯車だけ見つからない



必要な最後のひとつ


そういうとき、決まって誰かの言葉が最後の歯車となってすべてが動き出す
私は若い時分、いえ、今でさえも、そんな感覚を得ることが多々あります

それはからであったり、時には映画、はたまたSNSアニメマンガあらゆることから起こります
彼女に必要だったのはそんな最後の歯車たち

そして、それを一緒に探すこと

それだけで、成長してくれる
そう思ったときでした。

私の歯車がカチッと音を立ててハマり、高速で動き出したのです。

最後の歯車を探しているのは何も彼女だけではない
大多数の人がみんな大なり小なり、多かれ少なかれ、探している
そしてそれは人との繋がりの中で見つかっていく

人はひとりでは生きていけない

そんな当たり前のこと理由と論理、コミュニケーションの本質醍醐味、自分を救うということ、社会の成り立ち、関わり、人が育つために何人の人が必要なのか、あらゆることがガッチリと嵌りこみ、私の中を駆け巡ったのです。

私は驕って誰かを救おうとしてきました
相談に乗り、共に考え、人のためになる。
それが自分の価値だと信じながら。

しかし、その実、救われてきたのは私であると、怯える恐怖などどこにもない

そう気づいたのは仕事を辞め、なにもかもを手放したときでした




生きなければいけない


きっとあのとき、彼女と出会って激しい感情に突き動かされていなければ私は仕事を辞めたあとに空虚となっていたことでしょう。
それを救ってくれたのは、たった17歳の少女との出会いでした。

私は今も昔も教育論としてひとつの信条を持っています。

やってみせ 
言って聞かせて 
させてみて 
ほめてやらねば 
人は動かじ

話し合い
耳を傾け
承認し
任せてやらねば
人は育たず

やっている
姿を感謝で見守って
信頼せねば
人は実らず

山本五十六


この経験を通じて、私はこの言葉の意味を真に理解できたように思います。
教育とは単に知識を教えることではなく一緒に学び、成長し、互いに支え合うことだと実感しました。
彼女との出会いは、人間関係の中でこそ本当の意味での成長があるということを教えてくれました。

私はこの話を友人や妻にもしています。
中にはインターネットを通して同じ志を持つ仲間もいます。
私たちは私たちが大人であるために、人であるために考えるようになりました。
悩みは尽きません
悲しみや虚しさ、怒りに突き動かされる日々もあります。
それでも私が生きていくと決めたのはこの少女と周りの大切な人たちが私のこの経験と学びを尊重してくれるからです。

人はひとりでは生きていけないから、私はみなと楽しく生きる

そのきっかけはインターネットで出会った人たちとひとりの少女でした。


未来への希望


今でも彼女とは連絡を取り合い、お互いの成長を喜び合っています
彼女が大人になっても、私たちは変わらずに支え合い、学び合い続けています

人はひとりでは生きられない、そのことを私は彼女との出会いで改めて学びました。
同志と呼べる友人たちも頻度こそ減りましたがなあなあと楽しく話をしています。
それぞれの生き方で幸福を見つけるために、諦めないように、誠実に生きられるように励ましあっています


さて、やがて私は妻となる人と出会います

それは生きねば、という思いから、生きたいという思い、そして私はどう生きるかに繋がりました。

それは次回にでも。

最後に、彼女と出会ったことで得た最大の教訓をもう一度噛みしめます。

人は人と繋がることで成長し、支え合うことで真に生きる意味を見出すのです

これからも、私はその信念を胸に、共に歩んでいきます



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