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リスキリングを話題にすることによって見失われる本質

どうも、ゑんどうです。

最近、ちょっとリスキリングだ何だって言われるようになってきたわけですが、ちょっと待って欲しいのです。

リスキリングが必要な人って誰なんですか。

そんな疑問を感じたことから、ツラツラと書いていくことにします。

賃上げ道具としてのリスキリング

2022年10月、岸田首相は労働者の学び直し支援をすることを所信表明演説内で5年間1兆円の投資策を行うことを明らかにしています。

リスキリング、すなわち、成長分野に移動するための学び直しへの支援策の整備や、年功制の職能給から、日本に合った職務給への移行など、企業間、産業間での労働移動円滑化に向けた指針を、来年六月までに取りまとめます。 特に、個人のリスキリングに対する公的支援については、人への投資策を、「五年間で一兆円」のパッケージに拡充します。 あわせて、同一労働同一賃金について、その遵守を一層徹底してまいります。

出典)【首相官邸】第二百十回国会における岸田内閣総理大臣所信表明演説

岸田首相がリスキリングについて触れているのが『構造的な賃上げ』について語っている箇所である点は注意が必要です。

構造的に日本の労働者が得る賃金や所得を引き上げるための施策としてキャッチーな言葉であるリスキリングを使っているだけで、本質的に個人の学び直しについて支援するといった文脈で使われているものではありません。

リスキリングを企業側が謳う必然性から紐解いて考えると、根本的には企業が事業戦略を定めるに際し、自社内にスキルを保有していなかったり、保有していたとしても少数しかいないとわかったとして、母数を形成していくためにリスキリングについて考えることが必要です。

つまり、自社が成長するための事業戦略や自社の目指す未来から逆算して、明確に従業員が保有しておくべきスキルを明確にしてからリスキリングと称して従業員の学びに投資をすることが本質なはずでしょう。

ところが旧来の年功序列や終身雇用を前提とした雇用慣習を残した状態でリスキリングを支援したところで、何になるのかは立ち止まって考えるべきことではないでしょうか。

早速、2022年の12月から厚生労働省が従来から行なってきた『人材開発支援助成金』の枠内にリスキリング枠を設けて募集しており、社内でリスキリングを行った際の費用を中小企業で75%、大企業で60%まで助成されます。

これが悪いわけではありませんが、これを利用するために無理矢理にでも該当しそうなスキルを身につけさせよう、だなんて瑣末な思考をするような事業者が出てこないとは限りませんし、そういったところに公金が投入されることには大いに疑問です。

学ばない社会人が多数派の日本

なぜ、ここ1、2年の間にリスキリングが話題になっているのかという疑問に対する一つの回答として、日本の社会人があまりにも学ぶ機会を欲していないからだという点が挙げられます。

以下は文部科学省がOECD対比で日本の現状を示したものを公表している調査結果ですが、せんもんてきに探究心を持った研究者など以外に、学び直しを図ろうとする人の母数自体が日本は先進国の中で最低ランク。

【文部科学省】高等教育の将来構想に関する参考資料「高等教育における25(30)歳以上入学者割合の国際比較」

ここに日本の生産性や賃金の強烈な横ばい力発揮などが相まり、日本人には学び直しが必要だって風潮がここ数年で一気に湧き上がっている状況だと言えます。

しかしですよ。

一点、考える必要があるのは「リスキリングの主体者は誰なのか」です。

リスキリングとは、労働者が新しいスキルを身につけ、変化する労働市場や業界で適応できるようになるプロセスのことです。つまり、リスキリングの主体者は労働者個人であり、企業や政府がどうこうしたとしても関係のないものだと言えてしまいます。

個人が"学びの必要性"を感じ、実際に行動を起こさない限りは企業や政府がいくらお金を注ぎ込んだとしても何ら変化を生み出すことはないでしょう。

なぜなら、本質的に日本人の大人が学び直しをしないのは雇用が守られ、キャリアが硬直化したとてクビを切られることもなく、窓際に追いやられるだけでしがみついていようと思えばいつまでもしがみついていられる労働法上の問題だからです。

いわゆる雇用の流動性が乏しいからこそ、新たな知識やスキルを身につけ、労働市場において自身の市場価値を高めることによって年収を引き上げようとすら思えないのですから、現状のリスキリングに関する議論が空虚で本質的ではないものになってしまっているのは仕方のないことだと言えます。

リスキリングではなくキャリア形成の視点

いくら声高にリスキリングだなんだといったところで、個人がそこに実利を見出せなければ取り組むわけがありません。

学びの主体者は個人である以上、個人がメリットを踏まえて行動を起こすような状況にならない限り、本質的なリスキリングによる効果が見えるはずがないのです。

そもそも「学び直し」とは何のために行うべきものなのでしょうか。

ただただ、興味本位で資格勉強をしたところで、それが人事制度上、認められる資格でもない限りは本人の収入に反映されませんし、その資格勉強が企業の業績を引き上げるためのドライバーとして機能することもありません。

企業が個人のリスキリングに足踏みをするのは当然で、個人がスキルアップをしてしまったら転職の可能性が拭い切れないませんから、せっかく投資をしてスキルアップしたのに他の企業や業界へ出て行かれたのではたまったものではない!と憤慨するのでしょう。

本質的なリスキリングの議論をするためには、企業が事業成長をさせるために戦略をたて、そこから逆算して人材要件を明らかにし、そこの要件を満たす従業員数を割り出して初めて、その事業者に適したリスキリングの内容が明らかになるはず

ただ流行り廃りでDXだ!ペーパーレスだ!と目の前にある課題だけを解決するようなスキルや知識を従業員に身につけてもらったところで、事業戦略が成功しているのかどうかと別軸で議論されてしまっているのだとしたら、それほど無駄なことはありません。

企業は企業として、5年後や10年後などの未来は想像したとて、そこに至れるかどうかはわかりませんが、自社の事業成長をさせるための市場開拓や新規事業などを立ち上げるなどの動きを見据えることで自社に不足している分野・人材が明確にできます。

そこで新たなポジションや人員が必要であることが明確になるからこそ、企業は人事制度に役職や手当などを反映させることが可能になりますから、労働者がキャリア形成の見通しを立てることができるようになります。

また、労働者個人としても、ただ闇雲に流行り廃りでプログラミングができた方が…とか簿記3級を取得した方が…と流されるのではなく、自身の市場価値を高めるためにはどんな業界で何の仕事をした方がいいのかといったキャリア形成の視点を持つことが重要です。

逆を返せば、それをせずにリスキリングをすることは時間の無駄で、そんな無駄な時間を過ごすぐらいなら、今の仕事で成果を出すために試行錯誤した方が余程、有益な時間とすることができるでしょう。

企業であろうと個人であろうと、それぞれの成長や期待値を実現するためにリスキリングの議論が必要なわけで、それらを持たずに目先のお金欲しさや自己肯定感を高めるためだけに取り組むものとしては大きく筋違いであることを認めるべきではないでしょうか。

おわりに

今のリスキリング議論が明らかに無駄なことを生み出す土壌になっているってことを書いてきましたが、別にすべてを無駄だというつもりはありません。

ボクとしてはいろいろなサービスが生まれてくることによって知れることが増えるし、その度に楽しい思いをすることもできるので、ボク個人としてはこれからも楽しい時間を味わうために無駄なことを増やして欲しいとは思うのですよ。

でも、それだと子どもたちの世代が日本にはいられないぐらいに没落していきそうでイヤなんです。まぁ、いざとなったら個人で生きやすい土地へ逃げていって貰えばいいのですが…

そんなわけで、リスキリングの議論が大いに無駄な方向へ行くことが誰にも止められないんだろうなぁってnoteでした。

ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo


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