見出し画像

恋愛のこと

誰かに話したいけど、誰かに話すには重過ぎる気がする話。

恋愛について思い悩むことって、人として普遍のことではあるものの、あの苦しさって一体何なのでしょう。
寝ても醒めてもあの人のことを考え、今頃何をしてるんだろう、自分ではない他の異性と仲睦まじく過ごしているあの人、みたいな暗澹たる妄想が思考を占拠して、胸の奥というか腹の底というか、心窩部がぎゅぅっと締め付けられる苦しさ。同じ空間にいる時には、目が合わないかとソワソワとチラチラとあの人の顔を、目を見てしまう。挨拶と少しの言葉を交わすだけの関係であるはずなのに気持ちや思いだけが熟成されてしまう、好意の先行性。誰しもが抱えている悩みで、誰しもが共感出来るはずの悩みごとなのに、恥ずかしくて誰にも相談できない。これは人によるかも知れませんが。
こういう悩みをどうにか処理した上で生活はしないといけないし、勉学や仕事に打ち込まなきゃいけないのだけれども、どうも身が入らない。
人はどうやってこの恋煩いを処理するんでしょう。

新潮文庫 今野敏著 隠蔽捜査3 疑心
主人公である大森署署長・竜崎伸也警視長は、羽田空港を含む第二方面警備本部本部長に抜擢されるも、テロ画策の情報が入り、その双肩に重圧がかかる。さらに米シークレットサービスとの摩擦と臨時補佐を務めることになった美しい女性キャリア・畠山美奈子へ抱いてしまった狂おしい恋心に悩まされる竜崎。
素直に面白いストーリーの中で、主人公は恋心に悩まされ続け、友人の助言によりその苦難を乗り越え事件解決へ突っ走ります。

大学3年の時に読んだこの作品によって僕は、主人公竜崎が恋煩いから立ち直る様に感服し、同じように考えることで、僕自身も当時抱いていた恋の悩みを、幾らか乗り越えられました。

キーワードは禅問答でした。
僕個人の意識としては無宗教だったし、父方・母方の実家の墓前で唱える言葉はそれぞれ「南無妙法蓮華経」と「南無大師遍照金剛」だったので、家系として仏教との繋がりはあったのでしょうが、日常生活で宗教的なものの教えは何も認識していませんでした。
ですがこの作品で取り上げられた次の題目は主人公と僕の胸に強かに刺さりました。

婆子焼庵
「昔、婆子あり、一庵主を供養し二十年を経たり、常に一人の二八女子をして飯を送りて給仕せしむ。一日女子をして主を抱かしめて曰く、まさに什麼の時如何と。主曰く、枯木寒厳に寄りて三冬暖気無し。女子婆に挙似す。婆曰く我二十年只箇の俗漢に供養せしかと。遂に遣出して庵を焼却す」

昔、一人の老婆が若い雲水をひとり20年に渡って世話をしていた。いつも若い娘に給仕させていたが、ある時この娘を使って雲水を試すことに。娘は雲水に抱きついて、「どうです。どんな感じがしますか」と尋ねると雲水は、「枯れ木が凍った岩に寄りかかったようなもの、冬に暖気が無いように私にとってもまた何事でもありません」と答えた。娘がこの事を老婆に報告すると、私は20年もかけてこんな俗物を世話していたのか、と怒り雲水を追い出し、庵を燃やしてしまった。

↑雲水

一見、何が俗物か、若い娘の誘惑に靡かなかった雲水の姿勢は修行の賜物だろう、とも考えられますが、老婆が怒った理由はやはりこの雲水の姿にありました。

この雲水は自分を欺いていました。
修行中の禁欲生活でもあったはずの雲水にとって若い娘に誘惑される事が何事もない訳がなく、胸中ではとても苦しんだはず。にも関わらず自分を欺いて、何ともないですよと宣ってしまった。そこに老婆は怒った。自分に嘘をつくような修行僧に本当の修行はできない、と。
雲水は自分の感覚のままに苦しみ、身悶えするべきだったというのが、この問答に対するひとつの答えだった、という話でした。

僕も主人公竜崎も、恋する人への恋心に思い悩み、その悩みから逃れようと他の事を考えようとするも、返って思考が相手の事でいっぱいになり苦しんでいました。その苦しみから逃れようと仕事に没頭し、またも苦しみに陥るという悪循環。
僕達にとって、苦しみ、身悶えする自分を受け入れることが答えでした。
竜崎はふとこの答えに辿り着き、目の前の曇りが晴れたような、光が刺したような明天を見、事件解決に至りました。
僕もその姿から実現しない恋に身悶えし、苦しむことを受け入れて幾らか立ち直ることが出来ました。

こう書き落としてみると、この対処法は気休めにしかならないことに気付きましたが、恋に悩んだ時、僕にはもう、この方法に縋る他ありません。

ひとはどうやって恋の悩みから解放されてんの。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?