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弾ける言葉と封殺される言葉ーミニ読書感想『東京都同情塔』(九段理江さん)

芥川賞受賞の九段理江さん『東京都同情塔』(新潮社、2024年1月15日初版発行)が面白かったです。新しい才能に出会えて嬉しい。タイトルがそうであるように、読んで楽しい弾ける言葉が魅力。その一方で、さまざまな配慮でがんじがらめになっていく言葉への憂いがミックスされていました。


トーキョートドージョートー。早口言葉のようなタイトルは遊び心がある。それでいて意味が込められている。東京都同情塔。東京の、同情の、塔。

こんな風にリズミカル、リリカルで、歯応えのある文章が随所に出てくる。私はシンプルに、それがとっても楽しかった。たとえばこの文章。

まるで「成功した建築家」で画像検索して、表示された写真を見ながら髪を切ったり服を選んだりしているみたいに、見事に成功した建築家の外見に成功中だ。

『東京都同情塔』p56

見事に成功した建築家の外見に成功中。成り上がったという意味での成功と、失敗せず意図通り進んでいるという意味での成功。二つの成功がこぎみよく並んでいるし、間に挟まる「髪を切ったり服を選んだり」もその前の「画像検索」もアクセントになっている。

だけど東京都同情塔は、想像以上にエキセントリックな存在。本書の世界では、罪を犯した受刑者は「ホモ・ミゼラビリス(同情される人)」と再定義されている。ホモ・ミゼラビリス。罰ではなく同情を与えるため、新宿御苑の中、都心のど真ん中にホモ・ミゼラビリスが住む同情塔を建てる。そこでは刑務所とは真逆の、快適で、最高品質の暮らしが保証される。

罪を犯した人を犯罪者と呼ばない。犯罪者というレッテルを剥がし、漂白した社会。コレクトネスを突き詰めた先の世界が広がっています。

たぶん著者が主題に捉えているのは、その是非というか、社会によって変えられていく言葉のありようなのではないかと感じました。

それはたとえば、こんな文章から感じ取ることができる。

眠っているときの私は、神秘に満ちた深海に揺れるイソギンチャク。私は自分がイソギンチャクであることを証明できない。イソギンチャクでたる自分を見たことがない。だからこうした言い方はイソギンチャクへの配慮が足りていないかもしれないし、イソギンチャクからクレームが来たら謝るべきだろう。

『東京都同情塔』p122

比喩としてのイソギンチャク。でも、厳密に言えば人間にイソギンチャクとしたの当事者性はない。それはある意味で、「配慮が足りていない」のかもしれない。

そうやって考えていくと、私たちに可能な表現はどの程度残されているのか?

本書はとてもシリアスな小説といえます。

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