【心の解凍】全般性不安障害と私【エッセイ】
まいど!曇戸晴維です!
突然ですが、わたくし、全般性不安障害という精神疾患を患っております。
およそ十年以上前から診断を下されていたのですが、その時の診断が確かならば幼少期から発症しているとのことでした。
ええ、ご存知の方は分かる通り、この診断自体不安でしかありません。
と、いうわけで晴維は調べに調べまくって自己認知療法を自分でやるという力技と根性論という荒業で乗り……切ったつもりでした。
実際、実生活であまり支障が出るほどのことはなかったと思っていましたが、今思えば、あれもこれも支障が出てました。
そして今年1月、結婚という人生の転機にあたって、せめてきちんと病院に行くことにしました。
その結果、お薬生活が始まります。
そして、さらに2月、とある映画の影響で自分が普通ではないことを再確認しました。
今回はその中で主に「不安障害について」を綴っていこうと思います。
私が今の私になれたのはこの経験あってこそ。
このエピソードは欠かせません。
この話を通して、あなたも生き方について考えてみてください。
あなたの心の凍てつきが癒えますように。ていうか晴維の心の凍てつきが癒えますように。
全般性不安障害とは
生きている限り、人は不安を抱えているものです。
簡単に説明すると、あらゆることが慢性的に不安です。
そしてその不安の数は症状の強さや、そのときの精神状況によって変わります。
わかりやすい例(私の場合)
例えば、朝、出勤するとします。
このくらいはみんな考えるでしょう。たぶん。
このくらいもまだまだ普通の範囲だと思います。
では私の場合、どうなるか。
そして、その不安が膨らむにつれ、さらに
これらは全て、家を出るわずか一瞬で頭を駆け巡る思考です。
正直、このくらいなら心配性だったりマイナス思考な人なら調子によって起こり得るでしょう。
これは、かなり軽く書いています。
マイナス思考の連想ゲームみたいなものですから文章化したら引くほどの数になります。
果ては妄想的になります。
統合失調症と勘違いされやすいのはこういう点ですね。
多くの人にとっては、これらの心配はほんの一瞬かもしれませんが、全般性不安障害を持つ人々にとっては、これらの心配が常に頭を占め、日常生活に大きな影響を与えることがあります。
朝昼晩、時間を問わず、何をしていても、どれだけ好きなことをしていようと、旅行の最中でも、家族と過ごすときでも、私に安心の二文字はありませんでした。
わずかばかり、砂の一粒のような時間、例えば疲れ切ってもう体も脳も働かなくて睡眠に落ちるその瞬間、それが私にとっての安心。
そして、それが普通だと思っていました。
自分は心配性でマイナス思考だから、と。
ショートスリーパーで無理のできる体である、と。
そう思っていました。
合併症の併発
とにかく不安です。
あれもこれも不安です。
そうしているとどんどん精神がすり減っていくんですね。
緊張で体はガチガチに凝り、煙草や酒に依存し、不安を軽減する薬にですら依存します。
心配で不安ですからゆっくり眠れることもできなくなります。
緊張しすぎてお腹を壊す、なんてのもよくある話です。長期的にこの状態が続くと消化器官にダメージが溜まります。
日常に支障が出て、自己肯定感は下がり続け、どれだけ努力しても無力感が拭えず不安ばかり。
するとうつになります。
これどうすんの???
こうやって羅列するととんでもないものだというのがわかってもらえるかと思います。
ところがどっこい。
きっちり対処法が存在するんですね。
まずは薬。
不安や緊張を和らげる薬を処方されます。
わかりやすいですね。
次に認知行動療法です。
これが本命。
要は「その不安は本当に不安なのか」を突き詰めて考えればいいわけです。
ここにポイントがあります。
これは一例です。
これをひたすら繰り返します。
そして不安が小さくなったときにその通りに行動します。
この例でいえば、ペンを忘れてしまったので借りました。その人は快くペンを貸してくれました。
とても嬉しいです。
これが成功体験になり、認知のゆがみが矯正されるわけです。
重要なのは、薬で不安を和らげるのはこの認知行動療法を行うための余裕を作り出すためであるということです。
この途方もない治療法は莫大な時間とエネルギーを要するのですから、そのために薬を飲みます。
私の異常性
なんとなく、自分はちょっと変わっているんだな、という自覚はありました。
両親からも心配性だと言われていましたし、自分でも妄想癖があると感じていたのです。
思えばそれは小学生の頃からでしょうか。
小さな出来事の積み重ねでした。
生きていく上で「人」という乱数を計上しないといけないと思ってしまった出来事がたくさんありました。
そして大人になってからは「人」という乱数を計上さえしてしまえばなんでもできると思ってしまっていたのです。
そして実際、人付き合いや起業を通して、成功者と言われる道のりを歩んでいました。
自分でそう言えるほどには世間的には成功していたと思います。
そのころには考えるという行為が大好きになりました。
あらゆる専門書を読み漁り、論文を読み、人の経験を聴く。
そしてその情報をかけ合わせて統計では計れない人の心情や経験値をとにかく脳内でシミュレートしていく。
すると見えてくるのは社会の仕組みと人の関係。
歴史、文学、心理、宗教、哲学、文化、経済、教育。
情報化社会によっていくらでも調べられる。
本を読むことでいくらでも学べる。
人と話すことでいくらでも実体験を重ねられる。
人間の脳はスーパーコンピュータに勝る性能を持っている。
単純直列ではなく並列的処理を行い、そこの本気の意思さえあればなんでもできる。
これが私の口癖でした。
これは大きな間違い。
だって、普通、人は計れないのですから。
病的に妄想と思考を繰り返すことでもしない限り。
それ自体、不安障害を力ずくで対応しようとした結果です。
考え、考え、とにかく考えて、脳を酷使していく作業。
体験に勝るものはないはずなのに、体験に勝るほどのシミュレーションを行う異常性。
気持ち悪い
自分でもそう思います笑
では、とくに気持ち悪いのをあげてみましょう!
とにかく不安を感じる、ということにあたって一番の問題は人との関わりです。
だって、人ってなにを考えているかわからないじゃないですか!
例えば、りんごと聞いて私が想像するりんごとあなたの想像するりんごは、全く同じりんごではないわけです。
我々人間は、感覚器官を通して事象を感じているわけですから、感覚器官の反応の個体差や育ってきた環境や文化の違いによって、もっと言えば言葉や考え方の違いによって感じることは千差万別なわけです。
残念ながら、絶対的相互理解などありえない。
でも、それじゃあ不安。
だから私がしたのは、相手を全力で理解するということでした。
相手の言葉つかい、生い立ち、状況、生きてきた地域、人生経験、好み、そういったものをすべて情報化し、自分の中にペルソナを作ります。
私の中に相手を作るのです。
これはプロファイリングに近い技術でした。
ようは自分が相手を知って、相手が自分の想像の範囲で動く人であれば不安がないわけですから、想像してしまうのです。
そして出来上がるのはほぼ完璧に模倣した相手の偶像。
……書いてて思ったけど本当にきしょいなこれ。
まあいいところもあるんですよ!この技術!
コミュニケーションにすこぶる役に立ちます。
言葉っていうのは含めるニュアンスが言語や人生経験によってたぶんに違ってきます。
その辺はこの記事参照。
同じ日本語を話していてもそのニュアンスと言葉のイメージは人によって違うんです。
つまり、その人にはその人なりの辞書があるんですね。
なら、その辞書をインストールして、相手の辞書で話してしまえばものすごくコミュニケーション取りやすいわけです。
と、まあ私は不安障害を力ずくでどうにかコントロールしてきました。
間違いだったと思います。
でもそれで得られたこともたくさんあります。
その辺はまた次回にでも。
お付き合い頂きありがとうございました。
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