「毛皮の下はオオカミ」説の終わり方(続編)〜時代遅れのリーダー論に長いお別れを
前回は、アルファ神話がどのように生まれ、どこに問題点があるのかを明らかにしました。
今回は筆者の体験を踏まえ、まずは持論を述べていきます。
イヌの「しつけ」本の中には、「イヌは人間の家族にランキングをつけて、階層での自分の地位をあげるために、やっきになっている。イヌが四六時中、飼い主を見ているのはそのためだ」という意見もあります。
これもまったく非科学的なこじつけといわざるを得ません。
この主張の前提になっているのは、イヌと人間が同じ群れに属しているとイヌは思っているという考え方です。
『ここまでわかった犬たちの内なる世界〜04イヌは仮説を組み立てる?』でもお 話ししたように、イヌは「 人間」と「イヌ」を 区別して認識しています。 「人間の家族=自分の群れ」とイヌが考えていると仮定していること自体が、荒唐無稽な話なのです。
おそらく物事にランキングをつけることが好きな人たちが勝手に言い出したことなのでしょう。なんでもランキングしようとする人間社会の好ましくない風潮をイヌに被せたのです。
“半放し飼い”の群れを観察してわかったこと
ここでナビゲーション記事「ようこそ! 犬たちの内なる世界へ」を飛ばしてこのコラムを読み始めた読者のために、改めて筆者の沿革を述べさせていただきますね。
筆者は、東京ドームを優に上回る6万平方メートルに及ぶ八ヶ岳山麓の牧草地をフィールドに「半放し飼い」のイヌの群れに密着しました。127匹のイヌとともに暮らし、少なくとも4000時間にわたって、かれらの行動を観察し続けました(見出し画像は、この牧草地で撮影したものです)。
そのほとんどは、ゴールデンレトリバーですが、 一般的な ゴールデンレトリバーとはかなり様相が異なり、アグレッシブな個体も相当数いました。
おそらく環境が大きく影響していたのだと思います。近くにキツネやシカなどの野生動物が多数生息していて、 周囲4キロ四方に民家が一軒もないのです。
あるゴールデンは、シカの頭をくわえて戻ってきたことがありました(おそらく猟師に撃たれて、むくろになったシカの頭だと思います)。
あ、 念のため言っておきますが、 ここでいう「アグレッシブ」は、攻撃的という意味ではありません。 攻勢的、 積極的、 場合によっては冒険的といったニュアンスを込めて使っています。
他に、少数のラブラドールレトリバー、アイリッシュセター、 スパニエル、シーズー、ビーグル、プロットハウンドの雑種などです。
ここから述べることは、限られたフィールドでの限られた犬社会の観察がベースになっています。ですから筆者の主張にも、当然限界があります。別のフィールドで別の個体群を観察すれば、また違った結論を導くことになるかもしれません。そのことをお断りしておきます。
牧草地での観察を通してわかったことのひとつは、イヌの社会構造は従来いわれてきたような「ピラミッド型」でも「はしご段型」でもないということでした。
たとえば、前足を相手の肩にかけたり、背に乗りかかったりする支配的行動は、主に4歳以下の若い雄イヌの間に頻繁に見られ、まれに雌同士の間でも起こりました。ただし、「支配的な」行動をとるイヌはいつも決まったメンバーでした。
一方、アイサツ行動の際の相手の口を舐めるしぐさは、相手の優位性を認めるシグナルだと動物行動学でも定義されていますが、この「口舐め」はほぼ全てのケースで、若いイヌが年長のイヌに対して行なっていました。また、全体として若いイヌは年長のイヌを見習う傾向が見られ、年功序列型社会のような特徴が垣間見られました。
では、群れの中に支配するイヌと支配されるイヌの関係はないのかといえば、そうではありません。
支配関係(あるいは主従関係)は確かに存在するのですが、群れの中での支配関係は、基本的に2頭の間の1対1の関係において見られるものだという結論を得たのです(ここでは、これを「1対1理論」と名付けます)。
例えば、群れの中に7頭のイヌがいるとします。そのときその7頭のイヌに、第1位から第7位までの縦一列の明確なランキングがあるわけではないということです。
わかりやすく言いましょう。
いまその7頭の中に、A 、B、Cの3頭がいるとします。
仮に、A>B および B>Cの主従関係だとしましょう。
だからといって、必ずしもA>Cとは限らず、場合によってはC>A
という関係もあり得るということです。
「1対1理論」にたどり着くまで
実のところ、牧草地をフィールドに観察を始めた当初、筆者はまったくの素人同然でした。だからこそ、ひたすら観察に徹したのですが、 自分が「見たこと」を分析する際、行動学的バックボーンが不足しており、 すぐには「1対1理論」に到達できませんでした。
牧草地での行動観察をまとめた著書『犬は「しつけ」で育てるな!』(築地書館)の中では、 群れの序列について次のように書きました。
今から読み返してみると、間違っているわけではありませんが、分析して言葉にするという点で、いまひとつです
(本の執筆前には勉強はしました。入手できるイヌの行動に関わる書籍<和書>はほとんど全て読みました。まあこれは当然と言えば当然のことですが。専門書を書くわけですから。 1つの分野で100冊読めばその道のエキスパートになれます。 おそらく誰でも。 ほとんど全ての分野で。)
『犬は「しつけ」で育てるな!』を世に送り出した後のことです。
ある出版社の計らいでドイツを取材する機会を得ました。
その折に、 フェダーセン・ペターセンFeddersen-Petersenというイヌ科動物の研究者として多くの実績のあり、ドイツではイヌの専門家として名高い動物行動学者(キール大学生物学部動物学科教授)に、 通訳者を介してコンタクトをとりました。
参考画像
ペターセンさんの知見の中で最も興味を引いたのが、「 群れの中の支配関係は、 2頭の間の1対1で存在する」 という意見でした。
「これこそ 自分が見ていたことだ」 一艘の助け舟を出されたような感覚になりました。 「1対1理論」にたどりつけたのは、ペターセンさんに負うところが大きいということを、この機会に報告しておきます。
ただ、こうして筆者が話題にしている「群れ」理論は、 一般の飼い主にとってほとんど意味のないことかもしれません。なぜなら、(本当の意味での)「群れ」という 社会構造が、お互いに無関係の家庭犬同士の間には存在しないからです。
とはいうものの、「犬」 にストレートに関心を持つ方なら、 こうした話題にも興味を持っていただけるのではないかと思い、紙幅を割きました。
アメリカ獣医行動学会の動向
ここまでお話ししたように、“ リーダー論”は破綻しているのです(リーダー論の矛盾点については、前回のnoteでお話ししました)。
「イヌは、人間の家庭に来てからも、誰がリーダーなのか、自分は群れの中で何番目の位置なのかをさかんに探りはじめる」とか「自分がその家庭のリーダーになって、人間を支配しようとをねらうようになる」などと言い張るのは、明らかにヘンな話なのです。
2008年になって、アメリカ獣医動物行動学会(AVSAB)の注目すべき動きがありました。
「動物行動学の進歩により、オオカミの社会的階層についての私たちの理解が変化したにもかかわらず、多くのトレーナーは、支配性理論の時代遅れの認識に基づいたトレーニング方法に固執している」
との認識を示した上で、
「問題行動を起こすイヌは支配性が強いとする考え方は間違っており、支配性理論(※)はイヌの問題行動を矯正する際の指針として用いられるべきではない」
という意見を公式に表明したのです。「イヌとヒトの間に対立関係をつくるような方法は時代遅れだ」というのです。
※支配性理論(Dominance theory)とは、リーダー論とほぼ同義。オオカミの順位性理論から導き出されたイヌを極端に支配性の強い動物だと見なす考え方。
流れは変わる(流れを変える)
ところが現状はどうでしょうか。残念なことですが、日本でもアメリカでもいまだリーダー論は健在で、主要なドッグトレーナー養成校では強制訓練系トレーニングが幅を利かせていると聞きます。カリスマ訓練士といわれ大手メディア等にもよく登場する有名トレーナーは、がちがちのリーダー論者です(特に米国でのこのあたりの事情は、前回リンクを貼った『「アルファドッグ」理論を暴露 (前編)』に 詳しい)。
一方、ドッグトレーナーの中からも、リーダー論を疑問視したり異論を唱える声が続々と上がっています。この15年間のスパンで見れば、 マニュアル本のトーンも徐々に変わってきており、「ほめて育てる」 方式が目立つようになってきました。 もはやこの流れは止まらないでしょう。
科学的な根拠の全くないリーダー論には、長いお別れをするタイミングが来ているのです。
※前回の記事も含め、 文中に間違いがありましたら、 忌憚なくご指摘ください。
✳️リーダー論に基づか「ない」ドッグトレーニングに関心のある方は、一読されるといいでしょう。「科学的な裏付けのある」 とされるトレーニングの3つの傾向が紹介されています。
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💜『ここまでわかった犬たちの内なる世界』は8月中はお休みします。
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