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私が米作りを始めた理由

6月に入り、大分では学校も通常登校になっている。子どもたちは毎日ぐったり疲れて帰って来る元の生活に戻り、部活も再開された。何事もなかったかのように戻っている日常・・これでいいのか、と思ってしまう。授業はすごいスピードで進み、宿題の量も増えている、定期テストも実施されるらしい(授業はしてないけど)。

全国のいろんな先生と話し、やはり微妙に状況や判断にズレや温度差があると感じる。エリアにもよるが、自治体の判断の差が大きい気がする。まさに、中教審の資料「新型コロナウイルス感染症に対応した 新しい初等中等教育の在り方について」にあった成り行きの未来のシナリオの通りに進んでいるように見える。


夏のような日差しも続き、夏野菜はどんどん大きくなっている。30度を超える日も多くなってきて、なんだか今年の夏も暑くなりそうだ。今週は少しICTと離れて米作りについて書いてみようと思う。

私の家は農家ではない、校種は違うが教員の家系だ。もちろん親も趣味程度にはしているが、私の場合は仕事を始めてから学校の子どもたちと野菜作りをすることが多くなった。使ってない花壇を復活させて作ったり、プランターで栽培したり、農業公園とタイアップして畑を借りたり、それぞれの学校でいろんな形態で、学年にあった野菜作りをしてきた。季節に合わせて様々な野菜作りをしてきたと思う。

高学年を持つことが多かったので、5年生をもったときに必ず米作りを学ぶ。その時も地域の田んぼを使ったり、バケツで栽培したりしていた。教科書には一通り工程が書かれていて、学習もする。「米」には88の工程がある、と小さい頃言われてもきたが、自分の中に実感としてはなかった。そして学校では地域の人の多大な協力のおかげで、「田植え」「稲刈り」のみを体験させてもらうことが多かった。

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ずっと疑問に思っていた米作りの大変さや、見えない苦労を知ることはできなかった。そんなことを話していたら、ある農家の保護者が「もみから茶碗に乗るまでを体験させてやる」と言ってくれた。田んぼや農機具を貸してくれて、全ての工程を教えてくれるという。そこが米作りの始まりだった。今から10年以上前だ。

学校の帰りにそこの家に寄り、籾の選別から教えてもらった。農機具の運転や、肥料の撒き方、収穫の工程も教えてもらったのだ。2年間修行させてもらい、そのタイミングで引越しなどがあり、今の地域の中で米作りをしたい、と言っていたら、またまた近所の人がお世話をしてくれた。

農機具も田んぼも、人のつながりと善意の中で「縁」がつながり、10年以上も継続している。私の仕事は当時は教員、指導主事、そして今は教育ICTのフィールドで仕事をしている。教材研究として始めた米作りは、今は自分のライフワークになっている。


ICTと農業、全く真逆のことをしていることは、私の中で物事のバランスを取るためには必要なのかもしれない。何もないところを耕し、太陽の日差しを浴び、草と泥にまみれている時間は幸せだ。仲間と一緒に喜びを分かち合い、笑いあう時間も楽しい。

その地域のコミュニティに混ぜてもらい、おじいちゃんたちと大きな声でくだらない話をしている時間はとても楽しいし、その人たちからの学びは、そこにいて、一緒に働いているから得られるものだと思う。中途半端にやっている余所者には、何も教えてくれない。本気で農業をやっているから相手にしてもらえる。

大都市から人が分散し、地方の時代は必ずやってくる。そのときに広大な耕作放棄地を前に、どんな風に活用をイメージできるのか。その知見は今じゃないと得られないかもしれない。ものづくりの楽しさの原点が農業にはある。そして何より美味しいご飯が食べられる。究極のSTEAM教育は農業かもしれない。

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