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研修って誰のため?

8月1日

梅雨が明け、大分は夏らしい暑さになってきた。雲も空も一気に夏、セミの声もかなり大きく響いている。今週は埼玉、京都と久しぶりの2本の出張だった。コロナ以前は毎日旅人の生活だったので普通だったけど、ちょっと疲れて、田舎の我が家が恋しい週だった。

子どもたちも本来だったら夏休みの今、まだまだ普通通り授業は続き、ぐったりの生活だ。暑さでバテないようにしっかり食べて、睡眠を取らなくては、と意識させられる毎日だ。

さて、今週のブログは「研修って誰のため?」というタイトルにした。
今の私の仕事は、ある部分ではプロの研修講師、という側面を持っている。他にもいろんな仕事をしているので、全てではないが、少なくともそこで報酬をもらって生活をしている以上そうなるだろう。

特に私の場合は、講演会もあるし、相手も様々だ。主には先生たちが多いが、保護者や、子どもたち、管理職の方、教育委員会の職員や指導主事、あとは企業の方、議員さんや、首長さん、という場合もあって、職種も年齢も様々だし、内容も全くバラバラだ。

そもそも「研修」の意味は

職務上必要とされる知識や技能を高めるために、ある期間特別に勉強や実習をすること。また、そのために行われる講習。

とある。特に私の場合は、ICTに関わるものがほとんどなので、iPadの使い方や、アプリを使った創造的なワークショップ、情報モラル、プログラミングなどが多い。
それはなんのため、誰のために行なっているのだろうか。先生たちは職務上必要とされる知識や技能を高めるためにそこにやってきて研修を受講する。


満足して帰っていく人も多いし、もっと学ばなくては!と意欲を喚起させられる先生も多くいる。まだまだ足りない、という人もいれば、こんなの知ってるし、と思う先生もいるだろう。さて、その先にあるものはなんだろうか?

先生たちの職務は子どもたちの教育を司ることだ。そのための知識や技能は、授業や様々な教育活動に生かしてほしいと思っている。
先生がiPadをうまく使えるようになることは研修のゴールではない。できるようになって、先生の授業観、教育観が少し揺さぶられ、その結果、授業に変化が起きることが大切だ。そして、子どもたちの前に立った時、少し変化が起きていて、かける言葉が変容したり、授業の課題の質が上がったり、子どもたちの創造力を掻き立てるようなプロジェクトにつながったりしたら、成功だと思っている。社会とつながったり、誰かの役に立ったり、課題を解決できるような成功体験につながったら、さらにいい。

もっというと、先生のその変化を子どもたちが感じ取り、なんか授業が面白い、学校って楽しい、学ぶことっていいよね、とここまで達成することができて、初めてその成果につながると思っている。

ということは、研修の講師は、そこまでの姿をイメージして研修を組み立てる必要がある。間接的にそこにいる、子どもたちの変容をイメージして、丁寧に研修を行うのだ。そのためにかけるべき言葉、見せるべき資料、ワークショップはどうあるべきか。開催時期、場所、時間は適切か、会場の機器の配置や、プロジェクタの文字はきちんと見える大きさになっているか、空調は、光の具合は?

受講者が意識していない細かいところまで配慮をし、席の配置にも工夫をし、研修のストーリーを組み立てる。声の大きさやトーンも相手の反応を見ながら変えていくし、スライドの順番や、話す内容も毎回違う。


これはまさしく、先生の行う日々の授業と同じ考え方だ。研修の場合はたった1回しか会わない可能性もあるので、リカバリーができない。そのライブ感は本当に授業に似ていると思う。だから私は、毎日楽しく講師ができているのだ。
少しでも子どもたちの幸せにつながるように、と思いながら、より良い研修デザインを探求していきたい。

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