#6 手作りのわくわくと出会うこと
先日、彼と一緒にJohn Williamsのコンサートに行ってきた。
John Williams本人が出てくるわけではもちろんないけど(笑)、
彼が作ってきた様々な名曲を生の吹奏楽オーケストラで聴いてきた。
John Williamsのファンであろうがなかろうが、
聴いたら誰もがわかる曲ばかり。
スターウォーズ、インディ・ジョーンズ、ハリーポッター、スーパーマン、シンドラーのリスト…
ちゃんと見たことないスーパーマンやシンドラーのリストでさえも、
聴いたら知ってるメロディだった。
彼の楽曲は、なぜこうもわくわくするのだろうか。
わくわくするのに、昔からよく知っている友達みたいに、
聴くと涙が出ちゃうような、不思議な感じがする。
すでに有名な楽曲だからというのもあるけれど、彼の音楽を聴くと、
John Williamsらしいメロディがそこら中にちりばめられていて、
新しい曲や知らない曲を聴いても、
あーJohn Williamsやなぁ
と、思わせられる。
いつだって『作品を作る』ということは、
その作品に自分が乗っかっていたり、
隠れていたり、溶け込んでいるものだけど、
自分で作っていて「自分らしさとは?」とわからなくなってしまうことって
誰にでもあることだと思う。
その作品を見た時に、「これはあの人の作品だ!」とすぐわかってもらえるような、そういう特徴が欲しいなぁなんて、私もよく思ったものだ。
今こうして文章を書いている時でさえ、
『自分らしい言葉で書くこと』と『読んでもらえるように書くこと』が
ライトセーバーでバチバチに闘っている。
でも結局、John Williamsも、アーティストも、
作品を作るすべての人にできることは、
自分がわくわくする方へ、呼ばれるがままに手を動かしていくだけなのだ。
戦略的なことももちろん大切だ。
人々に聴いてもらう(見てもらう)にはどうしたらいいか?
受け取り手がいることを考えて作品を作ることだって、
必要なことだと思う。
でも、行きついた先に自分が居なかったら?
手作りしていくということは、
どこまでも可能性があることと同時に、
果てしなく広がっている道なき道を、迷子になりながらも
自分を見失わずにどこかへ辿り着くことのように思える。
John Williamsの楽曲には、
彼が手作りしてきた世界には、
たくさんのわくわくで溢れていた。
もう88歳のおじいちゃんだけど、
どうかまだまだ彼の新しい楽曲を聴かせてほしいな。
John Williamsだっていつかは死んじゃうんだろうけど、
死んでほしくないな。
そんなことをあれこれ思った、
とてもとてもいいコンサートだった。
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