人類みな兄弟 vol.3
※前回投稿した人類みな兄弟 vol.2 の続編です。
まだ読んでいない方は人類みな兄弟 vol.1からとっかかってくださいませ。
-----イタリア・ヴェネツィアにて-----
旅も終盤、ドイツからオーストリアを下り、その後イタリアへ。そろそろ一行にも疲れが出ているころではなかろうか。いや、そんなはずはない。
言わずと知れた水の都、イタリアはヴェネツィアにおりたったのであるからして、テンションMAXお父さんのメーターはずっと振り切ったままである。
美術館へ行ったり、買い物をしつつ、やはり外せないのはゴンドラに乗っての水上散歩だろう。
ということで。
ゴンドラ乗り場へ向かい、数人いる漕ぎ手(ゴンドリエーレ)へ、こちらからお願いするのだったか、適当に呼ばれて乗り合ったのか忘れてしまったが、体格のいい、いかにもイタリア人といったお兄ちゃんのゴンドラに乗せてもらうことになった。
ここでもMr.ノーボーダーNobuoの勢いが止まらないのは予測の範囲内なのだが、父には
文化も言語も人類のものであるなら、通じないはずはない
というセオリーがある。
日本の市場やお店などで使う、「ご主人、旦那、マスター、お父さん、おやっさん…」その類の言葉を、雰囲気だけで貫こうとしたのだと思う。
彼とのコミュニケーションをその雰囲気で図ろうとした結果、
「へい!パパ!」
「ねぇ、パパ?」
「これ?パパ!」
いかつめゴンドリエーレのお兄ちゃんが、みるみる困惑していく。
"俺にこんな中年子どもはおらん…"
"ずっと呼ぶやん、俺のことパパって…"
そう聞こえてきそうな表情からは、あきらかに使わない形のパパを連呼されているのがわかったのであるが、そんなものは父には関係ない。
俺は君を呼んでいる。それがどんな音であれ、俺は君に呼びかけている。
ということである。
彼の戸惑いをよそに、ゴンドラが沈むのではないかと思うほどのウキウキが父から放出されたまま水上を進んでいく。
水上散歩中、同じく観光客を乗せたゴンドラと何度もすれ違うのであるが、ここでそのウキウキを爆発させていくのが父である。
すれ違う度に
「ハロー!!」と手を振る。
それはもう爽やかに。とても良いことだ。
しばらくすると、また一隻こちらに向かってきた。
遠目から見て、その観光客がアジア人だとわかった瞬間、父がすれ違うであろう右側にググッと寄ったような気がした。
そして…今まさにすれ違おうとした時、父はいきなり声を張り上げたのだ。
「こんにちは?!・ニーハオ?!・アンニョンハシムニカ??
こんにちはぁ!!!・ニーハオォ!!!・アンニョンハシムニカァ!!!」
すごいぞ、これは。
挨拶をもってして、彼らのお国を当てにいっている。
「Where are you from?」をダントツにシンプルにした形である。
もう何だか、何も怖くないな。と不思議な感覚に陥った。
このリズムのいい三拍子が私の脳裏には色濃く残っていたのだが、ふと
"アニョハセヨとも言えたよな…?"
なんてことを疑問に思い調べたところ、アンニョンハシムニカは日常会話ではあまり使わないレベルの丁寧な言い回しだった。
それを知った上で思い返すと、またひとつフフっとくる。
話を戻すが、私たちアジア圏の人々は世界の中でもけっこうシャイな方であるだろうから、すれ違い様に見ず知らずの日本人男性から、3ヶ国語で、しかも超デカい声で挨拶をされても、表情もカラダも固まったまま行ってしまう人ばかりだった。しかし、中にはノリノリの母国語で返事をしてくれた方もいて、
たった一瞬のすれ違い様に交わす挨拶によって、もう二度と会わないであろう、全く知らない人間同士がコミュニケーションをとれたことに感激した記憶がある。
まったくもって
陽気なイタリア人もたまげる陽気さである。
オカマバーでオカマちゃんに「あんた、うるさいわよ」と注意されちゃう父だもの。
世界の陽気を集めて丸めたのがきっと父だもの。
この陽気さ、納得である。
こんな父の元で育った私は、人見知りをほぼしないと自覚しているのだが、もし自分が当時の父と同じ歳になった際、同じことができるかと言われたらきっと真似できない。
さぁ、長いようで短かったこの旅。
いっぱい書いた気がするのに、びっくりするほど短くまとまっていたこの旅。
私の人生の中のたった2週間で、人類みな兄弟説を父から学んだ旅。
自分の子どもたちにもそんな旅をさせたい。
などと思いふけりながら、書き終えよう。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
---おわり---
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