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視点の自由研究No.142「視点_見せたいより見たいを選ぶ」

映像制作にせよ、広告にせよ、クリエイティブなものを作っていく際にある自我のジレンマ。自分は面白いと思っていることをそのまま作って見せたいことが、相手にとっても面白い事とは限らない。
今回は、このジレンマについて書いてみようと思います。あらゆるコンテンツにおける大きな指標かもしれない「自分」と「相手」の関係。

「見せたいこと」

作り手側として見せたいことというものは、広告制作においても確かにあります。端的に言ってしまえば、作り手のこだわり。企画にせよ、撮影にせよ、編集にせよ、ここ見所です!という箇所でもあります。
この見せたいこと、うまくハマればクライアントにも大変喜ばれ、次への仕事につながるなんてこともあります。が、多くの場合、こちらの「見せたいこと」よりもクライアントにとって「見たいこと」を優先する指示がやってきます。
作り手側には、歯がゆいことですが、相手の事情を考えると当然とも言えます。

広告は、クライアントという出資者があってのコンテンツ制作です。当然、制作者側もそうした関係性を承知した上で仕事をしているのですが、大きなプロジェクトでアサインされる新進気鋭の監督や、巨匠とも呼ばれるクリエイターともなると、制作側の「見せたいこと」が優勢になる場合もあります。

広告以外で考えれば、世の中のコンテンツ制作に関わる方ですと「見せたいこと」を優先したいと思うと思います。が、作っている方なら誰もが考えるお客様の「見たい」こと。

「見たいこと」

よく長年やっているバンドなどのコンサートで言われることですが、お客様が聴きたい曲はかつてのヒット曲という話。お客にとっては最新の知らない楽曲よりも知っている楽曲を聴きたいという気持ち。作り手側に回ると何度もリクエストがやってきて嫌になってしまうというお話です。
お客にとっての「見たいこと」が、時に作り手側からするとストレスにもつながりかねない。ですが、やはり「見たいこと」をちゃんと提供できることもプロとしての務めになります。
作り手側としてもお客様に飽きられるのは避けたい。どうやらこの関係性の中でどうせめぎ合うか?がカギになると言えそうです。

「見せたいと見たいの間に」

どんなコンテンツでもお客の想像をいい意味で上回った作りというものは絶賛されます。広告制作者としては結論的に「見たいこと」を優先しますが、やはりそこに一工夫を加えておかないと、次へのアプローチができません。
どんなコンテンツにおいてもそうですが、そのジャンルを最もよく見ている人はそのジャンルの中の人です。ある意味では、同業者が見て嫉妬してしまう仕事になっていたら最高。この辺りも作り手の矜持になり得ます。

作り続けること。それを持続することは最も難しいことです。「見せたい」と「見たい」の間にその答えがあると思っています。

なーんて「見せたいこと」だけを書いているnoteでした。




映像でお困りの方、静岡で撮影されたい方、ぜひ一度お声掛けください。