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PTAの学年委員長として不登校な息子が所属する学年事業を終えて抱いた雑感

どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

我が家の長男くんは2023年時点で不登校です。

学校側は、玄関まで足を運ぶことができたら登校だとか、少し小賢しいと思える制度を設けているものの、そういった小手先の制度運用では心理面を含めた複雑な不登校といった問題の解決には至らないことは承知のはずで、その点についてはモヤモヤした感情を抱いています。

情緒クラスと呼ばれる特別支援級への転籍を果たし、本格的に登校場所を選択できるようになって以降は、給食を食べて帰宅できる日ができ、調子が良ければ2日連続で給食を食べて昼休み終了後に帰宅といったことも可能になってきました。

学習面においても、当人が苦手意識を持っていた集団での授業スタイルから個別指導のスタイルへ変化したこともあり、「わかるようになる体験」が増えてきて自信を身につけ始めている様子も伺えます。

そうは言いながらも、日常的に学校へ通うことができていないため、本質的に不登校状態が解消されているわけではありません。本格的に不登校となった2年前からみるとできるようになったことや挑戦するようになったことは増えました。明らかに増えたのです。

それでも事実として記録上は投稿ができない日数の多い不登校といったステータスを抱える児童です。それが悲しいとか悔しいのではなく、あくまでも事実として、そうなんだってことでしかありません。

春先、PTAの役員を決めるためのくじを引き、学年委員長といった役割を担うこととなりました。息子が不登校でありながら、学年事業を進捗しなければならないこと。当日、息子はそれに参加できないであろうことも前提とした上で運営しなければならないことは決して面白みのあるものではありませんでした。

今回は、そんな徒労感とも喪失感とも取れるPTA役員の役割に向けた感情を書いていくこととします。

不登校な長男が不登校となった要因

我が家の長男くんが不登校となったのは小学2年生の頃。

学校に行こうとすると腹痛が起こり、状態が悪ければ起床することも困難で、家族での朝食を食べることも叶わない日も連続で何日か続いてしまうほど。

要因やきっかけを探そうにも、断片的な学校内での様子を本人や担任から聞いたとしても特定することができないまま、時間ばかりが経過していくような体感は忘れることができません。

学校に行けないことは仕方がないことだとは思うものの、だからといって彼がクラスメイトたちとワイワイガヤガヤと他愛のない話をする時間を味わうことができないのだと思うと、寂しさを抱くことしかできませんでした。

1年が経過したころから、心療内科に通院したこともあれば、小児科で心理領域に精通している医師に相談したり、各種の検査を通じて徐々に彼が学校に行けなくなった要因がそれとなくわかりはじめます。

彼は集団で授業を受けることが苦手だったのです。

少しASD(自閉スペクトラム症)的な特性を持っていることから、授業の板書を丁寧に、少し汚く書いてしまったら消しゴムで消しては何度も書き直そうとするため、顔を上げた瞬間にはまったく別の授業展開になっていたりすることが1度や2度では済みません。

結果論ではありますが、そういった負の体験が何度も何度も繰り返されるうちに、自分は授業についていくことができないのだ、と失敗することが前提の学校生活が苦しくなっていき、不登校状態に陥ったのだと理解しました。

冒頭でも記載している通り、現在は交流級から特別支援級へ転籍し、それとなく学校生活っぽいことを体験できるようになってきており、徐々に自信のようなものを得ている最中と言ったところです。

こういった不登校に関する実体験をもとにした考察集はいかにまとめていますので、興味がある方はお読みください。

PTAの学年委員長として前例踏襲への向き合い方

息子が不登校であるのにも関わらず、学年委員長としてPTAの予算で学年事業を進捗しなければならない状況となったわけですが、正直、やりたくありませんでした。

役割が面倒だからではありません。息子が参加できない学年事業を推進する立場になることに対する嫌悪感のような感情が湧いてきたためです。

いくら懸命に企画を練ろうと、当日の運営をがんばろうと、そこに息子はいません。それは役割を得た時点から鮮明に想定できることであったし、想定できるからこそ、この役割を担わされることに対する怒りのような感情を抱くこともありました。

「息子が不登校なんで辞退させてください」

そういって辞退を申し出ることだってできたかもしれません。もちろん、そんな理由で辞退が許されるようなものでもないのでしょうが、そういった親の徒労感や疲弊感を助長させるような仕組みとなっていることは前向きな状態だとは言えないでしょう。

そう言った後ろ向きな感情を抱えつつ、役割は役割として前向きに取り組まなければなりません。大人ですから。自身の感情と役割を演じることに対する感情を切り離せることが大人が持ちうるべき生活をする上で必要な術のはず。

それまでに「例年」行われてきた「前例踏襲型」の企画が前年の担当者から引き継がれたものの、別にそれをしたいと思えなかったし、せっかく担当することになったのであれば、別の企画も併せて検討しなければ役割をもらい活動することの意義がわかりません。

蓋を開けてみれば、他の学年PTAメンバーとの意見交換によって前年までに行ってきた事業を行うこととなったのですが、前例踏襲型を突き動かそうとし、実際にいくつかの企画案を出し、提起したのだからヨシとしたいところです。

ただ、それをやったところで息子が事業に参加する景色を想像することもできませんでしたし、実際に参加できませんでした。その徒労感や疲弊感は拭い去ることなどできなかったのです。

得られた学びと"お願い"

仕事では「やりたくないけれどやらなければならないこと」とか「やりたいと思えること」が7:3とか8:2の割合であるじゃないですか。大半の仕事は誰にとってみてもやりたくないことだけれど、その中でもやりたいと思える仕事があるからがんばれるっていうか。

今回のPTA役員を取り組む中で交流級へ通うことができない子どもがいる親が役員を担うことへの心理的な負担等を考慮され、保護者の意思によって辞退できるようになった方がいいでしょう。

仕事であればやりたくないことでもやることによって身銭を稼ぐといった実利的な利点を享受することができますが、不登校な子どもが享受できない事業を推進したところで得られるものは決して多くありませんし、その活動過程自体が心理的な負担となり、随分と重くのしかかってきます。

そう言った徒労感や喪失感のような心苦しい感情を抱きながらも、他のメンバーと共に何がいいのかを協議できた点、決して前向きではないメンバーに提示しながら進捗していくことができた点においては少なからず成長した部分があると思いたいものです。

そもそもPTA活動に参加されている人たちは、不登校状態にある子どもがPTAの役員として活動することへ配慮してほしい感情はありますが、それ以上にそう言った親子もいることも把握・認識してほしいのです。

日常的に登校をすることができている中でPTA活動を「やりたくない」とか「参加したくない」と思うこと以上に、不登校状態にある子どもの親は「やる意義がない」とか「参加する意味がわからない」と、さらに後ろ向きな感情を抱いている可能性があります。

そこは少し想像力を働かせてもらいたいし、その配慮があるだけで随分と救われるため、そんなことを少し念頭においてもらえますでしょうか。

おわりに

半分以上はグチみたいな内容になってしまいましたが、こういった体験をしている人間は我が家以外にもあるはずで、その数は徐々に増えていることでしょう。

ただ、ほんの少しの想像力を働かせるだけで、心理的な負担が軽減できる人がいるってことをわかってもらえれば、それだけでもいいのです。どうか、そう言った境遇や心理状態に陥っている人もいるのだってことを理解してください。

それをやってもらえるのであれば、もう何もいうことはありません。

ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)


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