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note×standfm ある読書家の詩作/闇夜の夜鶯/蓮華/朗読/則天去私について

皆さま、如何お過ごしでしょうか?

8月も中旬から下旬に向かうタイミングですが、読書の夏本番、今日は皆さまはどんな書籍をお手に取っておりますでしょうか?

毎年、8月に感じる倦怠感虚無感
人が争うことの虚しさや儚さを感じ、分かれてしまった部分の傷がうずく様な感覚がございます。

離れてしまったものは行き場を見失い荒れ地の葦間を彷徨いゆらめく。
神人合一にして、あらゆるものに自らを帰り求めて、荒ぶる自我を鎮めることで人間を更新し、力への意志で現在を超克して行くことが大切だと思う、8月のある朝でございました。

「痛み」「悼み」に敏感になる時期ですが、戦争と平和について考えながら、内なる光を頼りに仄暗い散歩道を歩いておりました。


さて、今回は先日、自作の詩をstandfmで朗読配信致しました。
朗読配信、朗読Liveについて徒然なるままに書いてみたいと思います。

             * * *


──── 闇夜の夜鶯 蓮華 朗読体験


先日、私の詩「闇夜の夜鶯」standfmで仲良くさせて頂いております、
原田龍一さんに朗読して頂きました。

原田龍一さんの番組はこちら👇

そして、私は原田さんの詩「蓮華」を朗読致しました。

原田さんオリジナル<蓮華>


お互いの詩の根底に流れる虚しさ儚さが共鳴する刺激的な体験でした。

そして私の詩の配信にいつも一緒に朗読して下さる、山ガールzさんを
お迎えして三人で朗読Liveを開いてみました。

朗読/コラボレーションLiveはこちら👇

山ガールzさん番組はこちら👇


──── 闇夜に響き渡る夜鶯の囀りとは


先日、私の胸より少し高い位置に空色のきれいな川が流れ、
川から掬い上げるような感覚で言葉を取りました。

前回の「七夕の日に」という詩と同様な感覚でほんの1、2分で
思いつきました。

前回の「七夕の日に」の記事はこちら


夜鶯は、夜鳴鶯とも呼ばれますが、英語ではナイチンゲール(Nightingale)
闇夜で美しい鳴き声で夜明けが近いことを知らせてくれるのかも知れません。

私の夜明けも近いのか・・・


睡眠中の死の底に沈んだ状態から、夜鶯の囀りにより、みずからの男女性が目が覚める。眠りの中というのは、ルドルフ・シュタイナーも言うように、体を休めている以上に何か起こっているのだろうと思います。


シュタイナー/Wikipedia


それは星雲星雲の合流や星星の衝突、新しい宇宙の開闢の瞬間であり破壊と生成、喪失と獲得の只中でもある様に思います。

人が眠るときというのは、人間の意識の本質である「アストラル体」が+エーテル体かから離れて、霊界に向っているとも言われております。
このアストラル体情緒の素情緒体が肉体から離れて大きなもの、宇宙と調和をはかり・・肉体に戻ってくる・・・
微睡みの海を泳ぎながら夜鶯の囀りにふっと気づき、なんとなくそちらの方へ泳いでいる印象です。



気が付けば夜明け。広大な微睡の海の中、自我を、朝を感じられ私が私に恐怖する、欲望が欲望する私に恐怖する、という感覚を受けました。
孤独な一つの宇宙に閉じ込められた一本の弱い葦は、吹きさぶ波に何を思うのか。人人唯識を思うと孤独に堪える術を誰もが知る必要があり、孤独以外の不在に気づくことで初めて本当の孤独を受容できるのだと思います。


──── 闇夜の夜鶯


私の宇宙で起こったことですが、この詩をどの様に解釈頂いても結構です。

私の詩を朗読して下さった原田さんは、Liveの中でもお話しくださいましたが、昇華をイメージしたと仰っておりました。

飛翔への階段を登ったり降りたり・・・
反発したり、浸透したり、押したり引いたり・・・。絶えず運動を繰り返す中で、微弱な生命の樹は徐々に芽が膨らみ花が開花する寸前まで回復し、夜空に煌めく天空の星星の祝福を得ながら、少しずつ現世での足枷を溶かし流れ去る・・・

これは晩年の夏目漱石の思想にも通じるものを感じ取ることになりました。

──── わたしが流れ去る


夏目漱石
の晩年の思想に則天去私というものがございます。
我執から離れ、我を捨てる。これはとても勇気のいることではないか?と思います。<我>の消滅ほど人を不安にさせるものは無いと思います。
そこには自身への信頼、絶対肯定の状態にあり、自己を信頼しきっているからこそ、私を去る覚悟に繋がるんだろうと思います。

この言葉は物事を巨視的に観た、素晴らしい言葉だと思います。
大いなるものの導きや、大きなものに動かされているというマクロ視点と、一方で、全宇宙の調べからすれば、儚くちっぽけな私をミクロな視点で観てみる。

ズームイン、ズームアウトしながら徐々に輪廻の環から離れていく。

放擲捨離解脱思考

人生の冬から旅立ちの時にはすっかり無我の境地に至れる様になりたいものでございます。

則天去私
悠久感を伴い、私にとっては清々しさすら感じる言葉です。

手放してくことで、自責の念は溶け憂いを流しさってくれるのだろうと思います。


ここまでお読み頂き有難うございます。
今回は自作の詩について徒然なるままに書いて参りました。
ありがとうございました~


                                                * * *


──── ここからは毎度の宣伝でございます。

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有難うございました~

ブリア・サヴァラン教授/Wikipedia


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