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短時間で消費するコンテンツと読書

 どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

 TikTokにはじまりYouTubeのshort動画もそうですが、世の中にはそれほど忙しいと思えない人たちのために短時間で消費できるコンテンツに溢れています。カロリーが50%オフのお菓子を「カロリーが低いから」って3個も食べてしまうような、情けない矛盾した行動をとる人を増殖させる仕組みになっているような気がしないでもありません。

 通信教育大手の株式会社ベネッセコーポレーションが子ども・保護者・教員を対象とした調査を通じて、子育てや教育の実態を研究するベネッセ教育総合研究所が2023年10月19日に公表した東京大学社会科学研究所と共同調査「子どもの生活と学びに関する親子調査」によると、約半数の子どもたちは読書時間が「0分」だそう。しかも、学年が上がると傾向がさらに強くなっていく様子。

【ベネッセ教育総合研究所】子どもの生活と学びに関する親子調査より
【ベネッセ教育総合研究所】子どもの生活と学びに関する親子調査より

 学年が上がっていけば、どうしたってスマートフォンをはじめとした各種端末を手にするでしょうから、必然的に短時間で消費するコンテンツに触れていくことになります。短時間でなくても、動画などの多くの情報を提供してくれるメディアに触れ、SNSなどを利用することで訴求力のある強くて魅力的な言葉に触れていくことでしょう。

【ベネッセ教育総合研究所】子どもの生活と学びに関する親子調査より
【ベネッセ教育総合研究所】子どもの生活と学びに関する親子調査より

 「だからスマホやSNSはけしからん」だなんて言いたいわけではありません。自分だって、そういったコンテンツに触れている立場であり、同じ穴のムジナな訳ですから、容易にそれを否定したところで暖簾に腕押しだってことはわかっています。

 今回、考えたいのは、読書離れが著しい中で、読書の価値ってなんだろうねってこと。自分自身、読書時間を大事にしたいと思っているからこそ、読書をすることの意義や価値について考えてみたいんです。

読書の魅力ってなんだっけ

 まず、読書を推すというか、読書をする人たちを増やしたいと思っている以上、読書の魅力みたいなものを書けなければいけませんよね。

 読書をする時間って、贅沢なんですよ。他の事柄を一切無視した上で、書籍にのみ自分の時間を投入するわけですからね。人生は有限である以上、時間を使うってことは命を削っていることと同義ですから、あれこれとやりたいことがある中で本にのみ時間を投入することは大浴場に自分だけが浸かれるような、なんとも言えない贅沢感があります。

 なぜ、そんな贅沢をする必要があるのかといえば、読書をするってことは、その書き連ねてある文字に向き合い、考えるためです。何かしらの物語を小説として読む場合、描かれている人物は読み手が想像しなければいけません。

 「目の前に立っていたのは、赤毛で少し目線を上に向けなければ目を合わせることも叶わぬほどに身長の高い女性、名をベラという。」

 たった今、即興で書いた上の文章を読むだけでも想像しなければならないことが複数あります。目の前に立っていた、とありますが、そもそもこれは誰の目線で、この人物は何をしていたのか。赤毛、とあるが赤い毛とはカラーリングをしているものなのか、それとも自然な毛髪なのか。身長が高いのはわかるが、この人物の身長は。目の前にいる女性の身長は。などなど。

 別にノンフィクション作品でも、実用書でも専門書でも構いません。とにかく書籍に書かれている文字情報や図柄で補足があったとしても、それを自分の頭で想像する必要があり、その想像したものを味わうことこそ読書の魅力でしょう。

 さらに読書をすることで自分だけでは得ることができなかった知的な情報を得ることもできます。自分ではない誰かが懸命に調べ上げてくれた情報をまとめてくれているわけで、自分が調べようと思えば途方もない時間が必要なのに省略することができるのですから便利と言わざるを得ません。

 想像し、考えることは短時間消費型のコンテンツを「ながら見」している状態では不可能だと言えるでしょう。それらには向き合っているのではなく、ただ消費されるためだけに流通されており、それを眺めているだけなのですから。

短時間消費型のコンテンツよりも読書

 短時間で消費できるコンテンツ、SNSでの書き込みもそうですし、TikTokやYouTube Shortのような動画でもそうですが、いかに短く端的にわかりやすく消費してもらのかが勝負です。そのため、プロセスをぶっ飛ばした意見や過激な切り取り方をしたりする必要があり、人の射倖心しゃこうしんを焚きつけるのかに躍起な内容になってしまいがちです。

 それらを閲覧、視聴することは自分自身にとって長期的な価値があるのかどうかは一旦、冷静に考えてみるべきことではないでしょうか。

 知識や思考する力や時間は、いくら有限とはいえ少なくとも80年~100年は生きるとされている人生の中で必要なものです。でも、短時間でわかりやすくされ、部分的に切り取られた情報を消費したところでそれらは養われません。入り口として機能する可能性はあるかもしれませんが、そこから先は自身の知的探究心を行動に変換する必要があるため、どちらにしても読書など具体的な知識収集や思考する時間を確保しなければなりません。

 部分的に切り取られている短時間で消費できる情報やバカみたいなことで盛り上げまくってくるどうしようもない動画コンテンツなど、正直にいえば見るに耐えないものですが、そこに情報としての正確さや信頼性があるのかというと微妙なところです。

 もちろん、出典を明記している動画もありますが、そういった動画などは精緻に真摯に情報へ向き合おうとする矜持がありますし、出典を明記するってことは書籍や論文などに向き合っている証拠です。その人たちが取得している情報を得て、どう解釈するのかも含めて楽しむことができたら最高じゃないですか。

 書籍には何名もの人間が絡み、その表現や根拠、論拠について検証を重ねて出版されています。中には、本当にそういった校正がされているのかが微妙なものもあるのかもしれませんが、少なくとも専門書などにおいては出版する人たちの誇りと責任において妥協されることはないはず。

 賢くなりたいのなら、読書でしょ。

どうやって習慣化していけばいいか

 さて、ここまで読んでくださっている方は、そもそも読書が好きで時間を設けることができている人か、今までは読書をしてこなかったけど、どうにか読書をしてみたいと思ってきた人なはず。すでに読書を習慣化している人は離脱してもらっても構いません。言いたいことは言い終えています。

 これからは読書習慣を設けたいと思っている方が読書を習慣化するためにどうしたらいいのか、一緒に考えていくことにします。

 まず、冒頭でも書きましたが、読書をするってのは非常に贅沢なことです。他にすることができない状態に自身を追いやり、時間をそこだけに注ぐ覚悟がなければできません。

 こんな風に書くと大変そうに思えるのかもしれませんが、実際に大変です。容易にできると思ったら大きな間違いです。その覚悟ができないのであれば読書なんて夢のまた夢。さっさと諦めた方がいいでしょう。

 ここまで敷居を上げても読みたいのであれば、次のことをやってみてください。

  • 1日の中で読書の時間を固定する
    朝でも昼でも夜でも構いません。必ず読書をする時間を固定化します。たとえば、夜寝る前に必ず読書時間を設けるとか。できそうでしょ。起きたら30分だけ読書時間にしてみるとか。お昼休みに食事を終えたら15分だけ確保するとか。どこでもいいから1日の中で時間を確保したら読めます。

  • 通勤時間を読書に充てる
    電車に乗って通勤したり、バスに乗って通勤したりするのなら、その時間を読書時間にしてください。60分もバスに揺られているのなら、その時間がまるまると読書時間として利用できます。乗り物酔いをしてしまう人以外は可能なはずです。

  • SNSの利用時間を読書に振り替える
    何よりもこれでしょう。いま、あなたのスマートフォンの中に入っている各種SNSを閲覧する時間を削ってください。1日の中で時間を確保し固定すると書きましたが、必ず削れる時間はこれです。この時間を削れさえすれば、その分だけ読書ができます。

おわりに

 読書をすることが大変なんじゃありません。くだらない短時間消費型のコンテンツに飲み込まれている状態が大変なのです。いますぐ、それらのどうしようもないコンテンツから離脱しましょう。

 ではでは。

ゑんどう(@ryosuke_endo)


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