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【怪奇短編】「影」

 
 

 

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 ……………………もしもし? こんにちは。
 …………見えてます? 聞こえてますか? 
 あぁ、大丈夫ですね…………
 リモートのインタビュー、3回目ですけど、慣れないですね…………
 はい、えぇ。今回で連載はいったん打ち止めということで。
 いえいえ、致し方ないですよ。いろいろ大変な時代で、お忙しいでしょうし…………
 でもこんな時局でも、こういう話のニーズはあるんですね。不安な時代だからこそ、なんでしょうか…………


「一番怖かった心霊体験」でしたね。メールでいただいていた通りのテーマで。はい。
 ぼく、メールをいただいてから何日か考えてみたんですけどね、やっぱり子供の頃の原体験というか、それが一番強烈だよなと思うんですよ。なにせ一番最初の恐怖体験、オバケとの遭遇なわけですから。どうしたってそれが一番鮮烈に頭に焼きつくんですよ。
 
 ところがその肝心の、原初の心霊体験……ぼくはあんまりちゃんと覚えてないんですね。 
 それもなんだか、現実に見た光景なのか夢だったのか、判然としなくて。
 本編のマクラというか、前座みたいなものとして、ちょっと、一応、聞いてもらえますか? 


 ──ぼくか赤ん坊の時の記憶なんです。たぶん1歳とか2歳とか、それくらいじゃないかな。
 ぼくは家の、ベビーベッドに横になっているんですね。ちゃんと四方を木の柵が囲ってる、ちゃんとしたベビーベッドです。
 頭の上ではあの、なんて言うんですかね。オモチャがぶら下がってて、音楽を鳴らしながらグルグル回るやつ……赤ちゃんをあやすやつ、あるでしょう。あれがポロンポロンと曲を鳴らしながら回ってるんです。ぼくはそれをぼんやり眺めてるんです。笑うでも、泣くでもなしにね。
 
 そうすると、ぼくのベビーベッドを、誰かが覗くんですよ。
 一人じゃないんです。五、六人。 
 しかもね、性別がわからない。年齢もわからない。
 全身が真っ黒なんですね。
 影になってて見えないんじゃないんです。全身が真っ黒なんです。顔も黒いし体も黒い。輪郭しか見えない。
 その輪郭もぼんやりとしててね、ヒトの形のようなモノ、といった案配なんですよ。
 それが寝ているぼくを覗きこんでいる。
 グルグル回るやつの下側が、そいつらの頭にぶつかってるんだ。でもそれ、頭をすり抜けるんですよ。
 すり抜けるたびに輪郭がスッと、そこだけ墨を散らしたように「伸びる」んです。
 ぼくはまだ赤ちゃんですから、オバケとか幽霊とかそういう概念はわからない。
 でもこれが、こいつらが「よくないものだ」ってのは、本能的にわかったんでしょうね。うわーっと大泣きしましたよ。
 母親が駆けつけて、ぼくを抱き上げてくれた時の安心感は、今でも心のどこかにあります。あぁよかった、助かった、っていうあの感覚、救われたっていう気分ですよね。
 

 …………いま話をしててぼく気づいたんですが、もしかしてぼくが除霊師──霊能者って仕事をやりはじめた理由って、この時の体験に基づいてるんじゃないかな。 
 不安になっている誰かを助けたい、赤ちゃんみたいに無防備になってる人を抱き上げるように安心させてあげたい──そういう気持ちが、あったのかもしれませんね。 


 …………それで…………はい、えぇ。
 物心ついてから現在に至るまでで、一番の恐怖体験。

 …………あの、すいません、この話、ちょっとこう、微妙な内容で、世の中に誤解を与えるような話かもしれないんですよ。 
 もしかすると「不謹慎だ」と言われて、記事が炎上するかもしれないです。
 こういう時局なので……。
 ですから、掲載する時は適当に改変してもらっていいですか?
 いえ、だいぶ長くお待たせしたお礼、っていうのもおかしいな……「とっておき」って呼ぶのも……でも、聞いたことがない話だと思いますよ。 

 それに、ぼく、これは「今」話しておかないといけない話だと思うんです。

 あなたにすごい重荷を背負わせることになっちゃうかもしれませんけど、かまいませんか。
 使えなかったら使えなかったで、お知らせしてください。また別の話をします。
 トンネルに小学生が20人くらいいてこっちに走ってきた話とか、中古車の中にお年寄りがみっしり座っていた話とか、そういう怖い話はいくつかありますから…………



 本当にいいですか。
 じゃあ……聞いてください。



 今から3年前でした。都心の、一等地にあるマンションに呼ばれたんですよ。
 一等地ですからね、お金持ちばっかり住んでるマンションです。ネットで調べたらね、IT事業や通販で大儲けしたような人たちがたくさん居住して、そりゃもう外側のデザインからして背筋が伸びたような、立派なマンションでしたよ。芸能人も住んでたんじゃなかったかな。
 そこの管理会社から、ぼくに依頼が来たんです。 
 普通そういうお金持ち絡みの依頼って、電話口の態度がすごく横柄かすごく礼儀正しいかどっちかなんです。成金みたいなタイプは前者で、家柄がよかったり努力でのし上がったような人は後者が多くて……いや、それは関係ないですね。
 でもその依頼主の、管理会社の社長さんの口調ってのかね、どっちでもなかったんですよ。

 すごく動揺してたんです。

 どう言ったら伝わるものかわからない、って感じで──というか、信じてもらえるかどうかわからない、みたいな口ぶりでした。
 こっちは拝み屋やってるのに、ぼくにすがりつくこともできないで右往左往してる、そんな声の調子でした。

 そういう依頼人は少なくないので、ぼくは落ち着かせながらね、「最初から話してみてください」って言ったんですよ。
 そしたら社長さん、なんて答えたと思います?

「どこが最初なのかわからない」って答えたんですよ。


「とにかく幽霊が出るんだ」
「たくさん出る」
「因果因縁も事件もない土地のはずなのに」
「いろんな幽霊がいろんな出方で、いろんな姿形で出てくる」
「お札を貼ったり塩を盛ったりしたが効き目がない」
「どんな神社や霊能者に頼んでもダメだった」
「みんなどんどん引っ越してしまう」
「これじゃあこのマンションから人がいなくなってしまう」


 そんなことをまくし立てるんですね、社長さん。

 …………そんな話聞いたら、興味、引かれちゃうじゃないですか。どうしたんだろう、どんなのが出るんだろう、みたいな、俗っぽい好奇心が膨らんできますよね。
 報酬もけっこうな額でした。一等地で、住んでるのは一流の人らばかりとは言えこれはもらいすぎじゃないか、なんて思いましたよ。
 えぇ、依頼は受けたんです。割と気楽な気持ちでね。
 もちろんこっちは実力主義、信用第一な仕事ですから、やるからには本気ではありますよ。
 ただ心のどこかでは正直、「そんなに幽霊がいっぱい、何種類も、どんな階にも出てくるマンションなんてあるもんか」とタカをくくってた部分もありました。配管とか光の加減が重なって、ポルターガイストだのオバケだのと騒いでいるんじゃないかって。
 出来て半年くらいのマンションだ、ってことでしたから、もしかしたら欠陥住宅ということもありえるな、なんて考えてました。


 8月でした。すごく暑い日でね。
 以前もお話ししましたけど、ぼくは行っていきなりお祓い、ってのはしないんです。まずは下見。それと関係者への挨拶。
 立地条件とか、気の流れとか、場所の雰囲気とかをざっくりつかんでからどう向かい合うのか決めるんです。
 
 でもねぇ、ぼくちょっと、こういうのは初体験だったんですが……
 駅に着きました。はじめて降りる駅でした。そこから歩いて10分の好立地の場所にあるマンションに足を向けたんです……
 ところがね、駅を出てそっちの方に歩いていくとね、どんどん足が重くなるんですよ……
 田んぼの中、泥の中って歩いたことあります? ああいう感触です。ドロドロしたものに足をとられるような…………
 地図を見ながらどうにか進んでいったんですが、あと3分くらいの場所で、足が動かなくなっちゃった…………

 この仕事長いですから、「あっ、気持ち悪いな」とか「うわぁ、嫌だな」と思うことは多々ありますよ。そこを我慢して建物の中に入るんです。エイヤッと腹に力を入れたらいけるもんなんですね。
 でも今回は、建物にも着いてない。駅を出てすぐ、くらいからもう体がつらい。こんなこと本当になかったんです。
 嘘だろ、って思いました。どんだけヤバい物件なんだろ、って。
 でも管理会社の人は、「因果因縁も事件もない」って言ってたんですよね。
 じゃあこの足の重さ、体の重さはなんなんだ、ってことですよ。 
 ぼくの左右を、スーツや私服の男女がせかせか通りすぎていくんです。
 オバケを祓うのを仕事にしてて、自分が変な人間だってのはわかってるんですけど、「マジか」って思っちゃいました。こんだけ空気も雰囲気もどんよりしてるのに、マジでみんな何ともないのか、って。そのくらいの危うい場所、土地ですよ。

 鞄から塩を出しまして、肩と足に振りかけてから念を込めたら多少、まともになったので、どうにか歩き続けました。
 …………でもね、二十歩くらい歩くと、もう足がねっとり重くなるんです。また「マジか」って思いました。


 それで…………どうにか、マンションの前まで来たはいいんですが…………管理会社の方も二人、待ってくれていたんですが…………
 入れないんです。門から先に。 
「○○マンション」って書いてある石の柱の向こう側に行けないんですよ。体が拒否するんです。
 もう門のあっち側には社長さんと、たぶんここの直接の管理をしてる人なのかなぁ、若い男性がいまして、ぼくの顔をじっと見るんです。頼りにしてます、って顔つきで。
 でも申し訳ないんですが、入れなかった。もう塩とか九字とか、そんなもんじゃ無理だってことが骨の髄までわかったんです。
 正直に、「すいませんが、ぼくここから入れません。とてもじゃないんですけど」って言いました。 
 それから、一体ここはどうなってるんだ、と思って、マンションを見上げたんです。

 
 そこで意識が途切れました。
 気づいたら敷地内にいたお二人が出てこられてて、少し離れた路上のベンチに腰かけてました。
 お二人が言うには、ぼくは痙攣してそのまま吐いちゃったらしいんです。
 めまいがひどくて動けませんでした。えぇ、お二人に何度も謝りました。せっかく来たのに、建物を見ただけでぶっ倒れたんですから、役立たずにもほどがありますよね…………
 でもお二人は言うんです。
「具合が悪くなったのはあなた一人ではない」
「駅から歩いて来れなかった人もいる」
「平気な顔で入ってきた人ほどうさんくさい感じがした」
 …………そういうことを口々に言う。
 彼らの話ぶりには、ぼくを慰めたいと思っていそうな調子もありました。でも言っていることはみんな本当のことのように思えました。
 管理会社の社長さん──六十歳くらいの方でしたが──その人が言うんです。
 あそこに関わってるだけで、自分の私生活がどんどん悪い方向に傾いてる。いろんな方から評判を聞いてあなたにお願いしようと思ったんだけど、あなたがそう仰るのならあそこは「本当にダメな場所」なんだろう、と。
 管理をしてる若い人もね、よく見たらげっそり痩せてるんですよ。ぼく、自分の体調が悪くて見逃していたんですね。目の下に隈がすごくて、頬がげっそりこけてる。 
「血尿が出るんです」
 その若い人は言いました。
 ここに勤めるまでは健康そのものだったのに、ここに来てから歯茎が痩せて歯がガタガタになったり、背中と肩が石みたいに硬く凝っちゃったりするようになったそうです。

 えぇ、依頼はなかったことになりました。
 

 生まれてこの方、こんな衝撃的な現象というか、事象に遭遇したことはなかったので、心底怖くなりました。
 しかも都心の一等地ですよ。信じられますか?
 …………でもこうなるとね、興味が沸いてきちゃったんです。
 あんだけとんでもない物件、土地なのに、なんにもないわけがない、そう思ったんですよ。思うでしょ? 普通。建物を見ただけで倒れるだなんて……そんなの並のもんじゃないですよ。ひどい事故物件だってここまでじゃあない。

 なので、調べてみたんです。仕事の合間を縫って、図書館に行ったりネットを漁ったり……。それに知り合いのツテを頼ったりもしました。



 ぼくは調べました。あのあたりの歴史から事件から、もう根掘り葉掘りってくらいに掘り起こしたんです。

 驚きましたよ。
 なんにもないんです。
 管理会社の人の言う通りだったんです。事件も事故も、さかのぼれる範囲ではなんにも起きてない。
 そりゃあ、江戸時代の大火とか空襲で燃えたとか、そのレベルの出来事は起きてました。
 でも、うーん……平たく言うなら、「人の無念がこり固まる」とか「地縛霊が居座る」みたいな、そういう事件も事故もゼロでした。そう、まるでなんにもないんです。 


 …………ただちょっと妙だったのがね、あの立派なマンションが建つまでは、ボロボロのアパートがあったんです。廃墟みたいな。
 バブルの時代ですら放っておかれてたらしいので、当時の不動産業者はヤバい土地だって知ってたんじゃないでしょうかね。それを知らない人がもったいない、ってんで、マンションを建ててしまった。
 その前はいわゆる長屋みたいな家がずらずら並んでて、若干の建て替えをしながら、これが江戸時代くらいまでさかのぼる。
 もちろんそこで自殺、殺人なんて起きてませんよ。
 
 けど、そこのアパートも長屋にも、どうも人が居着かなかった様子なんだ。
 記録を見ていくとどうもやっぱり、ここの土地だけ名前がなくて空欄、って期間が多い。多すぎる。
 昔の所有者や、昭和か平成にそこに住んでいた人を探してみましたが、どうしても見つかりませんでした。


 無、なんですよね。
 あそこ、ただの土地なんです。そこらへんのスーパーとか原っぱとか民家とかと同じ、ごく普通の場所なんです。
 それがどうしてあんな恐ろしい場所と化してしまってるのか。


 …………調べてる最中も、あの土地が今どうなってるかの情報を、ちょいちょい入れてたんですよ。


 マンションはね、ぼくが出向いて半年と経たないうちに入居者がゼロになって、ダメになりました。
 ゼロですよ、ゼロ。そんなことありますか。
 住んでた皆さん、どんなものを見たんでしょうねぇ……それこそ、そちらで入居者の方にインタビューを…………あぁ、今は無理ですよね……すいません…………

 けれどそこは都会の一等地ですから、マンションは廃墟にならずにさっさと取り壊されて、コンビニになったそうです。駐車場を広くとってね、あそこだと便利ですよ。お金持ちも多いし…………

 でもここも、半年で潰れちゃいました。
 …………たぶん動画サイトで、まだ見れるんじゃないかなぁ。「コンビニに幽霊が出た」とか、そんなタイトルだったと思いますけど。2年前に有名になったやつ。覚えてません? 
 黒い女みたいな影が雑誌の棚からフードコートにスーッと動いて、ふっと消えるやつ。
 動画では伏せてありましたけども、あれ、あそこのコンビニなんです。
 風景を見るとわかるらしいんですよ。ぼくも見ました。撮影してる人が店内から逃げ出して座るベンチ、あれ確かにぼくがぶっ倒れた時、座らされたやつでしたよ。

 住居もお店もダメとなったら、公園か駐車場しかないでしょう。でもあそこをわざわざ公園にするなんてもったいないこと、したくなかったんでしょうね。
 すぐに駐車場になりました。都会にはもったいないくらい広い駐車場です。そこそこの料金はとるようでしたが、立地が立地ですから。利用者は多かったと聞いてます。

 ちょっとばかりしたら、利用する人はいなくなっちゃったそうです。

 車の中に幽霊が出る、って言うんですよ…………
 停めてある車の中に、必ず霊が出る、って…………
 子供から老人まで、そりゃあもういろんな幽霊が、車の中に座っている…………


 これが1年前でした。
 

 …………ぼく、ずっと考えていたんです。
 あの、駅前から足が重くなって、マンションの真ん前で意識を失った日からずっと。
 これはどういうことなんだろう、って。


 人に相談したり、それっぽい本を読んでみたり、暇さえあれば考えてました。あの土地のこと。あの場所のこと。

 でね、駐車場が開店休業状態になったと知った頃に、ふっと思いついたんです。

 …………これは仮説ですよ。あくまで仮説で、根拠なんてありません。ぼくの妄想だと思ってくださいね。妄想ですよ。


 …………あそこって、「すり鉢の底」みたいなもんなんじゃないか、って。
 
 あのう、映画にもなった小説がありますよね。
 いわく因縁のないマンションの部屋で怪現象が起きる。
 その現象を点で結んで追っていくと、どうやら「穢れ」のように、怨念や霊が半ば気まぐれに、場所を汚したり汚さなかったりしているらしい。
 最後まで追いかけていくと、どうもある地域のある場所に端を発していると思われる、というような──
 ぼくは最初、そういうものではないかと思ったんです。

 しかしその、ペチャッとくっつくような「穢れ」にしては、あまりにも濃すぎるような感触がありました。
 ぼくや、ぼく以外の霊能者も体調を崩すくらいの濃密さが、あそこにはあったんです。
 それに、マンションの住人も、おそらく昔そこにあったアパートや長屋の住人も、みんな幽霊を見ている。しかも統一性がないらしい。
 しかもコンビニにしても駐車場にしても出てくる。そう、言い忘れてましたけど、どれを作るときもガッチリとしたお祓い、地鎮祭のようなものをとり行ったそうです。それでも、出る。

 濃さ、というものが引っかかりました。

 …………これは、仮説ですよ。記事にするときは、それとなく書いてくださいね…………

 「すり鉢の底」っていうのはね、つまり「霊が集まりやすい場所」っていう意味なんです。
 集まりやすい場所、なんて簡単に言いますけど、そこらの心霊スポットや廃墟とはレベルが違うんです。「すり鉢の底」ですから。 
 おそらく……おそらくですが…………そのすり鉢というのは、相当な広さを、都心の、ほぼ全体を呑み込んでいるんじゃないだろうかと、想像しているんです。
 強烈にひっついている霊でない限り、ズルズルとあの土地に引きずりこまれるようにして、「落ちていく」んじゃないか。
 そしてあそこに、ドロドロと溜まってしまうんじゃないか、と…………。
 赤子から老人まで、無数の霊が、あの土地に、大都市の底に、寄り集まっているんじゃあないだろうか…………
 だから、駅前からもうすでに空気が「濃く」なってきていて、底であるあの土地にはとてもじゃないけど入れなかったんじゃないか…………
 

 そんなことを考えていた、半年くらい前ですよ。
 あの場所は駐車場すらやめて、完全な更地に、野放しの野原みたいにしてしまうことになったらしい、と聞いたのは。


 …………いいですか。
 あそこには大昔から、建物があったんです。長屋にアパートに、高級マンション、コンビニです。
 駐車場になった後でも、車が停まっていたり、小さなものなら車止めとか、駐車場の看板や出入口や料金の機械なんかがあったでしょう。
 
「依り代」があったんです。
 わだかまっている幽霊たちがくっついていられるようなモニュメント、物体がね。

 それがなくなって、ただの空き地になったら、どうなると思いますか? 人間の寄りつかない、ただの空き地ですよ。

 家やコンビニや、看板という依り代があってギリギリおしとどめられていたものが、そこからあふれ出て来ると思いませんか?
 長年、そうたぶん、江戸時代以前から溜まりに溜まった霊魂が、あふれ出てくると思いませんか? 


 そうでしょう?


 なので、ぼくは日本を離れたんです。
 そう、三ヶ月前に。
 怖くってね……本当に怖かった…………。
 友人や知人には警告したんですが、ぼくを変な目で見るばかりでね……まぁこんな突飛な話、信じてくれないとはわかっていましたが……
 

 でも結局、ぼくの妄想じみたこの考えは当たっていたんですね。
 じわじわと悪化するかと思っていたんですが、まさか一気にこんなことになるとは思いませんでした。
 ぼく、駐車場を更地にする工事の終了予定日を覚えておいたんです。
 ちょうどその翌日でしたよ。
 東京中が真っ黒い影でいっぱいになったのは。

 
 ここ二週間ばかりネットにつなげる環境になくて、影が今どこまで広がっているのか存じ上げないんですけれど……あぁ、長野のあたりまで……そうですか…… 
 影は、薄くなっていない? そうですか。政府はあれは、地底からのガス漏れと? 
 まだそう言っているんですね。ガスが人の顔や腕や体になったりするはずがないのに…………
 
 …………すいません、あの影の中に取り残された人たちがどうなっているのか、想像したくはありません。
 400年以上も煮凝っていた幽霊や負の感情に人間が巻き込まれたらどうなるのか……想像したくないし、想像できないというのが実際です。


 はい。一度だけ、東京の映像は見ました。
 あの黒い影…………あれね、ぼくが赤ん坊の頃に見た影に、雰囲気が似てるんですよ。
 
 もしかしたらなんですが……ぼくはこの話をするために、あの黒い影に「生かされた」んじゃあないだろうか。
 東京に生まれたことも、この能力も、あのマンションに呼ばれたことも、海外に逃げ出す決心をしたのも、もしかしたらこのインタビュー連載も、全部決まっていたことだったんじゃないかと、そう思ったりするんです…………


 後悔、ですか。
 ……後悔と呼ぶには、あまりに大きすぎる感情が、自分の中にあります。
 あまりにも巨大な出来事でしたから…………まだ心の整理がついていないのかもしれません。
 ぼく一人の能力では、結局なんにもできなかったわけですし……どう受け止めていいのか……
 それにあの霊が、黒い影がこれからどうなるのかもわかりませんし。
 ある日ポッと消えてしまうかもしれません。
 あるいは日本を越えて海を渡り……いや、これは考えすぎでしょう……たぶん…………



 ……えぇ、どうも。ウェブでの連載、ありがとうございました。これで4回目でしたよね。
 しかし驚きました。初回のインタビューのすぐ後に国外に出たのに、「電話かリモートでも」と連絡してくるだなんて。
 初回がかなり好評だったんですか。そうなんですね……
 でもそのおかげで、この話をあなたに伝えることができたわけですね。

 しかしこんなことになっても、日本の残りの地域では日常が続けられているんですね。こういうウェブメディアは生きていて。新聞も、刷られている? えっテレビもラジオも? キー局を移転して?
 そうですか……。
 最初のうちは大騒ぎだったのにね……。
 僕はね、それがいちばん怖いような気がするんですよ。
 慣れてしまうことが。

 ……海を挟んでいるのでそちらの、札幌は大丈夫かとは思いますが、くれぐれも身の安全を第一に、お過ごしください。
 
 それではさようなら。
 くれぐれも、お元気で…………

 

  

 

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