塩のなる壁
1.あのころ
私の地元は坂と階段だらけの街。港から見上げると、まるで家々がレンガのように積まれているかのような、独特の景色が見られる場所である。
実家もまさに山肌の段々畑に並んで建って見える、そんな立地だった。
ふと思い出す、小学校までの通学路。
学校まではとにかく下る下る。
そんな毎日。
朝、幼馴染と家の前の階段を下りたところで待ち合わせ、狭い石道を通り抜けていく。
神社の下あたりから、道幅が少し広くなり、あとはかなり急で、長い、亀の甲羅のような模様の坂道が学校の横まで続いている。
決まって思い出すのは冬の寒かった日の登校時。ただ、ひとつだけ強烈に残る夏の日がある。
2.こどもの素直さたるや
いつもは朝一緒に登校する友達と帰っていたのだが、その日は、何故か一つ上の学年の友達と下校していた。
学年が違うと、クラスがある階が違う。
でもその子は待ち合わせをする相手ではなかったので、あまり記憶にはないが、その坂の途中で会ったのだろうと思う。
そうやって、下校の時にたまたま会い、まるで今まで話していたかのように自然に帰る。
これができるのも、小学生までだったかもしれない。
登校中は意気揚々と下る坂だが、下校する時は当然ながら、はじまりから終わりまで上りである。
その坂は片側に2メートルほどの壁があった。
この辺りでもダントツに広いお屋敷の壁で、坂を上り始めて終わりまで、一軒の大豪邸の壁がずっと続いているのである。
その壁側に寄って、歩いて上る。
たわいもない話をしていたと思う。
さぁ、上りきったと思っていると、友達が言った。
「これ、塩って知っとった?」
彼女が指差す先を見ると、壁の上にフワフワと乗る、雪のような物体があった。
「塩ぉ?」
「うん、だってホラ。舐めたらしょっぱかとよ。」
彼女は、おもむろにその壁を指先で撫でて見せた。
すると、まるでスクラッチアートのように白い部分に指跡が付き、削られたフワフワが彼女の指先にこんもりと乗っかっている。
ペロリ
「時々しかできん。いつもあるわけじゃなか。」
石塀の上に広がった、正体不明のフワフワを、何の躊躇いもなく次々と口に放り込んでいく彼女。
そんな彼女の行動を眺めながら、当時の小さな私も違和感なく見よう見まねで同じ事をした。
「ほんとだ!おいしかね!」
私たちは無我夢中だった。まるで壁いっぱいに絵を描くように、指を走らせ、吸い込むように指先を舐めた。
目や口を描いたり、動物を描いてみたりもした。
ここに、【舐めアーティスト】の誕生である。
そして、背の届く範囲の塩を堪能し、残りの家までの道すがら、小さな私は目を輝かせて考えていた。
“そうだ!!!もうお母さんに、塩買わんでいいよって教えないと!!”
3.すべてはオーライ
その日から幾日も経っていなかったと思う。
私は、時々しか手に入らない塩が無くなってしまうのではないかと心配だった。
大半は自分たちが収穫済みでもあったからだ。
すぐに母を連れて行った。
サプライズをするかのように、母が喜ぶ顔が浮かんだ。どれほどに喜ぶだろうかと。
壁に近づくに連れ、私は満面の笑みと、口から出そうなほどのワクワクが募った。
ババーーーーーン!
「ほら!!!見て!塩のなっとると!」
忘れもしない。
母の大きくも小さくもない、しっっっかりと血の気が引いていく叫び。
「ヒャッッッッッ!アンタ……ぁぁ………コレ、塩じゃなか。カビよぉ!!!!」
あぁ、神様。
なんたる悲劇。
可愛い可愛い娘が、ねずみ色のコンクリート壁に自生したカビを舐めずりまわっていました。
そんな叫びが聞こえるようだった。
自分と子どもとの間の出来事だったらどうかと想像する。きっと、私でも分かりやすく頭を抱えて叫ぶだろう。背筋がキンキンに凍る予感すらする。
その後の感情や、帰り道は全く記憶にない。
ただ確かな事は、あの日、私と友達は壁の白カビを舐めに舐めたということ。
万能調味料だと信じて疑わず、それはもうまぁまぁの量を堪能したということ。
そして…………。
全くお腹を壊さなかったこと。
不幸中の幸い。
私は今でもあまり腹を下すということがない。
結果オーライ。
それは、もしかしたらあの日、全菌類に対する免疫を手に入れたのではないかと感じずにはいられないのである。
コロナウイルスの猛威により、ゆっくり地元に帰っていない。
あの壁はあるだろうか…。
雨上がりの数日後、やっぱりフワフワの塩ができているのだろうか…。
---おわり----
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