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不都合なうんこの話題

「日本人ていつもうんこの話してるよね」
欧米人にそう言われたことがある。確かにな。うんこの話題は多いな。

 快便日記を付けていたり、腸活情報をシェアしたり、本屋へ行ってもタイトルに「うんこ」と付く本はたくさん売っているし、「キウイ食べると出やすいよね」なんて会話は日本人は当たり前にするが、欧米人にとっては驚き桃の木キウイの木、気を付けないとドン引きされてしまう。

 健康法、美容法、アンチエイジングは今や世界共通の課題であるが。
 背の高さや、脚の長さや、整った骨格、ブロンドヘア、肌の色などなど、外見の美しさで他人種を圧倒してきた欧米人に比べ、胴長短足でちんちくりんの我々アジア人には「美は内面から」という意識が根付いているように思う。
 肌荒れしている友人に対し欧米人はコンシーラーをすすめるが、我々の場合はとりあえず「ちゃんとうんこ出てる? 便秘はいかんよ」ということになるのである。

 当然、欧米人はわざわざこんなことを書いてUPしたりしないものだ。が、私は日本人である。だから今日はこのままうんこの話題だ。


 昔パリの街で、ものすごくかっこいい最新式のトイレを使ったことがある。見た目はまるでコックピットだ。全自動で、手動で操作できるものは何もなく、人間はただ座るだけである。はっきり言って、悪夢のような時間であった。

 だいたいにしてパリの街は観光客の数に対してトイレが圧倒的に少ない。探せど探せど見当たらない。いよいよ切羽詰まってきた時ようやく見つけたのが、公園の真ん中にポツンと立つその最新式トイレ(個室がひとつきり)である。ゾッとするほどの長蛇の列が出来上がっていた。泣きそうになりながらそこに並ぶ。

 最初は、あまりに奇抜な見た目なのでトイレとは気付かなかったのだ。だがトイレのようだ。人々が芝生でピクニックをしたり、ボール遊びをしたり、犬とたわむれたりとパリの休日を楽しんでいる横で、扉を開けばいきなり便器が見えるようなデザインである。並んでいるだけで恥ずかしい。ここに女性が一人ずつ順番に出入りして用を足すのを、パリ市民その他大勢が見ているわけである。「5分以上かかったからさっきの女はうんこしたんだろうな」なんて好き好んで見る人はいないだろうが、だとしても十分にセクハラ事案だ。しかし背に腹は代えられぬ。パリの都で漏らすわけにはいくまい。ふんばれ、私! (ふんばるな)

 しかし進まない。便座への道は遠い。列に並ぶ人々はみな必死の形相だ。冷や汗をかいたりイライラが隠せなかったり、祈り始めたり、私も半泣き状態である。どうもおかしい。こんなに進まないことがあるものか。目を凝らして先頭を見ていると、何やらみんなもめているようなのであるーー。

 用を済ませトイレから出てくる人が、次に入ろうとする人を必死で制止する。その間にトイレの扉が自動でゆっくり、ゆっくり、ゆっくり閉まる。そこからなかなか開かないーー。
 ようやく開いて次の人が入る。出てくるとその人もまた必死で次の人を制止する。「入っちゃダメよ!」と。そして扉が、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりと閉まる。またしばらく開かないーー。

 あんなに絶望的な光景を私は他に知らない。何をどうやって漏らさずに耐えられたのかも覚えていない。ようやく次は私の番だという時が来て、出てきた人がやはり必死で私を制止しながら、こう言った。
「まだ入っちゃダメよ。これから自動で扉が閉まるから。それから自動洗浄して、それが終わったら自動で開くの。そうしたら使えるわ」

 つまり前の人が出てきた時点では、そこにまだ「うんこ」がある状態らしい。この全自動トイレは、扉が閉まって無人にならないことには「流さない」のだそうだ。それでみんな必死で次の人を制止するというわけだ。当然、うんこが流れないおかけで時間は無駄に流れてゆく。


 人類が便利さを追求し、すべて機械任せで、全自動で物事が完結することの恐ろしさを痛感した日であった。「いったい我々はどうして今こんなにも不便な目に合っているのか?」全自動トイレは答えてはくれない。これでは生きていけないと本気で思った。
 反対に、新興国でトイレらしいトイレもない生活をしたこともある。トイレットペーパーもないし、便器もないし、そもそも何もない。うんこをしたら、川の水で尻を洗うのである。こちらは私は一切、困ることはなかった。快適に暮らす方法を、現地の人々が親切に教えてくれたからだろう。


 日本でも、有名建築家がおしゃれな公共のトイレをデザインしたとかでニュースになったりするけれど、パリを思い出して不安になってしまう。
 自国の不便さには人は鈍感だ。どこに何があるか、自分達は手に取るように知っているからである。トイレや、避難経路や、水を入手する方法、疲れたときに休めるベンチ、薬局、交番、なくては困るものが案外、外国人の目には視覚化されていなかったりする。

 我々先進国はきっと、便利を追求する裏で親切をないがしろにしてきてしまったのだろう。今に「手動で流せないうんこ」のような、とんでもない不都合にぶち当たるのかも知れない。


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