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ラディカル・ゾンビ・キーパー 二

車内アナウンスが首を絞めたセキセインコみたいな声だった。それに気がついたのは私だけ、地味なアンゴラのセーターを着たオバサンもライム色のカットソーを着たソバカスだらけのお姉さんもイヤホンを詰めた天然パーマの学生も叩き潰した蚊みたいになんの反応もなかった。
雲ひとつない青い空。あれは本当の青じゃない。幼稚園児が橙に塗ったり紫に塗ったり緑に塗ったりする方が本当だ。私にも緑に見える。よく、マンガやイラストで、陽の光が白い四角の連なった形で表現されているけど、あれもちゃんとその通りに目に見えるし、だから漫画家さんやイラストレーターさんの目は他の人たちと全然違って普通にすごいと思う、私は眩しい顔をして、窓の外を見つめてみた。
ファッションモデルのように綺麗で艶のある長い黒髪、胸元に花柄の刺繍が施された白いブラウス、膝がすりむけたジーパン、ドア横の手すりを左手で掴み、右手には少し色褪せたベビーカー、でも瞳には何も映っていない、赤ちゃんがひっくり返ったカナブンみたいに身を捩っている、あの肌質や化粧の仕方からしたらまだかなり若いママなんだろう、真似して窓の外を見つめてみても何を考えているのかはさっぱり分からなかった、川のしぶきが白くて綺麗、なんて思っちゃったし。
「マジー? やばくない? マジあり得ないんだけど」
「やばいっしょ? キャハハ」
「ウケるホント、ね、ナオミ、マジウケない?」
 フウカはシワだらけで踵の潰れたローファーを片方脱いで中から砂と糸くずとよく分からない塊を指で掻き出しながら私にそう聞いた。
「え、うん、最高」
 バッグに白マジックでイケメン俳優の名前をデカデカと落書きしているクミの太ももの辺りをさっきから目の前のワインレッドのリュックサックを膝に抱えた分厚いメガネの男がじっと見ている。背の低い女子高生に股間を思い切り蹴ってほしいと日々強く願ってるロリコン・マゾヒストっぽい二十から四十歳くらいの年齢不詳の男だ。私の視線に気がついて目を逸らしたけどその前にもう一度クミの太ももに目をやった。一秒は見た。クミもフウカもこの前の合コンの男たちの話でバカみたいに笑い続けている、イヤホンを詰めた天然パーマの学生がフウカとクミを睨むように見た、仲のいい友達が絨毯に醤油をこぼしてしまったけど何も言えないみたいな目だった、つまみを回す、音量を上げたな。
 車椅子用の座席の無いスペースに髪をべたつかせた初老の男が座り込んでいる。見ているだけでアンモニア臭が漂ってくるような縒れたシャツで、放心したように一点を見つめている。前に、アラブ系のドワーフみたいなオヤジがここは日本なのに英語で道を聞いてきたことがあったけど、それよりもずっといい、臭いだけの置物の方が中途半端に生きたがってる奴よりもずっといい。
 コロッケ屋さんで有名な駅に着いた。誰も降りない。あのおいしいコロッケを誰も知らないのだろうか。賞味期限が一週間切れたアンパンを机に隠してるフウカはもちろん知るわけがない、カレーを作ってもパスタを作っても煮物を作っても全部同じ味になる母親から産まれたクミももちろん知るわけがない、だけどキルティングジャケットを着た目の下にファンデーションでも隠れない大きなシミのある気の毒なオバサンとかラムウールのカーディガンを羽織った榊原郁恵みたいな顔のオバサンとかは知っていてもいいじゃない、クリームコロッケ、野菜コロッケ、ミートコロッケもそうだけど、メンチカツ、ヒレカツ、エビフライも最高なのに、ころもも脂っこくなくて、冷めてもおいしいし、店主のオジサンがレジの八十ぐらいの表情のないお婆さんに客の前ですごい剣幕で怒鳴り散らすのは置いといて本当においしいのに、ドアが閉まります、ご注意ください、セキセインコは少し回復していた、誰も降りなかった。
「大体さあ、普通、そんなこと言う? 陰で言うのなら分かるわよ、それもよくないことだけど、けどね、子供も側にいるのにね、あんたの子供は出来が悪いって言ってるようなもんじゃない、幸い子供は何のことか分からなかったのか注意して聞いていなかったのか、とにかく、あんな無神経な人いないわよ」
「あの人はこう、ずけずけとモノを言う感じなのよね、確か旦那が学校の先生でしょ、だから自分も立派な人間だと思ってんのよきっと、だから他人に諭しているような気分なんじゃない?」
「それでいて自分の子供は優秀だと思ってんのよ、何がお宅のお子さんじゃ慶応は無理よ、よ、ふざけんじゃないわよ本当に、まだ小学生なんだから分からないじゃないねえ、あんたんとここそ無理よって言ってやりたかったわ」
「言わなくて正解よ、言ってたらあなたまでその人と同じ最低の人間になっちゃうもの」
「下らない人間とは付き合わないのが一番ね」
「本当にそう、あら、やだ、もう着いたわ、話してるとあっという間」
 そう言って紫のツイードジャケットを着たおたふく顔のオバサンと濃いアイシャドウを入れたダルマ体型のオバサンの二人が同じデパートの紙袋を両手にぶら下げて足早にホームへと降りていった。フウカとクミもきっとあんな風に誰かの話を誰かとしてそれだけがストレスの捌け口になるんだろうなと私は思った。
 
駅の改札口を出てからバスターミナルまでは五分近くも歩かないといけない。貧乏人しか行かない変な名前の洋服屋とか中国人ばかりのスーパーとか刈上げが好きな美容室とかここは終わってる町だからそれは仕方がないんだけど、バス停までの移動とバスが来るまでの間にフウカとクミの相手をしないといけないのは我慢がならない。フウカは自転車なんだししかもバス停とは正反対の方向に住んでるんだから改札を出てすぐにバイバイすればいいのにクミと話したいからっていつもついて来るし、クミとは同じ中学だったけどまったく仲はよくなかったしまた同じクラスになった今でも同じグループにいるだけで髪型の話とかカレシの話とか生理の話とかおやつの話とかまったく合わないし仲なんかいいわけじゃない、フウカと二人で帰ればいいのに同じ方向だからってわざと速く昇降口まで降りた私を誘うのは優しい女でも気取ってるのかそろそろ本気でうざいんだよ、
「ちょっとー、ナオミ、聞いてるー?」
「聞いてるよ、それで?」
 フウカのバッグにも白マジックでクマちゃんとかお花とかきゃぴったイラストがたくさん描かれている。だけどそのバッグの持ち主がフウカだと私にはドクロやカエルの目玉みたいな気持ちの悪いものにしか感じられないから私と隣り合っている方の肩にバッグを掛けるのはやめてほしかった。
「で、会ったんだけど、チョーキモすぎるオヤジで、頭はバーコードだし、ちりちりの腹毛とか、もちろんデブ、最悪、死ね」
「マジでー? フウカはそれでもやっちゃうんでしょ? よくやるよねーホント、すごいよ、そのメンタルに拍手、拍手あげちゃう、尊敬」
「クミ、だって、五万よ、五万、時給八百円でバイトしてんのがバカみたいじゃん、夕方に四時間入って三千円くらいっしょ、休みの日で七千円? は、一週間分の収入になるし、おいしすぎだって、目をつぶってオヤジじゃないって思えばそれなりに気持ちいいしね、だけどしゃぶってる時はマジ最悪、ちっせえし、毛が鼻に当たってうざいし、洗っても臭い時あるし」
「ははは、分かるそれ! フウカもそうなんだ、てかみんなそう思ってるよねー、オヤジとかカモられてるだけなのにちょっと褒めるとすぐ調子に乗って何でも買ってくれるし、アホすぎ、あ、あれなんだっけ、援助、ナオミはないんだっけ?」
 フウカとクミは男子に黒まんこと呼ばれている。フウカはDカップあるけど少しポッチャリしてるから黒ブタで、クミは身長が低いからチビ黒だ。チビクロサンボからチビクロマンコがきているのはちょっとウケたけどフウカとクミは黒の後にまんこがつくなんて夢にも思っていないんだろう、別に肌焼けてないし、バカじゃん、ってお門違いなことを二人で言って男子を笑っていた。
私は少しうつむいて返事をした。
「うん、ない」
「変わってるよねー、みんなやってんじゃん、アサミもエリコもアイも、みんな、何でやんないの?」
 とフウカは聞いた。見下すような表情だった。こんな精液まみれのおまんこみたいな顔をしたメスブタにそんな目で見られる覚えはないと私は思って心底腹が立った。そして一生のうちに一人だけ殺してもいいとなったら間違いなく今のフウカを殺したと思った。
「別に……そこまでお金ほしくないし、変な事件に巻き込まれてもやだし」
「あはは、そんな事件なんて起きないよ、てか、巻き込まれないし普通に、私なんて何十回ってやってんだよ? だけどそんな拉致られるとかもないし、ヤクザとかもないし、せいぜい、病気もらうぐらい? キャハハ」
 とクミと一緒になってフウカは笑った。笑うだろうなと思ってたから聞こえない聞こえないって心の中で呟いてたら少し聞こえなくなったから私は少しおかしかった。
 それからバス停に着くまで私は無言で、もっと聞こえないようにもっと聞こえない聞こえないって心の中で呟いて、話しかけられないように携帯をいじくって、時刻表を確認すると、あと二十分は来そうもなかった。近所の子供を数人預かってパンツを取られたり油性のマジックでフローリングを落書きされたり作ってやったケーキをけちょんけちょんに貶されたりする方がずっとマシだと私は思った。このままメールをずっと打っていてもフウカは気遣いを知らないバカだからきっとまた話しかけてくる。フウカの脳みそはとってもデキが悪いから嫌なことがあってもすぐに忘れるし。そう、三歩歩けば忘れてしまうというニワトリとまったく同じ脳みそだ。ブタでいてさらにニワトリ。ロースもとれてササミもとれる存在。まさに夢の家畜だ。ちょっと面白いな。私は思わずにやけてしまった。
「なになに、どしたの? 何か面白いメールでも来たの?」
 面白いことは独り占めするな面白いことはお前だけのものじゃないという感じでフウカが携帯を覗き込んできた。私が持ってるのにフウカが持ってるって錯覚するぐらい覗き込んできた。自分のことで笑われているとも知らずに……ううん、思い出して笑っちゃっただけだよ、
「何を思い出したの? 教えてよ、今日、そんな笑えるようなことガッコであったっけ? クミ、あったっけ?」
「いや、別にないんじゃない? 今日はなんかダルいだけだったし」
 例え学校で笑えることがあったとしてもなんで私がお前たちと同じ基準でいなきゃいけないんだと思ったけどこの女たちから放たれる視線がキッチンに跳ねた油シミよりもネッチョリとしていて気持ちが悪かったし口臭が煙草とかお弁当とかお菓子とか歯磨き粉とかの臭いが混ざり合って小さい頃に田舎で一度だけ見たことのある肥溜めのような臭いがしたからそんな思いも一瞬で吹き飛んでいつもの作り笑顔が出てしまった、うん、ホントに、ずっと昔のことだから、小さい頃の、
「だから、それを、教えてよ」
 根本的なことが疑問に思えてきた、私は何でこんな女たちと一緒にいるんだろう。仲がいいわけでもないし、てゆかそれ以前に仲のいい人間なんて一人もいなかったし、ただみんなと同じ髪形をして同じ格好をして同じしゃべり方をして同じ趣味を持ってただハブられないようにしてきただけだし、同じことに興味を示して同じ遊びをして同じモノを軽蔑して、
「何で黙んの? ムカツクんだけど」
 私は笑ってみせた、
「あ、ごめんごめん、考え込んじゃって」
「だからさ、その、考えてることを教えてってあたしは言ってんの、大丈夫? ナオミ、マジやばくない?」
 一生で一人ではなくて殺人罪がなくなったらフウカを何度も殺そう。バスが到着した。
 私が一番後ろの座席に腰を下ろすとクミも続いてフウカも続いた。
「え? フウカ、バスなの? でも反対方向だよね? 自転車は? 引越したの?」
「急によくしゃべるね、違うよ、クミの家に泊まりに行くんだよ、ね、クミ」
「うん」
「そうなんだ」
「ナオミは来ないでしょ?」
「え、あ、うん、バイトあるしね」
 私が降りても二人は手も振らなかった。バックガラスを振り返った私がバカみたいだ。あの二人がこの後どう過ごすのかはだいたい想像がつく、きっと、こうだ。

「こんにちは」
 そう出迎えたのはクミのママじゃなくてお兄さんだった。ママはまだ帰っていないらしい。お兄さんはねずみ色のトレーナーにねずみ色のパンツで、大学生と言われなければクミのパパかと思うぐらい顔のシワが深かった。その深いシワを歪ませてお兄さんがケーキと紅茶を出してくれたので、三人でテレビを見ながら一緒に食べることにした。
 テレビでは世界の万年筆の特集とオシャレな手紙の書き方をやっていた。
「お兄さん、まつ毛、長いですよね」
「よく言われるよ」
「あたし短いからすんごいうらやましい」
 フウカがそう言うとお兄さんはケーキのカスをこぼして笑みを含んだ。だけどその顔が折り曲げて無理やり笑わせた野口英世とか福沢諭吉とかみたいで気持ち悪かったからもうお兄さんを笑わせるのはやめようとフウカは思った。
今のことは無かったことにして紅茶を啜るとフウカの携帯が鳴った。メールだ。
「なに、その曲」
「こないだまでやってた昼ドラの主題歌、知らない?」
「俺、見てたから知ってる」
「お兄さんって、普段、家にいる時は何してるんですか? テレビばっかり?」
「いや、ずっとネットやってる、家にいる時は」
「え、勉強じゃないの? 初めて知った、ネットばっかやってるんだ」
「お兄さん、どうせネットでいやらしいサイトとか見てるんでしょー? そこんとこ、教えてくださいよ」
「まあ、たまに、見ることはあるけど」
「あはは、あるんだ、ぶっちゃけてますね、お兄さん、ウケますね」
「なんかすごいショックなんだけど、身内のそういう話」
「今、メールで、プール覚えてっかってアサミから来たんだけど、クミ、覚えてる?」
「授業? 明日? プールの日だっけ?」
「そうだよん、温水の眠くなるプールだよん、だから水着忘れるなよ、貸さないぞ、でももし忘れたら、そん時は、サポーターだけ貸す」
「サポーターだけかよ、全部貸せよ」
「ケーキまだあるけど、お代わりする?」
「しまーす!」
 三人でチョコレートケーキとメロンケーキとモンブランとベリーケーキとイチゴのタルトとティラミスとシブストを食べてから、お兄さんに勉強してくださいよせっかく大学入ったんだから遊んでばかりじゃクミもお兄さんがダメ学生ってレッテル貼られて可哀相ですよとフウカが言って、テレビでニュースが始まったからフウカとクミは二階のクミの部屋に上がった。
「写メ撮っていい?」
「なに? どこ? 部屋? こんな部屋撮ってどうするの?」
「お前だよ、いつもちゃんと撮らせてくんないし、一緒に撮ろ」
 いえーいで写真を撮ると、クミのメールが鳴った。
「……最近、忙しいって、だから、会えないって、さ」
「カレシ?」
「そう、大学の勉強が忙しいってさー、絶対に行かないといけない日とかがあるみたい、だから、夕方の五時過ぎとかからしか遊べないの」
「最近、いつデートした?」
「かなり前、横浜? 行った、かな、多分」
「何したの?」
「山下公園でぼうっと海見たり、中華街をタピオカジュース飲みながらブラブラしたり」
「その帰りはーやっぱりー言えないようなーことしたんでしょー言ってみなさいよー」
「ふふ、何一人で想像してんの、いやらし、別にだよ、べ・つ・に、そういうあなたはどうなのさ?」
「バリバリだよ、ヤバイよ、どうしようもないくらい、ラブラブだから」
「ねえ、もしかして明日、英語もある? 明日、あたし、当たらない?」
「当たるね、どきゅーんってど真ん中に当たるね、フォーリンラブする勢いで当たるね」
「当たるよね、木曜だもんね、ヤバイよね、教えてよ、また、答え、フウカちゃん大好きだから、頼ってんだから、フウカが心の支えだから」
「どーしよーかなー?」
「卒業できなかったら困る、そしたらフウカのせいよ! 七代先まで祟ってやる!」
「怖いな、分かったよ、ねえ、さっきからオーディオうるさいんだけど、これ、音量変わらないの?」
「これ古いからさ、音、このまま変わらないんだ、だから夜は消そう、お終い、お風呂入ろう」
 二人で脱衣所なんて大きくなってからかなり久々だよ結構狭いねヤダなに腰の触り方がやーらーしーいーってクミがパンツを脱ぐとそこにはナプキンが貼り付けてあってフウカは手を叩いて笑った。
「あんたも生理? 私もだよ、何日目?」
「一日目、そうだよ、いきなりだよ、お前のがうつったんだよ」
「ホント、生理は普通にうつるからね」
 フウカは足の指から洗うんだなーあたしは左腕からだー交代、クミは小さくて可愛いなー背中だけ見てると小学生の妹が出来たみたいだなー二人で湯船に浸かっても広いね、やるねクミんちのお風呂、
「なにおっぱい自分で揉んでんの? やらし」
「ツボがあんのよ、大きくなる」
「こう? なんか、変な感じだね」
「この水鉄砲、結構痛いよ」
「あはは、微妙に感じるね、こそばゆい」
「フウカ、足ちっちゃいね、いくつ?」
「二十三、あちし的には大きく感じんだけどね」
 お風呂から上がるとクミのママが帰っていて夕飯は鶏肉のチリソースとタマゴいっぱいのサラダと鯛のアラのお吸い物とテカテカ光ってるコシヒカリのご飯と鰹節をまぶした沢庵だった。
 ご飯を食べ終えてクミの部屋に戻ってハードボイルドな少女漫画を二人で読み始めて自然とおせんべいに手が伸びてクミの部屋におせんべいが常備してあることにフウカはウケた。
「フウカ、明日の朝、何食べたい? あたしが作るんだけど、朝食当番だからさ」
「朝は味噌汁がいい」
「意外だね、家庭的だね、そうだ、これに着替えてよ、あたしとお揃い、色違い、大きかったから小さいの買うハメになっちまったやつ」
「かわいいね」
「でしょ、で、明日、何時に起きる? 集会あったっけ?」
「あったね、じゃあ、七時ぐらいに家出るか」
 気がつくとご飯を食べてから四時間も漫画を読んでいてなんで友達が来てるのに読みふけってるのよお客を接待しなさいよなんて言ってるけどフウカだって思いっきりハマってるじゃんウケるしベッド入ろうよ少し冷えた。
「ねえ、クミは彼氏とさ、いつもどこでやってる? ラブホ?」
「普通に部屋だけど」
「どっちの?」
「相手の」
「ママとかいんじゃん?」
「いないよ、いない時、でもバレてるだろうけど」
「公園とかある?」
「途中まではあるよ、ちょとだけだけど、ちゃんとは脱がなかった、見られちゃうし」
「男ってどこでもやろうとすんじゃん? 勃起するとさ」
「はは、あれ、どうにかなんないかね」
「ちょっとしたことでさー、すぐ勃起するしさー、ねえねえ、やりたくなったんだけど、とかすぐ言うし、ホントうざい」
「この前、隣の席の田中くん、勃っててさ、朝とか授業で急に起立ってなった時に、机ににぶつけんだってさ、チョ→痛いらしいよ、すんごい痛がってんの、ウケるし」
「ウケんね、ヤバイね、ホントくだらないね、男って」
「お風呂入ったじゃん、フウカ、毛、薄くなくなかった? 薄くなかった? 下の毛、すんごい薄かったんだけど」
「下の毛? あたし? 気にしたことない、クミは?」
「チョ→生えてる、ヤバイよ、なんかさ、聞いて聞いて、長いと、痛いの、すんごい」
「痛い? 全然ワカラーン」
「マジ? ほとんどのコが痛いっつうよ、長いじゃん、でね、抜いて、線香、お香に火をつけて、焼くの」
「まんこの毛?」
「そう、焼くの、焼き切んの、それで短くしてんの、みんな、ほとんどのコ、そうだよ、エリコとかアサミもサチもユイもタカコもみんな言ってたし、薄くていいな、フウカは」
「ハサミで切ればいいじゃん、チョキチョキって」
「ハサミで切ると痒いの、パンツ穿いてるとチクチクすんの、授業中に手とかパンツに入れてたら純なチェリー男子が勃起しちゃうし、線香でやると丸くなるから、痛くないの」
「そんなことみんなやってんの? まんこの毛をお線香で切って、薄くしてんの?」
「長いと絡まって痛いんだよ、夏、海、行ったじゃん? あん時さ、微妙にはみ出るじゃん、水着? そういう時はちょっと剃るけどさ、生えてくる時チョ→痒い」
「痒いよね痒いよね、死んじゃうかと思う、ボリボリボリボリ掻いてんの!」
「そうそうそうそうチョ→痒いあれどうしたらいいの永久脱毛したいしない?」
「まんこの? でも生理とか守ってんでしょ?」
「なに守ってんの?」
「まんこ、悪いバイ菌とか汚れ、大切なんだよ、パイパンとかヤバイんだよ」
「ねえねえ、ぎゃらんどぅとかいるじゃん? あれ、どう?」
「カレシ超濃いよ」
「あはは! うちのカレシもチョ→濃いんだ、あれ、エッチん時、正常位とバック、どっちが好き? バックだとさ、あそこに空気入んない?」
「入る入る! てかバックでやると超入りすぎる、痛いの、お腹に、入りすぎて、だから正常位が一番いいかな、あたし体も硬いし」
「バックでやると痴ナラが出るっしょ? ない?」
「出る出る出る、あそこから空気が出る、でもあれっしょ、男がうまいからなるんでしょあれって」
「そうなの?」
「鳴んなかった日は男の頑張りが足りなくて、鳴った日は男が頑張ってたんだよ、鳴った方がいいんだよ、だって、援交のオヤジとか、全然鳴んないし、だから鳴ったらカレシは褒めないとダメだよ、男は褒めて伸ばすんだよ」
「そうなの、知らんかった、鳴ると恥ずかしいじゃん」
「女のまんこにちんこ入れてんじゃん? ちんこ動かしてんじゃんちんこ、腰振って、あれさ、キンタマ、ペシペシ当たる?」
「当たる当たるチョ→当たる! 心の中であたしも思ってた」
「当たらなかった人もいるような気がするんだけど、なんか、当たんじゃん、あれ、動いてる時さ、ペシペシ当たってんじゃんみたいな、やりながら、当たってる当たってるって、思ってたよね?」
「気になるよねやりながらね、フウカのカレシ、すぐ抜ける?」
「抜けないんじゃん?」
「じゃうまいんだよ、抜けないのはうまいんだよ」
「なんか、でも、抜けない時もあるけど、抜ける時もあるみたいな感じ? 抜けて、そのまんま、お尻の穴には入っちゃったことあるし」
「うわ、怖すぎんだけど、最悪じゃん」
「すごい勢いでやってたんだよ、マジ痛いよ、あり得ない、あ、破れた、って感じだったし、なんか、お尻に入れるのが、一番病気になるらしいね、うんこ出んじゃん? バイ菌、死ぬこともあるらしいし、簡単にやってるけど、ホモとか相当ヤバイんじゃない?」
「うええ、こえー、あたし、カレシとは最近ご無沙汰だよ、ぶっちゃけうまくいってるか分からないし」
「所詮男はワガママなんだって、夜遊びとかするじゃん男? でも女がやるとすぐ怒んじゃん? 早く帰りさないみたいな、自分は散々遊んでおいて」
「別れちゃおうかな、そんな感じ、ペシペシ当たるしさ、小物だよ、男ってマジあり得ない」
「別れちゃえ別れちゃえ、うちは平和だよ」
「大人なんだっけ? 何歳? 二十七? フウカもあんま自分のこと話さないよね」
「そう? バイト先で知り合ったって言ったことなかったっけ?」
「最高何歳付き合った? 三十過ぎとか付き合った?」
「それはもうオヤジじゃん、やるのにお金が発生する域だよ」
「タダでやる条件は若さだって? だけどフウカとしゃべってると寝れないなー修学旅行みたいだよ」
「写メ撮ろうよ、ヌード、女同士じゃん、そんでさ、彼氏に送ろうよ」
「フウカおっぱい柔らかいね、肌がもちもちだね」
「あんたもね、ツルツルじゃん、気持ちいいよ」
「チョ→揉まれてるんだけど、濡れるからもうやめろ!」
「あはははは」
「シャツさ、脱ぐ時、乳首が立ってると擦れて痛くない? 寒い時チョ→乳首立たない?」
「立つ立つ! 寒い時超立つよね、やってる時も立たない? 感じてないのに、ビンビンに立つの、男に立ってるねえって言われて、感じてるの? みたいな、別に感じてねえよって、男、すげえ嬉しそうだし、なんで立つんだろうね、普通の時も普通に立ってるし」
「てゆかハシャギすぎだよ、お兄ちゃんとかに絶対聞かれてるよ、寝ようよもう」
「そだね、クミのアニキはエッチだしね、寝よ寝よ」

そう、私なんて一度も話に出てこない。
帰宅した私はすぐにワンピースとボレロに着替えて台所にあったラップに包まれたミートボールを一つつまんでパンプスの履き心地があんまり良くないなと思いながら玄関を出て二階の窓を見上げた。妹のミオの部屋は真っ暗だった。まだ起きてないのか寝たばかりなのか、空には糸くずみたいな雲が広がっている。

 池袋サンシャイン前の人集りから姿を現したのは、ネイビーのストライプスーツを着た三十を少し過ぎたくらいの髪を撫でつけた男だった。写メよりもずっと若くて誠実そうだったから私は素直に驚きを表した。
「まいったな、どんなオタク野郎が来ると思ってたんだ?」
「ごめんなさい、だって、写メに写ってたシャツがあまりにダサかったから」
「ははは、正直だねナオちゃんは、うん、確かに、ファッションにはとんと疎くて、普段着は最悪だよ」
「でも、スーツはすごくいいですね」
「ベルモーレっていうところのスーツなんだけど、これは叔母がプレゼントしてくれたんだ、一万円の安いスーツじゃなくて少しはマシなモノを着ろってさ」
 整った髭に軽く触れながらベルモーレ男はそう言ってとりあえずお茶でもしようと歩き出した。背中を眺めながらこんな普通そうな人が女子高生にどんなプレイを要求してくるんだろうと私は思っていろいろ想像した、この前の男みたいにラブホテルのエレベーターから上半身を裸にされたりするのだろうか、とか。
 私たちは目の周りがくすむくらい照明の暗いカフェに入った。店内は制服の女子高生とリッチカジュアルな女子大生風の女たちが目立っていた。私を見ればすぐに援助だと分かるかもしれない、ガチャピンみたいな顔のウエイトレスのお姉さんが音を立ててコーヒーを二つ並べたけどベルモーレ男は特に気にすることなく煙草の煙を吐き出した。
「いくつだっけ? 十八? 高三?」
「見えない?」
「三十五にもなると若い娘はみんな同じに見える、オヤジだな、もう」
「そんなことないですよ、まだまだ全然若いですよ」
 紺ハイソックスの女子高生と目が合った。多分私よりも若い、妹のミオと同じくらいだから一年生だろう。紺ハイソックスはすぐに目を逸らして連れのショートボブの女の子と無邪気に笑い始めた。ミオは、ああいう笑いを欲しいとは思わなかったのかな。
「よくやるの?」
「え?」
「出会い系」
 そう聞いたのは私だった。必ず聞くようにしている。別に、だからどうするというわけではないけど、なんとなく、慣れてる人の方がマナーはいい。初めてって人が過去に何人かいたけど、そういう人たちは風俗と勘違いして目の前でおしっこしろとかうんこしろとか全身を嘗め回せとかお尻の穴にいきなりバイブを入れようとする。断わると怒るし、髪を掴まれて投げ飛ばされたこともあった。テーブルの角に臑をぶつけて擦りむけて、今でも傷が小さいけど残っている。
「たまにね、俺は営業をやっているんだけど、特に重要でない時は、こうやって時間を潰すためにやってるよ、って、今日はもう夕方だけどね」
「まさかお昼にもやってきたの?」
「ははは、そんなに若くないよ、全然、ずっと取引先を回ってた」
「じゃあもう行く? 遅いし」
「そうだな」
 北口の近くにあるギリシャ神話に出てきそうな造りのラブホテルに私は案内された。ベルモーレ男はここを何回か利用したことがあるみたいだ。私はこの人なら普通のカップルに見えるかもしれないからいつものハゲたオヤジとか鼻のでかいアキバ系との不自然な関係を勘ぐられることもないだろうなと思っていたのに、誰ともすれ違わなかったし、フロントがないホテルだった。部屋ごとに値段が決まっていて、お金を入れると鍵が出てくるようになっていた。私は四階の紫の壁紙の部屋を選んだ。好きな色は紫じゃなくて緑だけど緑の部屋だけが使用中だった。けどその人たちに親近感なんて抱かない。
 とりあえずエレベーターでは上半身を裸にされることはなかった。だけどベルモーレ男は部屋の入口で跪いて私の足の指を丁寧に一本一本舐めている。靴下をいきなり脱がされて、私は何も言えなかったし抵抗するとか思いもつかなかった。
「ナオちゃん可愛いよ、一目見た時からすごく可愛いと思ってた、すごく、舐めたかった」
 ベルモーレ男が右の足を踵まで全部舐め終えて左の薬指を舐め始めたところで何故か私はミオが登校拒否していることに無性に腹が立ってきた。十六歳にしか体験できないことは起きてご飯を食べてネットをして漫画を呼んでオナニーをしてご飯を食べてお風呂に入って寝ることなんかじゃない、何度も何度もそう言ってるのにミオは何も分からない、起きてご飯を食べてネットをして漫画を呼んでオナニーをしてご飯を食べてお風呂に入って寝ることのどこが十六歳にしか出来ないことなんだ、私はバランスを崩してベルモーレ男の唇を捲り上げてしまった。
「ごめんなさい」
「……最近は、若いだけで、可愛い娘にはまったく当たらなかった、だからいいよ」
 可愛くないっていうのはフウカみたいな浮腫んだまんこ顔のことを言うんだろうか胸がでかいだけの性欲処理用家畜のことをと私は思ったがすっと立ち上がったベルモーレ男の表情が怖いぐらいにまったく無かったからそんな思いは吹っ飛んで背筋のピアノ線が弾かれたような感じでいっぱいになった。
「シャワー、浴びたいんですけど」
「その必要はない、俺が全身を舐めて綺麗にしてあげるから」
 幼稚園児が粘土で作った富士山のスノードームみたいな目でベルモーレ男は言った。
「いや、ホントに、今日、学校で体育とかあったし、普通に砂とかついてると思うし、汚いです」
「気にしなくていいよ、汚れてる方が綺麗にする甲斐があるから」
 私はベルモーレ男の成すがままにボレロを脱がされてワンピースを脱がされてブラジャーを脱がされてパンツを脱がされてベッドに横にされて全身を舐められた。指の間も爪の間も耳の穴も瞼もワキの下もおヘソも舐められたけど乳首とあそことお尻の穴だけは舐めなかった。ベルモーレ男はしばらく陰毛に右手で遊ぶように優しく触れていて、急に、シャワーを浴びて来いと怒鳴った。
 私はそれに従ってシャワーを浴びながら入ってきたベルモーレ男が背後から乳首をいじくったり勃起したちんこをお尻に宛がったりすると思っていたのにそうではなくて、代わりに部屋に戻るとベルモーレ男はコスプレ用の白と青と黄色がやけにテカテカしてるセーラー服を無理やり着て仁王立ちで待っていた。テカテカ青のミニスカートから覗く太ももの毛が命を宿した乾燥ひじきみたいで気持ちが悪かった。
「ナオちゃんも同じモノを着るんだ」
「……コスプレが好きなの?」
「違う、ナオちゃんと俺は同じなんだ、同一なんだよ、分かる? 一心同体なの、分かる? 俺がセーラー服を着ればナオちゃんも着るし、俺が脱げばナオちゃんも脱ぐ、俺がおまんこを舐めればナオちゃんもちんぽこを舐める、俺が汗を掻けばナオちゃんも汗を掻くし、俺がオルガスムを迎えればナオちゃんもオルガスムを迎えるんだ、分かる? 同じなんだよ、俺と同じ掲示板に登録してたし、さっきも同じカフェに入った、同じように歩いて、同じようにここにも入った、同じなんだよ、俺はナオちゃんでナオちゃんは俺なの、分かる?」
 唾液の泡を唇の端に溜めて意味不明なことを言いながら拳を振る姿よりもタケオキクチのビジネスバッグからは本当にベルモーレ男が着ているものとまったく同じセーラー服が出てきてあのバッグには商談用の書類じゃなくてセーラー服が二着も入っていたんだっていうことの方が私は驚いた。どんな顔して取引先を回っていたんだろう? さっき会った時みたいに爽やかな表情でセーラー服を避けながら書類を出して、セーラー服を気にすることなく商談をまとめて、セーラー服の入ったバッグを抱えたまま頭を下げたのだろうか。
 私はベルモーレ男に自分で着るって言ったのにセーラー服を着せられて、抱きつかれてベッドに倒れこんで、顔中にキスされた。キスというより舐め回すに近かった。鼻の下を舐められて、空きっ腹に白米を流し込んだ時の口臭みたいな臭さが襲ってきたから私はイヤって叫んでベルモーレ男を突き飛ばした。
「いいよ、ナオちゃんも舐めても」
「いいです、結構です」
「じゃあ脱げよ! ブラジャーだけ取れよ!」
 私がセーラーを脱ごうとすると、違う! ブラジャーだよ! ブラジャーだけ! パンツも! パンツとブラジャーだけ脱いで! と私の両腕を思い切り掴んでベルモーレ男は絶叫に近い声を上げた。私は怖いと思うよりもおかしさが強くて、でもそのおかしさは声を出して笑うとか顔が優しく歪むとかのおかしさじゃなくて、どうでもいいや、なんでもないやって思えるおかしさだった。
ベルモーレ男はきれいだとかわいいとかおいしいとかきもちいいとかしまってるとかいきそうとかやわらかいとかあまいとかいいとかさいこうとかいくとかきもちよすぎるとかほしいとかもっととかずっととかこれからもとかいくいくいくとかたまらないとか言ったけど、そういうことはどうでもよくて、ただ、妹のミオだけがどんどん許せなくなった。ミオは処女だ。私は中二の時にジャンケンで負けてニキビが潰れたばかりのイモみたいな顔の同級生と初めてセックスした。ミオは中学はほとんど行っていない。一年生の時の成績も、小学生の時の成績も、私よりもずっとずっと良かった。顔も綺麗で可愛かった。今は太って煮タマゴみたいな顔をしている。県下で一番バカでも奇跡的に受かった公立高校には一週間しか行かなくて、中学も高校もいじめられて登校拒否になったわけじゃない、ただ、登校拒否をするまで、ミオが普段、何をして何を話してどう過ごしていたのか、まったく記憶になかった。家に引きこもるまでミオの存在感はまったくなかった。小さい頃のアルバムにも私しか写っていなかった。引きこもることで初めてミオが自己主張した、なんてお母さんは悲しそうで嬉しそうにぽつりと漏らしたけど、そんなのは私は認めない。初めて存在を感じることができたけど、そんなのは認めない。あれは死んでるのと同じなんだから、私もお母さんもお化けを感じているようなもんなんだから。
「……ナオちゃん、ナオちゃん、すごいね、放心しちゃって、そんなに気持ちよかった? 一緒にいけたみたいだし、すごい、よかったよ」
「お金」
「え?」
「お金、ちゃんと払ってよ」

 池袋駅で見るベルモーレ男は、やっぱり爽やかで誠実そうな営業マンだった。
「また会おう、楽しかったよ、ありがとう」
「うん、また」
 そう手を振って山手線に乗り込んで、私はすぐに着信拒否の設定をした。
途中、渋谷に寄って、男からもらった三万円でミオに赤のモヘヤセーターとグレーのベロアジャケットを買った。有名なケーキ屋さんにも寄って、アールグレイの香りがいいですよとキツネ目のお姉さんに勧められたチョコレートケーキを買った。
生きてる意味はない生きてる意味はない生きてる意味はない生きてる意味はない生きてる意味はない生きてる意味はない生きてる意味はない生きてる意味はないってずっと自分が呟いてる夢を私みたいにミオには見てほしくなかった。

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