シオマネキという蟹がいる。彼らは大人になる前に、自身の片腕を切り落とす。 車窓を飾る海岸線が流れていく。シーズンオフの海辺は彩りを潜め、人影といえばそれぞれの居場所を独り占めにするサーファーや釣り人が砂浜に散見されるばかりである。その人影も列車が進むにつれまばらに消えていき、閑散とした風景に見覚えもないまま、私は理由のない郷愁を抱く。 通り過ぎていく砂浜のどこかに、湿った砂をかぶったまま置き去りにされた荷物を、忘れてしまっているような気持ちになる。私は残りの駅を指で折
そんな怖い顔しねえでくれよ。 何も追い出そうってんじゃねえんだから。そこへ座りなって。 この通り、こちとら老いさらばえた痩せネズミなんでな。オマケにホラ、腕が一本足りてねえ。アンタなんかがその気になったらこの屋根裏から叩き出されるのはこっちの方だ。 ちょうどブドウを絞ったところだったんだが、飲むかい。白サラミをやるつもりだったんだ。クラッカーの欠片がまだあったから、そいつを出すよ。 この通り、そんな具合でね。ここじゃあ飲み食いにそうそう困りはしないんだ。もしもアンタ
夕暮れ時のことです。 年老いたフクロウは森にいて、小さなネズミが腕を広げてバタバタ走り回っているのを見つけました。 フクロウの目は近頃めっきり悪くなっていましたから、このところはぜんぜん獲物がとれないでいました。 都合の良いことに自分から両手を振り回すネズミは、フクロウの目にもよく留まります。 これはさいわいとネズミに飛びかかるフクロウでしたが、小さなネズミを捕らえることは弱った目にはやはり難しく、大きな体はネズミから離れて、その眼前に降り立ちました。 フクロウは自身の衰えに
一匹の仔鼠が茂みをガサガサ歩き回って、食べられるものを物色している。 とても小さな仔鼠で、頑張って集めたタンポポの茎やキノコなんかが、華奢な腕から今にもこぼれ落ちそうで、おぼつかない足取りでフラフラ、ヨタヨタ歩くのだった。仔鼠はたくさんの食べ物が嬉しいばっかりで、自分を見下ろす蛇なんてちっとも気が付かないでいた。 「こんにちは、私の可愛い鼠さん」 耳に甘ったるい声色がして、なんのことかと見上げた時には、真っ赤なパイプやヒダの詰まった大きく開いた蛇の喉が、仔鼠の頭を優しく
そこにあるのは、蜜柑の木です。 どこかに生えている、どこにでもあるような、蜜柑の木の一つにすぎません。 どれでもかまいません。その枝のうちの一本の、その先の若い葉の一枚です。 小さな小さな、二つの卵がありました。 その色は、淡い緑に見えましたし、たくさんの水で溶いた青のようでもありました。伸ばした飴みたいな色だって見えましたし、宝石の名前を使うのならば、翡翠にすこしの琥珀を混ぜたのを、垂らして粒にしたようでした。 もしも誰かがそれを見ていて、吹き飛ばしてしまわない
「弁点山にオオカミがいる!!!!」 A組の昼休みはそんな噂で持ちきりだ。理由はハッキリしている。授業でシートン動物記のアニメ映画を見せられたのが、つい先週のこと。 でも僕は知ってる。日本に狼はいません。絶滅してる。そんなこと常識だと思ってたけど、呆れたことにみんなは狼がいると思い込んでいる。あんな住宅地からほど近い、ちっぽけな山に。山っていうかほとんど雑木林だ。地元の子供なら遠足で一回は登らされてる。そこに狼がいるのだという。揃いも揃って中学生とは思えない幼稚さである。
はじめて親に嘘をついた。 「どこ行ったか知らない!?」 緊張や罪悪感の、なかったわけではないけれど。それらの気持ちは、今は少なくとも母親へ向かうものではないと思っている。 日のまぶしい朝だった。暑くならないといいなと思った。いつもみたいにトーストのすみっこを、ジャムもバターも塗らずに残してしまってから、そうする意味のないことを思い出した。今思えばジャムも、バターも、普段からまるでケーキみたいに山盛りにしてしまえば良かったんだ。そんなものくらい、いくらでもあげていれば良かった