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GIGAスクール構想はEBE(Evidence-Based Education)したいのであって端末を配りたいだけじゃない

枕にかえて

 GIGAスクール構想が動き出してすでに2年が経過しようとしている。

 GIGAスクール構想とは文部科学省が『子どもたち一人ひとりに個別最適化され、創造性を育む教育ICT環境の実現に向けて〜令和時代のスタンダードとしての1人1台端末環境〜』と題されたメッセージと共に発せられた教育政策のことである。

 どうも、えんどう @ryosuke_endo です。上記したメッセージにある通り、文科省が目指しているのは子どもたち一人ひとりに個別最適化された教育を提供することなんだよ、なんてことを書いていく。

▶︎ エビデンスベース(根拠に基づいた)〇〇

エビデンスとは日本語に直訳すると「根拠」「証拠」「裏づけ」といった意味だ。

 つまり、Evidence-Based と記載されたものを目にした場合、客観的な研究データに基づく判断を指し「根拠に基づく」「根拠に基づいた」という言い回しで使用される。

 この起源は医療の現場である。

科学的な根拠に基づいた治療を行おうとする、そもそもの医療従事者側の姿勢であり、一部の位置が個人的に偏った経験を根拠にした臨床判断を行うのではなく、医学研究(疫学調査や研究)の成果を重視して臨床判断を行おうとするものをいう。

 つまり、数値的・客観的な事実が明らかになっている事柄を前提にして患者の治療にあたろうということだ。あまりにも当然すぎると思われるかもしれないが、その当然のことをやっているだけなのである。

 しかし、ネットを中心としたあらゆるワクチンに対する偏見や陰謀論などをみていると、そんな科学的根拠に基づいた治療や予防をしたいと思っていても、そうやって感情論で押し切ろうとする人たちがいるため、当然を行使できない場合も往々にしてあることもまた事実である。

▷ 政治におけるエビデンスベース

 この医学の世界では当然といえる取り組みも、最近では政治の世界にも応用されはじめている。「いまさらかよ」と思うかもしれないが、いまさらでもやらないよりはマシである。

 政治の世界でのエビデンスベースは「Evidence-Based Policy Maling(EBPM)」と呼ばれ、「根拠に基づいた政策立案」と訳されることになる。

 なぜ、ここで僕が「最近では」とつけたのかというと、2018年12月7日に閣議決定された「平成31年度予算編成の基本方針」では、「各省庁は全ての歳出分野において行政事業レビューを徹底的に実施するとともに、証拠に基づく政策立案「Evidence-Based Policy Making(EBPM)」を推進し、予算の質の向上と効果の検証に取り組む」とされていることからだ。

 もちろん、これまでの政治活動でも何かしらの根拠を基にした予算編成や要求があったと思われる。なかったのだとしたら、あまりにも恐ろしい。しかし、アベノマスク然り、Go to然りだが、結構人情とお金の関係で動いてしまう政策がある以上、その恐怖感もあながち間違っていないのではないかと実感するばかりである。

▷ 教育現場におけるエビデンスベース

 さて、本題となる教育現場におけるエビデンスベースである。

 教育だからEducationを使って「Evidence-Based Education(EBE)」と呼ばれる。もちろん、科学的根拠に基づいた教育政策と指す。また、医療の現場と同様で教育の現場でも教育者の経験に依拠した根拠のない教育が行われないようにしようという姿勢や態度の表れでもある。

 しかし、ここは根深いだろう。なぜなら、数値的・客観的な根拠を示したところで感情的な主張が通ってしまう教育現場が少なくないだろうからだ。

 少なくとも、GIGAスクール構想がはじまって2年が経とうというのに、オンライン授業すらまともにできていない、その仕組みすら構築できていない教育現場の現状を当事者の立場として眺めている限りは到底、到達できないのではないかと思わざるを得ない。

 いまだに教育現場では「教師たちの感情や経験を基にした教育」が中心なのであろう。

 ただ、教育現場が多忙なことは理解している。多忙な現場でエビデンスベースを実現するためには、現場と教育研究者が共同するべきであり、一枚岩となる組織的な取り組みが不可欠だ。

▷ 以下にデータを蓄積・分析・実行に移すのか

 一方、これらのエビデンスベースを考える上で非常に重要なのが、ウェブ産業は既にエビデンスベースですべてが動いており、その根拠を確認した瞬間には何かしらの判断を行うなど、意思決定が非常に早いという特徴があるということだ。

 例えば、中国やアメリカを支配している超有名企業は世界中にユーザーを抱えており、秒単位で数十億にもわたる行動データが各企業のデータベースに蓄積していき、実際に行動した際に発生するデータを飲み込んでいる。

 さらに、そこから導き出される属性や趣味嗜好による最適解を導き出すアルゴリズム(仕組みや構造)を計算し、それを実際に試験導入する。しかもその期間は非常に短期間で行えることも彼らの特徴だ。

 ここから導き出される解は、いかにして政策現場におけるデジタル化を果たし、データを蓄積していくのかであり、それが最重要課題であるということである。

 その点で言うと、目指すべき世界は端末を配布することで立ち止まることでもなければ、これまでの教科書をデジタル端末で確認するなどの瑣末なことではなく、子どもたちの学習データが蓄積することであり、そのデータから個別最適な学習過程を導き出すことである。

 しかし、ここで問題となるのがエビデンスベースをとる人たちの興味関心とやる気という、あまりにもどうしようもない問題だ。

 上で書いたような世界中を席巻するウェブ企業たち、いや、広く一般的な営利企業全般を指していうならば、何かしらのエビデンスが手に入るのであれば喉から手を出して欲するし、そこから実行に移すまでの時間も惜しまない。

逆に教育だろうが政治だろうが関係なく、民間企業と比較して食指を伸ばすほどの感情を引き立てるものだと認識されない。だからこそ、いまだに行政機関では紙で申請方式の手続きを踏まなければならないのだ。

 教育機関においても同様で、教育現場でデータを収集し、子どもたちの教育を個別最適化を図ろうとして仕舞えば、現場で働く教員たちの仕事が減ってしまうことに恐怖感があるのだろう。それのどこが問題なのかは民間企業の立場からすると全く理解できないものの、どうやら「人を扱う」と言う点に高尚な心情を抱く人たちは異なるのかもしれない。

僕みたいなメンドくさがりで怠け者は、省略できるものは省略したいし、自らが楽になるのであれば楽になっていきたいのだが、政策執行の現場にいる人たちはどうやらそうではないらしい。

 現実、文部科学省のGIGAスクール構想のページにはPDFが、これ見よがしに転がっている。

 それを見ていると「どうやら端末を配布することだけで満足するような世界観のまま、時間だけが過ぎていくのかもしれない。」と、明るい表情で絶望にふすことになりそうだ。

 ではでは。

 えんどう

▶︎ おまけ

▷ 紹介したいnote

結局、教育ってのは試行錯誤を繰り返していくのだが、それをどう数値化していくのかって話なんだと思うんだよね。経験則でやっている部分を計測してみたら合ってたかどうかを検証する姿勢をなくしてしまうことは教育を放棄することと同義ではないかとすら思うのだ。

我が家も不登校となった長男くんがいるが、教育学習は相応の覚悟が必要だ。在宅が勤務していたとしても、勤務をしている以上は相応の結果を求められる。対価が発生する以上は当然だろう。その中でどう子どもたちの教育を充実させるのか。自己満足かもしれないが、取り組み価値はある。

そう、経済指標は視認しやすいが、社会指標は視認しづらい。だが、重要度で言ったら社会指標の方が重要だ。自尊心も低ければ自己肯定感も低いのに、そんな個人が出す結論に向けての自己責任論だけ強いって社会が今の日本だ。世知辛いどころではない。

▷ 本noteに関連する紹介したい書籍

「因果関係」と「相関関係」について学ぶのに適した書籍だ。論文を読むようにすると、必然的に出てくる用語なのだが、それをかなりわかりやすく事例を踏まえながら説明してくれる。教育を語る前に自身の「リテラシー」を高めたいのであれば読むことをオススメする。

▷ 著者のTwitterアカウント

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